Q:人生の意味とは? A:え?また??

好奇心の赴くままに ドーキンス自伝I: 私が科学者になるまで
なんかネットを見てると定期的に
「生きる意味って」
「人生とは何なのか」

などと、プリントアウト!と言いたくなるような記事があがってる。
「生きる意味」を考えるのって多分、自分がそれなりにやれてるとか、そういうときに「生きる意味」とかいうのをこじらせる。

美味いラーメン食って「うっひょー!これ久々アタリだぜ!!」と歓喜しながら麺をすすりつつ
「……でも、生きる意味ってなんだろう……」
なんて思わない。
そんなヒマがあるなら麺がのびる前にニンニクを投入する。

カワイイ女の子をくどいて、ラブホで「シャワー浴びてくるね」って言われて、どきどきしながら待ってるときに
「……でも、生きる意味ってなんだろう……」
なんてギンギンに○起させつつ思わない。
そんな暇があるならゴムの袋に切れ目を入れて枕の横辺りに仕込んだり、照明を間接照明に変えたりする。


逆に生活に苦労してても目の前のタスクを処理して生きようと考えるときに意味なんて必要としない。
「借金を返す」「生きぬく」それがそのときの目的だし意味だから。

そのとき、何かしらに夢中になってたり、必死だったり、闘ってたり、ギリギリだったリ、あるいはウキウキ楽しんだりしてるときに原義なんて求めない。
高校球児にとっては甲子園に行くことが意味で、外から見りゃあ「ただの学生の野球じゃないか」と思っても本人らには大事な意味があるし、でも生涯を通してそれが「生きる意味」じゃあないけれど、目指してる間はそれが意味にもなる。

人生の意味なんて大昔からずーーーーーーーっと多くの哲学者やらなんやらいろいろとこじらせていてそれなりにさまざまな答えが溢れてて本気で「人生の意味とは」なんて知りたいならだったら図書館にでも走って哲学書でも乱読してくりゃいい。
夏休みだしクーラーも効いてる。
幾ら考えても己で答えの出ないような考えをこねくり回して「人生の意味とは」と考えたい人はつまり答えが欲しいんじゃなく、そうやってこじらせる過程が好きなだけに過ぎない。好きじゃなきゃわざわざ考えない。

だからって「人生の意味に関して画期的な説としまして」ってこれまでになかった新たな解釈があるなら、ブログを読んだ途端にモニターのこっち側で「ユーリカ!!」とでも叫んであげますけどそんな経験一度も無い。
だいたいどれも厨二真っ盛りな清水ファイナルフェニックス並みのこじらせた思考が並ぶ記事ばかり。
見たわー、それ前にも見たわー。どっかで書いてたわ―。


たとえば働き蜂なんて生き物は生殖もせず多くは蜜を集めたり労働だけを行い死んでいく。
その蜂が「人生の意味とは」なんて考えない。
レゾンデートルがなくてもハチは活動し、遺伝子の操るままにハチの社会を維持し続ける。
子を作らず、あるいは子が親を食べ、メスがオスを食べ、性別が転換したり、あるいは分裂したり。
子を優先し、あるいは集団を優先し、生命を維持させ、遺伝子は乗り換え続いて増えて行く。


どれもこれも「産めよ増やせよ地に満ちよ」以外のレゾンデートルなんて存在しない。
主ってすげー。
創世記の6日目に人間のレゾンデートルは既に出てる。
なのに2014年に至ってもまだ「人生の意味とは」なんて考えたいんだから、そりゃあ答えなんていらないんだろう。


人間だけが特別で「人生の意味とは」と言うものを欲しがるのは、そういう生物と人間は違うと思いたいからだろう。
何か使命がある、役割がある。
毛の生えたサルじゃなくて「意味を欲しがるサル」なんですかね。
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サッカー選手の人生の意味は「サッカーをプレイし、広めるため」なのかね。
政治家の人生の意味は「国を動かすため」なのかね。
ヨザーの人生の意味は「金を儲けて彼女に水着を着せて秒速で写真をアップロードするため」なのかね。
つか、人生の意味ってなあに?

生きてる間にさまざまなことがあって、それは大きい小さい問わずさまざまな事件や事象や時間の集合で、人間はそれぞれに意味やなんやかんや認識をして過ごしてる。意味ってんならすべての行為に意味はあるし、ニヒリズムに言えばすべての行為に意味なんてない。
トイレに行くのは、行かなきゃ漏らすからでそこに「意味」はある。
トイレに行くのは、人生の中に入ってる。
朝起きるのも、顔洗うのも、電車に揺られて汗でビショったオッサンにもたれかかられるのも、いきなり書類仕事が回ってくるのも、ラーメン食いに行くのも、XVIDEOS観つつオ○ニーするのも、すべて意味があるからやってるんだし、すべてがすべて「人生」を構成するパーツだってのに「人生の意味とは」とか言い出す。

意味なんてひとつのわけない。
その時々によって変わる。
根本にある生命の大原義ってんなら哲学者なりドーキンス大先生に聞けばいい。


生殖に意味はある、社会性の維持にも意味はある、生存を確保することにも意味はある。
人生はさまざまなレイヤーが層を成してる。
個であり、種であり、集団であり、社会であり、意識であり、階級であり、人種であり、性別であり。
それぞれのレイヤー、さまざまなスケール、直接・間接においてそれぞれに行為と意味性が発生して、それに対して行為者が意味を感じるも感じないもそんなものは勝手にすればいい。絶対的に意味がありやなしやなんて問いに対してまず絶対が言えないのだから、個人の意識の相対性に任せるしかないし、知らん。
捉え方次第でどうとでもなる。

こんなだから創世記の6日目に言われてることを何千年もこねくり回してるわけです。
実に業が深いや。
悩むくらいならフジロックでも行って暴れるか、チケットがないなら北方先生の本でも読んでりゃあいい。


夏休みだねぇ。
試みの地平線 伝説復活編 (講談社文庫)