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燃やさず目立たず地味にコンスタントに

ブログ

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)
「そういうときは身を隠すんだ!」――ネットの乱気流に巻き込まれたら - シロクマの屑籠
ブログでよく「継続すること」が言われる。
更新し続けなさい。
まるで「信じていればいつか夢はかなうんだよ」とでも言うように。
アクセスがなくても、話題にならなくても。


押井守が、勝利論を口にする。
1.コンスタントに映画を常に作り続ける
2.「自分」の映画を作れる

押井の勝利論とは、大ヒットを打つ一発屋ではなく恒久的に映画を撮り続ける監督。
ブログと言うのも実にそういうものだな、と。


ホテントリなど見ていて思うが、結局のところ一時期どっかどかウケるホテントリ常連はいつか消えてしまう。
定期的に、数週間、数カ月に一度や半年に一度くらいどかっとウケる人の方が長く続く。
数年後まで残る人、残らないひとはなんとなく見える。

自己発信のブログ(まとめやバイラルなど情報転用ではなく)では、当然ながら一人の人間の話題や知識なんて知れたもので開陳すればするほどそれはすり減っていく。
バズりたくて、安易に時事の話題や情報に跳びついて浅薄なまま記事を書いて燃える、なんて光景もいとをかし。


燃えれば目立つ。
世間の流れに逆張りして燃える。
流れを読めずに勘違いして燃える。
何か煽ったり、争って燃える。
などいろいろあるが、燃えた際に自己に瑕疵が一切なく燃えるということはまずない。
それなりに何かしら原因があり、燃える。


炎上と言うが大概はボヤと言うか大したものではない。
1時間に数万PVくらい~1日数十~数百万来れば頭もクラクラするが、大概それはその場のそのとき、ネットの片隅だけのこと。
ネットは広いし、独りの素人アカウントなんて知れてる。
一日、二日経てば元に戻る。

話題になることが多ければ多いほど飽きられるのも早い。
刺激はたまにだから良いので、ず――っとそれが続けば鈍化するのは避けられない必然。
それでも煽り続けてる高知のトマト大使はもう脳の構造が違うのだろう。
そんな生き方しか知らない。


燃えたからって、ひとつひとつの声を聞いていてはたまったものではない。
ネットはしょせんネットでしかない。
ブログはしょせんブログ。
命をかける必要も、いやいや更新する必要もない。
好きだからやってるだけ。

普通の人が普通に日々時間を使い書いているブログ。
中には「プリントアウト!」「お薬の時間ですよ!」と言いたくなる人も散見するが、基本はごく普通の一般ピープルであって、そんなひとが毎日連日一年間超絶面白い記事を書き続ける、なんて資質があるならもうプロの物書きになる方がいい。
大概はそんな才能なんてない。
日々ネタを探し、あーだこーだ考えて書いてる。

雑感なんて毎日書いてればネタも尽きる。
炎上なんてしたら早々に燃え尽きる。
煽りや釣りなんてよほど豪胆か飽きられても仕方ないと思わない限りはやらない方がいい。


ニュースや「一か月使わなかったら削除するルールで残ったアプリ」なんてクソ記事は、数カ月ごとに書けて、しかも無言ブクマも数百付く。
実にバカバカしい。
何の役にも立たない。
ブログでの金もうけのためには、そんなものでもいいのだろうが。


ネットで目立つ必要はない。
一定の読んでくれる人を相手に書ければそれは満たされていることで、それすら満足にできていないブログも山ほどあるわけで。
プロブロガーとか承認欲求なんとか。
そういうすり減らしてる人らと同じ世界で、同じ価値観で書く必要は何もない。
得意なこと、好きなことを書いてりゃあいい。
それが面白ければ誰かは読む。
面白くなくても、書くことで満たされてるならそれはそれで行為として正しい。

大ヒット記事なんて続くわけもなく。
それなりに見識のある人物ならまだしも。
多くの駄記事と少数の優秀な記事をコンスタントに書き続け、それを継続できる。
それがブログ(書き手の)としては正しい気がする。


読み手からすればたまにしか面白くないのは困りものだろうが。
「たまに面白いんだから、ずっとつまらないよりよほどマシ」と考えてほしい。
このブログにしろシュート回数は多いが、リングにはいつも嫌われる。


最近目立ちたくも無いなー、と思ったので書いてみた。
ろくなこともない。
ヘイト社会 対話を拒む人々にどう対処するか (朝日新聞デジタルSELECT)