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はてなも有名人も知らない しあわせな人生

はてな WEB

via GIFMAGAZINE

先日、物理実存(つまりモニターのこちら側)で、はてなオフの話が出た。
はてなを知らないひと相手にオフ会のことを話す流れになって、

相手「どーいうオフ会?どんな人がいるの?」
自分「ネット裏面史を司る補完委員会みたいな。イドの怪物の群れ」

と答えた。
言い得て妙、当たらずとも遠からずだとは思うが、そのひとは当然はてななんて知らないし、先日メイ○マさまを初めて知ったくらい(例のワールドカップのゴミ掃除の件で煽ってたとき)。
とはいえネットをやってる時間は自分より多い。
いわゆる「俗称」スマフォ中毒に近い。
隙間時間があればスマフォをいじらないといられないらしい。
とはいえ見ているのは、ハムだののまとめサイトヤフオク







テレビの有名とネットの有名

ネットの有名人とは微妙なモノ。
たとえばヨザーにしろ、はてな界隈で発言する人々にとっての秒速の知名度と一般(漠然としているが一般会社員くらいのイメージ)での知名度は当然違っていて、さらにはネットで金もうけをたくらみ日々情報商材に手をつっこむ人々にとっての知名度も違うだろう。
周辺を見回して「ネオヒルズ・ジャパン」や「与沢翼物語-平成の肉食主義」を買いに走ったのは自分くらいのもの。
幾ら有名とはいえ知ろうと思わないひとにまで浸透してるわけじゃない。
ネオヒルズ・ジャパン 与沢翼責任編集長 (双葉社スーパームック)
テレビは、つけていればそれなりに誰が誰なのか、と言う知名度が上がり、出演番組が増えれば目にする機会も増え知名度も上がる視聴者が受動的なメディア。
特に高齢者相手はワイドショーや早い時間帯のバラエティに露出すればするほど知られる。
曲にしろネットでは、プレイヤーを再生でもしない限り聞く機会はないが、テレビなら勝手に流れる。
恋するフォーチュンクッキー」なんて買ってないし歌番組を観ようとしたわけでもないが、それなりに知ってる。

ヲチャーと修羅の棲むセカイ

ネットの有名人は、多くがブロガーやノマドや思想、技術屋、あるいはネットゴシップに長けたヲチャーなどで、ノグタクや梅木氏なんて一般には知られてない。
ZOZO社長 前澤氏の炎上事件なんてもう風化してる。
それはイケハヤだろうがミッフィーだろうが同じで、家入氏は選挙に出たのでまだしも(とはいえ東京から離れれば興味も当然下がる)やまもと氏が特ダネに出ててもピンポイントで番組を観てなきゃあ知らないし、観ていても「ブロガー」と言う肩書に首をひねった奥さま方も多かったろう。
ネットは、パッシブ(受動)ではなくアクティブ(能動)であって、だから興味があるなら調べなきゃあわからない。
ミッフィーが「いいとも!」に出たときの静まり返り方にしろ、世間での知名度はあんなものだ、と言うのを如実に表している。

【KO-EN】冒険に出よう 未熟でも未完成でも"今の自分"で突き進む / 安藤美冬 - YouTube


今やググれば数秒で情報は出てくる。
ツールは使ってなんぼだが、キーワードを入れなきゃ答えは出てこない。
出てきてもクリックしなきゃあ知らない。
観測範囲が違うのは当たり前。
興味のないものをわざわざ調べないクリックしない。
グーグルと言う水中眼鏡で見えるのはネットと言う海の一部分でしかない。
しかも覗いた部分しか見えないのだから、すぐそばに何があろうとそちらに眼鏡を向けない限りは見えないのが当たり前。


テレビは興味が無くても流れてくるから出てるだけで自然と知名度は上がるが、観測範囲に入らないならネットではどれだけ有名でも知ることはない。
ネットは広大だと草薙素子は言ったけれど、その広大な海を前にして囲い込まれて安全な入江でじゃぶじゃぶ泳ぐだけ人が多いのもまた事実。

情強はしあわせか?

さて、どこの大学生がわざわざイケハヤを知るルートに乗っかるのかは知らないけれど、少なくとも知らなくても生きていけるしそのほうがしあわせだろう。
情報を多く知ることは別に幸福なわけではない。

情強だと自認する輩は、情報を知らなければ情弱と嗤うが「情強」なんて誇れることではない。
たまたま自分の観測範囲にソースが入っただけの何が偉いのか。


自分が生きていく上で必要な情報さえ知れれば、それ以外はすべて余計なノイズでしかない。
セコイヤチョコのCMに出るメガネハイネックを、プリキュアを観る純粋な子供のトラウマにするのはやめたまえ。

未来ある若者がわざわざノマドだのプロブロガーなんていう不安定な道に進まなくてもリソースもあるのであって、無駄なキャリアポルノにハマる時間があるなら他に読むべきものも多くあるだろうし、他にやるべきこと学ぶべきこともある。
情報を知り幸せになるのか、幸せになるために情報を知るのか。
後者だとすれば必要な情報はそれほど多くはない。


ネットを使い自分が発信者になり何かを叫び主張する、と言うのはそれが可能なだけであって、やらなければならないことでもなければ生きる上で必要なことでもなく、ましてやリテラシーも行きとどかずスケーリングの見極めに対する見識すら怪しい有象無象が跳梁跋扈する地獄インターネットが広まる昨今において、ネットをあくまでも情報ツールとしてしか(ネット有名人やゴシップや有料メルマガだのサロンだの)活用しないという選択肢は、ネットが当たり前の今だからこそ有益であって、わざわざ「自分の頭で考えよう。わかった?じゃーねー」なんて言われるまでもなく自分の頭で考え行動することだってできる。
ネットの情報を拾い、まるで自分自身が拡大されたかのように誤解するようでは救いが無い。

はてなに行ったらお茶が出た」
と言うツイートをファボる程度に薄汚れているよりよほどよいことじゃないだろうか。

知ること自体は、しあわせななんかじゃない。
しあわせになるために知るだけ。

呼ばれることもなさそうだが、もしはてなに行ったらお茶は出るんだろうか。
もし出なかったら、ネタにするしかないなぁと考える程度には毒されてる。
部屋を活かせば人生が変わる