「今度復活するM-1はオワコン」らしいが、それってかなり東京的な意見


M-1が復活するらしいけど、あんなオワコンを繰り返すなんて悲しすぎる - ひとり時間帳
昨日「さんまのからくりテレビ」と「シルシルミシル」が終了した。
番組の終了には、それほどの感慨もない。
今は、バラエティ冬の時代だと思う。







コンテンツの情報量

「テレビを観ないオレ、イケてる」
と思ってるかどうか定かではないが、テレビを見ずにその分のリソースがネットになりつつある。
お笑いは、元々舞台の演芸。

テレビで演じるのはあくまでも「テレビ用」のもの。

[高画質]ベストパフォーマンス 東京03 - YouTube
東京03のコントは長いし、単独ライブでも一本一本作り込んで見せる。
もっと長いものもあるがテレビだとなかなか見られない。
やってもCSくらいか。


テレビで長尺ネタをやってても視聴者は見ない。
今は飽きるのが早い。
変化に乏しいとチャンネルを変えてしまう。
コンテンツ単位の情報量は増え続け、刺激を圧縮し速度は加速する。


「お笑いブーム」が来るたび、お笑いは加速した。
中田カウスボタンが旧来的な漫才をスタイリッシュにして加速。
漫才ブームが到来してツービートやB&B紳助竜介が更に加速した。

「またスピードが非常に早く、そのスリリングな会話と彼ら以前のそれとでは、地面の野球と人工芝の野球の違いがある。ボケとツッコミの会話の完結性の果ての笑い、それがかつての漫才だった。あるギャグでドッとうける。その笑いの波がひくまでの間をおいてから次の話題に入ったものだった。しかし彼らは『ドッと』という笑いをもたない。いやそういう共鳴の笑いを拒否するところがある。高感度のマイクの発達もあろう。捨てぜりふ的なことばも明瞭にひろってくれるマイクの存在も大きい」「彼らを支える大半は若者である。どこのホールでもテレビの公録スタジオでも、ファンはGS親衛隊と同じである。万才がザ・マンザイになったとき、彼らはそこにある笑いが自分たちのリテラシーの世界に属しているものだと直感的に察知する」

漫才ブーム - Wikipedia

そしてダウンテンポオルタナティブな笑いであるダウンタウンの登場により速度を落とすまで、それは続くことになる。

レッドカーペットに見るインスタントな笑い

コンテンツはインスタントさを求める。
テレビはお笑いを短縮した。

関西でウケる吉本新喜劇は、ハイコンテンクストで長尺の笑い。
関東でウケる要素に欠ける。
だから関東進出は、一時のブームで終わった。


過去、ボキャブラで一言ネタに若手を多数起用。
レッドカーペットも短いネタを幾つも見せる方式をとった。
単価が安く、短く、すぐ笑えるものを。
がっつり長尺のネタを見せてそれを観続ける視聴者を想定していない。


関東ではギャグがウケる。
ネタを作り込んで見せるのは舞台のコント。
テレビでは、見てすぐに笑わせるものが求められる。
ザッピングする視聴者を捕まえるにはコンテクストの共有なんて待てない。


こうやってテレビお笑いの「作り込んで見せる文化」は損なわれた。
もともと関東のテレビにおける近代のお笑い番組文化は「番組企画お笑い」が主体。
舞台の上で長尺のネタを披露して笑いを~というのには、コテコテの関西文化が持ち込まれたりした経緯(吉本)がある(いろいろあったんだが、ここでは雑に)。
ネタ番組の旬は過ぎ、トークとひな壇の旬も過ぎた。
今は企画力に頼っているのが現状。

かつての「冗談画報」に見られるように*1アングラでシュールなお笑いとコントが関東的であって、舞台で笑わせるお笑いは関西的なもの。

時代と共に文化的な融合などはあっても、やはりそれは関西的と言うか吉本的なんでしょう(この辺、長くなりそうなので割愛)。

有頂天 冗談画報 1986/6/23 - YouTube

DASH村

「さんまのからくりテレビ」と「シルシルミシル」の裏で「ザ!鉄腕DASH!!」が続いているのは「DASH村」と言うコンテンツの定番化とTOKIOのキャラ化によるのだと思う。

DASH村」は、なかなか村にならない。
2000年に始まりもう14年。
DASH村TOKIOが足を踏み入れたときに産まれた子供が中学に通っている。
観ているひとは観続けている「北の国から」などと同じ。
毎回面白いかどうかではなく「週に一度の村の様子」という定点カメラを覗く感覚。

そしてアイドルを超え、もはや「世界が崩壊したとき、生き伸びるのがゴキブリとアイドルの……」と言われるほどのバグズ手術済みの生命力を見せるTOKIO
初期のように、電車と走るようなバラエティを続けていれば今ごろ鉄腕DASH!!は終わってたかも知れない。
DASH村と言う最初地味でも長い目で見れば長期耐えうるコンテンツを始めたスタッフの慧眼と言えるか。

とはいえスタッフも「テラスハウス」を観るような層を意識してDASH村をやってないだろう。
DASH村を観るのは若ものではなく、それなりの年齢層より上。
実質はどうあれ(ネットで騒ぐのは若いひとだが)中~高齢層をイメージしてるのは間違いない。

若年層は、騒がしく難しいしテレビの視聴も減っている。
ならテレビを観て育った中~高齢層を狙いコンテンツを作るのは当然の話。

M-1

M-1グランプリ the FINAL PREMIUM COLLECTION 2001-2010 [DVD]
M-1オワコン」と言うことだが、終わっていると思っているのは若年層。
基本的にネタ番組への欲求は一定ある。
特に関西では。


もともと島田紳助松本人志との間から始まったのがM-1
島田紳助の引退と共にM-1も消えた。

それが復活する、のは島田紳助抜きの賞レースだろうし、そのコンテンツの従来の要素をどれほど踏襲するのかは見えない。
デザイナーの名前を冠したまま、デザイナーが抜けたブランドのようなもの。
同じ名前でもそれはべつのもの。

フジテレビのTHE MANZAIやR-1、TBSのキングオブコントとお笑いの賞レースは幾つもある。

しかし関西発、全国区賞レースはABC朝日放送M-1しかない、というのもポイント。
伝統的なもので言えば、関西のお笑い賞レースには、今宮子供えびすマンザイ新人コンクールやNHK上方漫才コンテストNHK大阪)、ABCお笑い新人グランプリ(ABC朝日)、上方漫才大賞(関テレ、ラジオ大阪)などがあるが、全国区へのアピール性を見ればM-1グランプリの求心力の高さは桁ひとつ違う。

関東/関西

関西のテレビ圏は関東とは全く違うもの。
ちちんぷいぷいを帯で四時間連日放送してる(関東で山本浩之や南光を説明するのも難しい)関西圏からM-1が再び声を上げたのは関東のお笑いの勢いのなさと、(吉本新喜劇すら進出を失敗した)関西お笑いの復権をかけてと言うのは考えすぎかもしれないが、まぁ、関東からの目線だけでお笑いを語っても狭い答えしか出ないよね、と言うお話なんですが、どうですかね。


東京だと、円広志を観ることもない。
月金帯で「よ~いドン!」なんてやってないからね。
そもそも浜村純や新野新を観ない(新野新はアレだけど)。
キダタローなんかもU局の「ナイトスクープ」観ないと見かけることがまず無い。
でも東京にいると、そういう別のテレビ圏の思想は持てなくなる。

重鎮!! 香川登志緒と若きダウンタウン - YouTube
関西だと古くは香川登志緒新野新藤本義一大工富明とかお笑いを理論的に語れる人も多いけど、関東文化圏ではあまり観ない。
というか語るとお笑いと言うよりコンテンツ論になりそうな感じで。
たくらむ技術 (新潮新書)

円広志とか山本浩之が帯?と言うか誰?
月亭八光?知らないなぁー。
......と言うのが関東です。

まとめ

関東のお笑い冬の時代における「M-1復活」と言うのは関西の笑いの復権をかけた仕掛けの気がしてならない。
単なる関東でウケる、全国区でウケるお笑いタレント発掘番組ではない。

  • バラエティを支える視聴者層の変化
  • コンテンツの極小への飽きと廃れ、ハイコンテクストな笑いの復権
  • 関西発、賞レースとして希少性のある名前

テレビ離れの中でお笑いは冷遇。
視聴率は振るわず、バラエティは力を失いつつある。

そういう中、関西的なネタの面白さを競う全国的に求心力のある賞レースを復活させる狙いは
THE MANZAIだけで面白いお笑い決められてたまるかいな」
と言う大阪的な視点は入れなきゃあ駄目だろうし、少なくとも「ザ!鉄腕DASH!!」が好調を博す今のテレビのメイン視聴者にとって「M-1グランプリ」と言うお祭りは決してオワコンでもないと思うんだけれどもね。


……ちょっと主語を大きくし過ぎてとっちらかった(失礼)。
「関東のお笑いコンテンツの変化と冬の時代(ハイコンテクストないいとも!の終わり)」「関西・関東 お笑い文化の覇権争い(漫才とコント、ベタとシュール)」「テレビコンテンツを支える視聴者主体の遷移」を語ったうえでお笑い賞レースと言う存在とM-1の語りにするべきなんだろうけど、さすがに長くなるので……(これは一万字コースですな)。
雑ですが短めに。

ま、実際に復活した「M-1グランプリ」を観ないとコンテンツがあーだこーだなんて言えませんので、この辺で。
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*1:フジテレビ深夜で放送していた泉麻人司会のサブカル系バラエティ