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ぼくのかんがえたさいきょうの「書評」ブログ

ブログ 読書

※以下、独自見解


書評ブログの「おもしろさ」を決めるもの - 読書で本から学ぶブログ
なんつーのか。







BOOKREVIEW

ニッポンの書評 (光文社新書)
ネットで「書評」ってのを見かけるんだけど、大概当てにならない。
ウチなんかで「感想文」は書くけど「書評」は書かない。

書評ってのはWikipediaから引っ張ると、

書評(しょひょう、Book review)とは、一般的に、刊行された書物を読者に紹介する目的で論評や感想などを記す文芸評論の一形式である

人に紹介することを目的とする、のが書評。
感想文ってのは「自分が読んでこう思った」

自分なりのバイアスのかけ方が強いのが感想文、弱いのが書評。
「ボクは~」が感想文、「アナタに~」が書評。


だから感想文が面白かったとして、他の人がその本を読んでも面白いとは限らない。
感想文は「読んでみてボクはこう思いました」だから。

書評が面白かったとして、他の人がその本を読んでも面白くないとおかしい。
書評は、書を評するものであって評価がフラットでなきゃあならない。
もし書評だけ面白くて実際の本がつまらないならそれはサクラと同じ。

アプリ系の記事で「神アプリ登場!」とかギャーギャー言う割に、しばらく後の「常駐アプリ紹介」記事には影も形も無いような、その程度の「神」。
過剰に誉めたたえ、単にアフィを売りたいだけの薄っぺらい「神」。
あーいうのにげんなりする(最近は下火になったが、6とiWatchが出ればまた並ぶのか……)。

「自分ごと」と「他人ごと」

http://www.flickr.com/photos/9302837@N02/8176962496
photo by greg frucci

感想文は「自分ごと」
書評は「他人ごと」
感想文は「もし自分だったらどうだろうか?」など本に描かれているレベルに自分を落とし込む。

もし物語であれば登場人物が死んで泣いてしまうのは「自分ごと」。
書評は「他人ごと」なので登場人物が死ねば「ここで作者は泣かせようとしている」と考える。
自分を物語の中に置いては、フラットな評価をしづらい。
仕組み、構造を読みとり作者の意図を考えるのが書評。

面白い書評とはなにか?

http://www.flickr.com/photos/36495803@N05/8068553175
photo by epSos.de

書評は、本来本の魅力を伝えるもの。
さらに言えば面白くない本すら褒めるものではない。
それはPR、コマーシャル。
無い魅力をさもあるように飾り立てる書評に価値は無い。


面白くない本は、面白くない程度に。
面白い本は、面白い程度に。
フラットな評価、読み手もそれを望んでる。


でも多くの自称「書評」ブログは、ともかく褒め称えて見せるから性質が悪い。
商売じゃないんだから。
アフィの人は、商売でしょうが。

面白い本は面白く、つまらない本はつまらないと言う。
個人的には、そういう単純な評価を求めてる。
でも、どれもこれも手放しで褒めるような自称「書評」がもてはやされる現在、それを望むべくもない。

まとめ

  • 書かれていることを書かれている相等に伝える
  • 書かれているものの魅力を忠実に伝える

書評には、それを望むんだけどどうも過剰なコマーシャルが多い気がしてならない。
感想文でも自称「書評」だし、
テレビショッピングみたいな売り文句と宣伝で「お役にたちます」っていう。

1の本を5や10にされてもね。
浜村純の映画紹介じゃないんだから。

話芸 浜村淳 1989/10/13 - YouTube
もはや映画紹介と言う名の話芸なので、コンテンツとして成立してるけど。


面白いものを面白いと言い、つまらないものをつまらないと言う。
そして実際、面白いと言われていたものを読んでみたら本当に面白かった。
そういう書評ブログを読みたいと思ってる。
滅多にないけれど。

だから書評ってのは難しいと外山 滋比古氏ですら言ってる。
「読み」の整理学 (ちくま文庫)