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ネットを歩くのに必要な文章力

WEB ブログ

※あくまで一読者としての意見
文章力の基本
某ブログを最近よくみかける。
毎日数百ブックマーク、ホットエントリーして話題になっている。







とはいえ記事がいつも長い。
基本、文章が長いものはなかなか読まないのだけど、たまには読んでみるかと思ってコピペした。
頭がよくないものですから長文はコピペして枝葉末節や比喩表現を消して主論と枝葉に別ける。

すると

  • 何が言いたいのか
  • 根拠は何か
  • どこで転換してるか
  • 結論は何か

と言う文章の構造が解るようになる。
頭のいいひとは一読で解るんでしょうが、バカなもんで(でへへっ
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人気者の残念な正体

人気記事でやってみた。
中身は、ネット論。
結論から言うとなかなかにひどい。

冒頭に提起していることが、途中のどこかでねじれている。
ネットなのに現実世界だけでの理論を持ち込む。
同じことを言い換え何度も繰り返している。
急に倫理観が入る。
同じ事象の使われ方、存在が異なることを理解してない。
結論として挙げられたものが提起していた結果と繋がらない。
いまさら言われるまでもない結論

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さて、こういう粗雑な記事でも数百ブクマされ

  • 鋭い考察だと思います
  • たしかにそうだなぁ…
  • 視点の鋭さに感動した。

などと言う絶賛コメントが見受けられた。
どこに鋭い考察とか感動できる要素があるのか全く理解できないけれども。
批判的なコメントも当然幾つかあった。

綺麗な言葉には棘がある

http://www.flickr.com/photos/43867589@N07/14922574591
photo by oxyrhynchos - OLOliuqui

日々、ブログを読んでいると「文章力」という記事があり、小手先のトリックを解説してる。

しかし果たして必要なのは「文章(を書く)力」なのか。
それとも「文章(を読む)力」なのか。


ネットは、多くが言葉で出来ている。
一見美しく素晴らしい言葉。
しかしその多くは、メッキのような見た目だけの美しさ。
実際は薄っぺらく本質を伴わない。
たとえば

アナタは、アナタ一人で出来ているわけじゃない。
アナタ一人の中に、この世界に生まれこれまでに出会ったすべての人たちとの時間や想いが込められている。
アナタは世界のすべてでできている

みたいなツイートがあったとしよう。
個人的にはこんなツイートが来たら
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こういうAAでも貼りたい気分になるし、RTしたやつは即ブロ対象。

「お前一人で大きくなったと思うな」
と親から言われるような、昔ながらの言い回し。
それをいい変えてみただけのありふれた言葉。
見ていると、こういう感じのツイートが数百ファボ、数百RTされる。

いろいろざんねん。

ネットに落ちてる魔法の鏡

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次の例として、こう言う言葉はどうだろう。

ネットの言葉は劇薬である。

これって何も言っていない。
ネットじゃなくても言葉はどうとでもなる。
面と向かって言われる悪口の方がよほど劇薬だろうう。
陰口だって劇薬になりえる。

しかしこういう抽象的な言い方をすることで読んだ人間が

「そう言えばあんなことを書いて傷つけたな……」
「あんなことを書かれて傷つけたな……ほんと劇薬だよなー」

自分の経験、体験と照らして解釈しファボする。RTする。
言う方が何かを言わなくても、読んだ方で都合よく解釈する。
http://www.flickr.com/photos/10794424@N03/14156131814
photo by pikawil100
ネットの言葉は劇薬どころか鏡。
独り勝手に覗きこんで独りで勝手に理解し、解釈する、解決する。
占いも同じ仕組みで出来てる。

人間とは、独りで悩み、独りで救われる。
苦しみも悲しみも救済も、すべて自分勝手なものだ。 #上手いこと言ってる

綺麗な言葉には棘がある。
キレイであればある程疑ってみるべきなのに受け入れてしまう。
誘蛾灯のような言葉に引き寄せられ、搾取され利用される方々。

影響力の魔法

http://www.flickr.com/photos/24931020@N02/14574477310
photo by ozz13x

炎上の魔術師トマト・エンペラーの名言に「影響力の魔法」がある。

ネットで知名度を持てば、発言や行動が機能し影響を与えることが出来る。
これを「影響力の魔法」と称した*1

ところがネットの世界は「綺麗な言葉」が強い。

恐れるな!転がり続けろ!
批判をするな!される人間になれ!!

みたいな空虚で無責任なヤンキーイズムの行動主義が説得力を持つ。
考えるな感じろと言うだけ。
前段の言い回しを、後段でひっくり返すときれいに見えるレトリック(チャーチル的な)。

こんなもの、北方先生の「ソープへ行け!」の一万分の一の価値もない。
試みの地平線 伝説復活編 (講談社文庫)

綺麗な言葉を使う人間は尊敬出来うる価値があるのか?と言えばそんなこともない。
現実世界でも詐欺師やカルト教団、啓発セミナーなど舌先三寸で人を丸めこみ搾取する悪人は大勢いるし、引っ掛かり信頼し盲信しているひとも大勢いる。
そこはネットだって変わらない。


ネットの知名度は、現実世界とかなり異なる。
知名度、影響力が「人間的魅力」「人格的に評価出来る」といった価値とイコールになることがほとんどない。
多くは「言ってることが的外れでムカつく」「頭おかしい」というトンデモ・学歴だけは立派なのにどうしてこうなった・煽り芸・炎上と言った悪評で知名度が高い。

だからネット有名人と言う人種は、多くがうさんくさく極論バカだがメンタルだけは強い。
何か言っているようで何も言っていない。
なんの役にも立たないし、いなくても困らないが、根拠もなく自信満々。
しかし声だけは大きい*2、そんな人間ばかり目立つ。

まとめ ネットの歩き方

http://www.flickr.com/photos/18581423@N04/7782035398
photo by - Matso -

言葉はツール

アウトプットするのには文章力が必要。
読むのには必要ないなんてことはない。

文章を理解する→読解力と言い換えてもいい。

ネットの上でインプットだけする人はいない。
アウトプットだけするひともいない。

インプット、アウトプット両方の一定の力が必要な言葉の世界。
見合わない程度の力で歩けば、当然ながらバカな言葉に捕まり引きずり込まれる。
実害が無ければいいが、もし害があったって「自己責任」「信じる方が悪い」で終了。

バカに同情するほどやさしく出来てないし、お前のことなんて知らん。
ろくなリテラシーもないクセにうろついて勝手にこじらせ自爆しただけ。


「文章力」と聞くとついつい「文章を書くヤツにしか関係ない」と思ってしまうかもしれない。
が、文章がどうやって書かれるか、どんな技巧があるかを知ることで、読む際に役立つことはある。

「文章力」には縁が無いと思っているひとも少し考えてみるといいかもしれないし、文章の理解力が上がればグダグダのバカみたいな記事がホットエントリーすることも減るだろう。


何か言ってるようで、実は何も言ってないとか、
何周目かの当たり前のことを、さもすごいかのように言う記事はもういい。

面白くて価値のある記事を、読み手としてお待ちしております。

あ、この記事もごくごく当たり前のことしか書いてないんだけど、あんなのがホテントリがしてる状況はさすがにだね……。
悪人のススメ (中経出版)

*1:先日、彼がRTして数千PV程度でしたが……

*2:アピール力だけは並外れて高い