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「才能」とは技術だけを指すわけではない

日常 音楽


才能あふれる人間は世間にゴロゴロいる - Hagex-day info
ん?
hagex氏の記事、埋め込みにするとアイコンにスポンジボブが出ないね?

才能と評価と価値と

んで、

ちょっと歌が上手い、ちょっと美人、ちょっと絵が上手い……レベルじゃ全然そのスキルで食っていけない。だから、たとえ場末であっても、そのスキルでお金を稼いでいる人は凄いわけで。
増田が泣く気持ちはわかる。自分も同様に感じる場面は多々あったけど、これって当の本人にとっては失礼な話なんだよな。

死ぬほど文章が上手くて面白いけど、ほとんど読む人が来ないにも関わらずマメに更新しているブログもたくさんある。しかし増田はそれを見ても泣かないだろう。その差はなんだろうね。

外国人キャバレーに行ったらすごく演奏が上手いミュージシャンがいて、音楽の(スケールの)大きさに感動したって増田とそれに対するハゲ子さんのツッコミ。
いやほんとほんと。




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よく才能がーって言うんだけどこの「才能」って言葉は単純に絵であれば絵が上手いってことだけではなくて、それを見出される運であったり、あるいはそれを売り込めるアピールであったり、そういうモノも含まれていたりする。

画の技術(スキル)=才能

ではない。
それだけでは色々足りない。

道端で落書きしてたバスキアがウォーホルに見いだされたのは有名だけど、アレにしろ才能はあってもアピールは無かったわけで、それを才能よりアピール力が絶大にあったウォーホルに見いだされてアーティストとしてブレイクした(それが幸か不幸かは別として)。
ウォーホルが見つけなかったらヴィンセント・ギャロと一緒にフジロックで来日してたかもしれないけど。
バスキアのすべて [DVD]
それはわからない。
才能があるのかないのかもよくわからん。


反対に才能に溢れていたけど死後に評価されたゴッホも有名。
宮沢賢治にしろ才能があっても、それが世間に見いだされ、評価され、そこから更にマネタイズ(収益化)出来るか否か、ってのはまた別の話になる。
特に絵画や音楽など芸術の分野においてはそういったことが多い。

芸術と価値と

芸術は、評価されてから次に「価値」がでる。
価値=マネタイズ
金に換算できるか否か。
単にキレイで金にならない画なんて山のようにある。

だったらその金になる画とならない画の差は何かと言えば評価しかない。
アートにとって価値とは何か
価値があるから評価される。
しかし中には評価されてるから価値がある、と言うモノだってある。
そもそもその「価値」とは何か?と。
現代芸術とかね。

価格の価値は市場に依る。
LINEのスタンプなんて絵画としては評価できなくても効率よくマネタイズされてる。
絵描きが一枚油画書くより、スタンプのキャラひとつの方がサクサク儲かる。
もちろんそれが10年20年続くとは限らないし「だからこそ」瞬間最大風速で儲けてるわけだけれど。
キャラクタービジネスは「芸術と混ぜると危険」なのでさっくり浅めで。

村上隆にしろいろいろ言われるけども、あのアピール力とか自分を売り込んでいく力であそこまで成りあがって、それを作品が―とかいろいろ言ってもそりゃあ、ねぇ。
どれだけ内実が伴わないで大塚英志に「現代美術のパチモノの村上隆は尊敬はしないし、潰していく」と揶揄されたって、ウケてる事実は変わらないし、この評価が後年どうなっていくかって部分でもあるわけですよね。
100年後に作品が残ってて、そのときにどんな風に評価されんだか。
ラッセンみたいじゃなきゃいいですが。


以前にストリートアートで有名な覆面アーティストバンクシーが自身の作品を額縁に入れて、別の人間(おじいちゃん)に販売させたところ全然売れなかった、って動画があった。

これにしろつまり「バンクシー」という存在と、ストリートでのゲリラ的なパフォーマンス性や話題性と、名前が乗っかった上での画の評価であって、だから単体では売れないし、しかもぢぢいが売ってるからバッタモンぽくってますます怪しいからみんな買わない。
それはつまり画を画単体として評価してるわけじゃないよね?って言うことなんだけども。

感動できる演奏

元の増田は生での演奏を観る機会がどれだけあるのか微妙で、CDでしかろくに音楽を聞いたことがないならそりゃあ生で見りゃあ感動すると思うんですよ。

音楽って耳だけで聴くモノではない。
録音技術が進んで演奏の中の鼓膜を揺らす音の部分だけを切り離したのがCDに入ってる「音楽」であって、あれは小説の裏に書いてあるあらすじのようなものでしかない。
音を楽しむってのは、耳で聞いて体で感じでその空気を体験すること。
だから「音楽」って言うんだと思う。

先日どっかで「ベース音なんて聞こえない」とかいう書き込みがあったけども、ベース音は聴くと言うよりも感じる方が大きい。
低音が下腹をずしずし響かせるあの感じとか。
生演奏だとリズム隊が最前列に出てくる。

今は解散しちゃいましたけど、22-20sのリズム隊はすごかった。
あんなに響くベースは体感したこと無かった。


ベースってなんのためにいるんだ?って人は、とりまフリーのベースでも観とくれ。

この二人いなかったらスッカスカですぜ。

アンドリュー・バード

アンドリュー・バードってミュージシャンがいる。

これはTEDでのパフォーマンスだけど、こうやって独りで多重録音をリアルタイムでやって見せることですごさをアピールしてる。
今だとトム・ヨークとか向井秀徳もやってたりする。
確かにもともとの才能もあるし、演奏スキルは当然のように高いけども、独りオーケストラと言えるようなこのパフォーマンスが素晴らしいし求心力がある。


増田が言うところの「世間で知られてない名演奏をするひと」にしろ、もしパフォーマンスがあれば評価されるかもしれない。
誰かの目にとまって売れる可能性だってある。

そうやって出てきたのがタレントであったりミュージシャンであったりアーティストであったりするわけで、クオリティが高いから評価されてるんだ、クオリティが高いのに評価されないのはおかしい、なんてわけは無い。


毎日ホットエントリー見たって、記事のクオリティに関わらずネタの種類や話題性だけであがってきたり、あるいは燃えてたり、あるいはそーいう大して面白くもない記事にすら「これは素晴らしい!」「良記事!」とかコメント付ける人だっているわけです。
何を言ってるんだか言ってないんだか、当たり前の本の受け売りだけ並べてる記事だって「確かにその通り!」とかわかってるんだかわかってないんだかのコメントが並ぶ。
評価なんて結局千差万別人それぞれ。

時代性やら話題のタイミングやら。
誰の目に留まるかとか、ウケやすそうな見た目とか、そう言うのがあったうえで、さらに才能が、って話になると思うんです。

共感できることはいいことか?(最後に)

世間で言う「いい歌」なんて「共感した」が大多数だったりする。

共感できる=いい

アホみたいですがこれが通じる。
逢いたくてだの、恋しくてだの、逢えなくてだの。
「共感できるのって本当にいいことなのか?」なんて疑問に思わない。
共感できる→泣ける→感動→いい歌
......。
ハマらない、価値がわからないのは共感できないひと。

共感できることは悪いことだ、とは言いませんがいいことだって評価もなんか違う。
共感は、単に共感でしかないんですが、それがそのひとの評価軸だから仕方ない。
そういうひとは、音がいくら良くても歌詞が「共感」できなきゃダメなのかもしれない。


ちなみにブログで「これはいい名文だ!」「文章のレベルが高い!」ってコメントがついてるのは、大概崩した口語体で心象を強く表現してる。
これも「名文」か「レベルが高い」かどうかは知らない。
読みやすくはあるんでしょうが。


と毒づいてヘタッピな記事を終わります。
美しい日本語のすすめ (小学館101新書 51)