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生きるために働くのか?働くために生きるのか?生きるために生きるのか?

日常


僕たちは生きるために働くの?働くために生きるの? - 生きづらいふ

「働くために生きる」っていう価値観は、誰かさんの都合がいいように作った価値観だ。僕たちはそんな価値観に洗脳されちゃいけない。会社に洗脳されちゃいけない。社会に洗脳されちゃいけない。

なんか今は「働いたら負け」とか「自由に生きる」とか「人生を謳歌しよう」みたいなお題目が強くてまるで働くことが悪徳であるかのようにも言われる。

「働くために生活を犠牲にするのなんてごめんだ!」と言う上リンク記事。

「働く」「生きる」とは何だろう。
記事の「僕たちは」と言う「僕たち」の中にウチはいないですが、ね。




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LIFE?

好奇心の赴くままに ドーキンス自伝I: 私が科学者になるまで
まず「生きる」とは何なのか?

ドーキンスのセルフィッシュジーン的な(生物学的な)ところまで視点を落とすなら、「遺伝子を残す」ためにひとは存在している。
コギトエルゴスムな存在理由(レゾンデートル)は全て遺伝子と言う存在。
レゾンデートルだのなんだのは全て後付けだろう。

人間は、動物である。
「呼吸する」「飯を食い、出す」「寝る」「交尾する」
それが本来の「生きる」と言うこと。

それ以外は全て
「身体の本来の支配者である遺伝子ではない。自我と言う幻をベースに考えた後付けの理由」
資本主義だのなんだの、自由だ権利だなんだと言うのもそちらに入る。

人間の根本的な生物として欲求と生存に必要な行為。

それ以外は文化的な行為であれ、生存・存在のために必要なわけではない。
人間から社会を全て奪ってみるといい。


何もない草原に人間ひとりがいる。何をするか。
何のためのそこにいるか。

その存在以外はすべて無駄にこじらせたノイズ。

働く/生きる

人生での最優先事項って、もちろん「生きること」だと思うんだ。


でも、この社会では自分の生活を犠牲にしてでも「働かなくちゃいけないとき」があるらしいんだ。

本来的な「生きる」と言うのは生物的な生存を指す。
しかし記事で挙げられている「生きる」はそういう「生物的」な「生きる」ではないように思える。

自分の生活<<<働かなくちゃいけない

労働とは、生活を「犠牲」にするものらしい。
でも「自分の生活」って、そもそも何だろうか?

人生の意義

僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)
労働は、資本主義社会において
「有限な時間を労働と言う行為を通じ対価へと変換する行為」
でしかない。

嫌なのに無理やり鞭打たれてやらされるわけじゃあない。
「サウザーさまのために働くのだっ!!」
と石を運ばされてピラミッド造ってない。
どっかの国じゃないんだから日々の飯は配給で、労働は政府から指示されてやらされる、ってわけでもない。
自由に選べるし、だからこそそこに競争がある。

労働とは己が生きていく上での糧を得るために行う行為の総称。
スーツ着て上司に怒られるばかりが労働ではないし、スーツ着て怒られる方がホームレスやバイトよりも労働→対価への変換効率がいいということに過ぎない。
四次元ポケットでもないなら何かを手に入れるには盗むしかない。
とはいえ「盗む」だって泥棒からすれば労働行為だが。

時代はいつでもぐ~るぐる

労働讃歌
「僕は生きるためにいやいや働くなんて御免だー!」
と言いたければどうぞご自由に、と思う。
公園にテント張って暮らすのも悪いとも思わない。

ただ「生きる」ことと「働く」ことを別けて考えるのがよくわからない。


「生きる」のが、人生という時間を過ごすことであれば労働も読書もデートも「何に対して時間を費やすか」の差でしかないし、もし「生きる」ことと「労働」が別なのなら働いている間は生きていないとでもいうのだろうか。
「移動時間」は生きる中に入るのか、「ぼーっとしてる」は生きる中に入るのか。

「労働」は「生きる」とは違うが「遊び」は「生きる」に入る。
労働 生きる×
遊ぶ 生きる〇

なぜだろう?


「遊び」は、精神的には「楽しい」満足感は得られても何の対価も得られない。
「労働」は、精神的満足感は満たされなくても、代わりに「対価」が得られる。
ただじっと手を見ていたんじゃ一握の砂さえこぼれる、ってのはどういう意味かってさ。

「労働」それ自体は、悪でもなければ人生を無駄にする行為でもない。
自由を謳歌して働きもせず一日ゴロゴロしてるのと、会社でキーボードたたいてるのとどちらが「生きる」ことなのかなんざ知らないが、どちらも「人生」だろうし、どちらも無駄と言うなら「無駄」だろう。

洗脳社会の過ごし方

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

僕たちは「生きる」ために働くんだろう?お金を稼ぎ、自分の生活を確保する。食べるもの・寝るところを用意して、安全に生きるために仕事をするんだろう?


なのに、なぜ「働くこと」の方が優先されなくちゃいけない?

残念ながら「働く」「寝る」「遊ぶ」「セックス」もすべて「生きる」という大きなフォルダの中に入ってる同じファイルでしかない。

そして今まで労働をせずにそんな「生きる(遊ぶ)」を行えていたのは、代わりに誰かが「働く」ことでリソースを獲得していたからに他ならない(「働く」の代わりに「学ぶ」があるからこそだが)。
いざ自分が働くことを求められると「働くために生きるなんてごめんだ!」「働くとは何だ!生きるとは何だ!」とよくわからない悩みにハマる。

「働く」ことと「働き過ぎる」ことを同等に語るおかしさ。
「働く」ことと「生きる」ことを別けて語るおかしさ。
そんなのは洗脳されてなくたってわかる。

それこそ「自由」って言う幻想のモラトリアムに洗脳されているとしか思えないんだが。


好きなだけ「自分の生活」を優先して「生き」てればいい。
別に悪いことでもない。
自分の人生も選択も責任は自分にしかない。
働こうが、どうしようが。

一日中こっくりさんにでも聞いてりゃいつかわかるかもしれないし、答えなんて知らない。
岩の上で座禅でも組んでれば飲み食いせずに生きられるようになるかもしれないし最終解脱するかも知れない。やりたいというなら親兄弟以外は誰も止めない。

ただ「生きる」ことってそんなに特別なのかね?

ブログ書いてても、無駄な時間も、労働も、ごろ寝も、洗濯してても、腹をこわして寝込んでも、オフパコしても、飲み過ぎて起きられなくなっても、全て「生きる」ってことだと言う、それだけだと思うが。
とりまソープに行けとしか(via北方謙三)。

人生の意味さえも オレには本当にわからねえ
生きるとは何なのさ?
教えてくれるか? コックリさん

ソウル コックリさん/筋肉少女帯

余談

ちなみに、こう言う話になるとまずブラック企業を挙げるレトリックを見かける。

でも「働く=ブラック企業」を挙げるのは、極端すぎる。
ゼロか百じゃない。
労働=全てブラックだとでも言うなら別だが。
もしブラック企業を語るなら

・通常の労働/ブラック

でなければ対立項としておかしい。

・遊び、余暇/ブラック

こんなのは「無罪/死刑」を比べるようなもの。