読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

デジタルは万能じゃないと言う話

WEB 小ネタ 社会

※暇人向け
※素人の思考実験
にせもの美術史―メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦 (朝日文庫)

芸術が絶滅するんだそうで少し考えたんだが、漏れたことを。
と言うかデジタルの発展って魔法じゃないんだよ、と言う話。

ま、以下はしょーもない戯言の蛇足。



【広告】





アナログ→デジタル

まずアナログ/デジタルに関して。

常識だと思うがアナログの事物をデジタルデータに置き換えるのはとても難しい。
たとえば録音の際は、さまざまな場所に複数のマイクを設置し、演奏を録音。
複数の録音された音をエンジニアがミックスして完成させる。

出来上がった音は、鳴らされた音場(音波の広がった空間)の再現にはならない。
エンジニアはその音を調整し聴き手に届けるように調理を行う。
素材そのものではない。
鳴らされた音を録音する際、再現できるのは
「設置されたマイクの位置で聞こえた音」
しかない。
だから密室の中で鳴らされ、楽器から発せられた音は波状に広がり、壁に当たり反響する。
その波紋の全てをそのままに捉えるためには、その空間に満ちる音の全てを何らかの方法で収集するか、もしくはデータからシミュレートで推測するしかない。
(後者の方法は音場の完全な再現ではないが)
しかも一度デジタルデータに落とし込んだものを再現するには再度同じ音場を再現できるだけの過程が必要になる。

音は、波の広がり。
だから音をマイクなどで取り込み、鳴らすという方法で、完全な再現は難しい。
完全に同じ演奏を再現しても、楽器や環境などマテリアルの差異は生じる。

もし音場を取り込めたとする。
その際、デジタルデータの量はとても多い。
音は空気の疎密波。
デジタルデータで完全に再現するには空間分x時間(どの程度刻むか?も問題)のデータが必要になる。
アナログからデジタルへの変換は簡単に思えるが、それは人間が知覚できるレベルのデータのみを表面的に再現しているだけで、mp3が可聴域以外を削ぎ落すことでデータを軽くするようにアナログ→デジタル変換の多くは「人間の知覚できる範囲内での再現」でしかない。
それは現実のコピーと似ているが異なる。

少なくとも音に関してデジタルデータにアウラ(ここでは一回性、ライブ感)は欠落しているし、擬似的に再現する方法が必要になる。
ライブに行ったときの感覚とライブ音源は本質的に違う。
エンジニアがマクスウェルの悪魔ならサクサクやっちゃうかもですがね。

音の話はこんなもんで。

贋作と価値と


もし、本物の『モナ・リザ』と全く同じコピーができたら、それをどう見れば良いのだろう? - いつか電池がきれるまで

もし、本物の『モナ・リザ』と全く同じ(というか、人間には判別不能なレベルの)コピーができたら、人は、それをどう見れば良いのか?


これって、一昔前の人間にとっては、単なる「思考実験」でしかなかったと思うんですよ。
「そもそも、そんなことができるはずがない」から。
 でも、いまの世の中では、けっして、「夢想」ではない。
 3Dスキャナやプリンターの精度が上がっていけば、いずれは「傷や汚れまで、オリジナルと同じ『モナ・リザ』」が、大量に生産されてもおかしくないのです。
 もちろん、ダ=ヴィンチの時代に使われていた絵の具とかが、今の時代には無かったりはするでしょうけど、その成分を解析して再現することは、不可能ではなくなるはずです。

これって。
“テセウスの船”と言うのをご存じかどうかは知りませんが、

プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。


テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。


プルタルコスは、全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。また、ここから派生する問題として、置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのか、という疑問が生じる。

テセウスの船 - Wikipedia

これなんですが、同じ(オリジナル)ということに関する認識が複数レイヤーがあるんですよね。

物理(マテリアル)ではコピーとオリジナルは違うものである。
3Dプリンタですから組成そのものが違う。

一般社会認識(パラダイム)的には美術館にあれば本物です。専門家が「本物だ」と言えば本物だし「ニセモノだ」と言えばニセモノ。
ニュースが本物と言えば本物。
真贋を全世界の全ての人間が調べることはないし、そんなコストは払わない。
「すいません部長、モナリザの真贋を判定したいので有給休暇使います」
なんて有給取って、美術品の鑑定ノウハウを身につけヨーロッパに渡ったりしない。
ここは省略している。

個人認識では真贋を知っている人間はいる。
オリジナルがオリジナルとして存在し認識されている状態で自然にニセモノに代わるわけはないので、もしすり変わったとすれば誰かしらの意識が介在する。
プロが放射性炭素年代測定で調べるかもしれない。

人間には判別不能なレベルのコピー

ということですが、既に贋作というものがあるんですね。

アナログな人力でコピーを作ろうとする。
素人にはわからない。
中にはプロにだって解らないモノもあるかも知れない。
コピーはアナログ→デジタルよりアナログ→アナログの方が歴史が古い。

誰も「本物」と「偽物」を見分けられないようなコピーが出回る時代の「オリジナル」に価値はあるのだろうか?

思考実験ですので現実的なコストや動きは配慮されてないでしょうが、実際モナリザのコピーが世の中に溢れようがオリジナルの価値は下がらないでしょう。
どれだけ似ていてもコピーはコピーでしかなく、もし歴史と背景のある美術館に展示された本物をニセモノにすり替えたとしても、美術館に飾られたニセモノを本物として崇めますし、社会的にはオリジナルはひとつしか存在しない。
実際的にどうか?なんてのはすり替えたヤツしか知らないんですから。

3Dプリンタの技術精度が上がっても絵画の再現は向いてないし、あえてやらせる意味があまりない。
絵具の筆使いを3Dプリンタで再現するってのはしんどいですよ、実際。
だったらデジタルデータで取りこんじゃうほうが早い。
デジタルで便利になったすごい、コピーが幾らでもできる、というのはデジタル→デジタルの話。
3Dプリンタでデジタル→アナログのコストは下がったが、それでも再現できるのはアナログ→デジタル→アナログを経た劣化データ。
デジタルって万能な魔法ではない。
絵画はデータじゃなくマテリアルを持ってるので。

モノの価値とか、この辺の話って結構書いてましてね……。
定番バンクシーの話はリンクで。
芸術は芸術自体に価値があるのではなく、評価を受けたその名前と対価に価値がある - あざなえるなわのごとし

「才能」とは技術だけを指すわけではない - あざなえるなわのごとし
この辺に書いてます。
今回は長いので省略。

未来のアート

アートをデジタルデータに変換する、などとなればまずその理由が必要になる。
過去に積み上げた価値が、即日で無くなるわけはないんですよ。
美術品は物理ですからやがて朽ちる。
劣化を防ぐために真空にしてたりするけど、デジタル技術が進めばデータとしての保存も考えられる。

美術品なんてすさまじい数あるわけでそれをデジタルデータに置き換えるだけで一苦労なんすよ。
それに誰がコストを払うのか、と。
コストを払うには理由が必要なんですよ。


ヨーロッパでは、アートの検索システムが存在する。

この辺のネットアーカイヴ横断検索システムの実際は、福井 健策氏の“誰が「知」を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争”に詳しいので興味のある方は是非。
かなり面白い本ですので。

さて、デジタルとしてアーカイヴ保存されたその美術品からアウラが消えうせるのか、と言うよりデジタルでアウラは再現できるや否や、というのはデジタル技術話でもあるのかな、と。
美術が無くなるのだ!という論拠として昨今のデジタルの発展の実情だけでは根拠が弱いし、3Dプリンタを引き合いで完全コピー説も弱い。
まだまだ思考実験の域で机上の“テセウスの船”の時代と考えてることはそれほど変わってない気がしなくもない。

音楽の売り上げが伸び悩んでもライブが好調なように、果たしてアウラと言うモノはやはり存在し続けるし、美に関するパラダイムがたとえ変わってもその時代に応じた何かのアウラが産まれる筈なんですがね。
アウラ云々はその辺前提で考えるのが筋がよさそうだし。
とりまこんなもんで。
誰が「知」を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争 (集英社新書)