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読書ゼロでも読書家でも、スループットじゃしょうがない

※HTML除き4,500字超

ホテントリになってる、これ。
録画しておいて観てた。

最近読書ゼロの大学生が増えてる。
そこで小論文の作成をネットを利用する学生と本を利用する学生で比較してみようと言う実験のVTR。
そのあとで立花隆のコメント、という二部構成だった。

煽りの割には薄かったんで、個人的にはちょっとガッカリ感のある内容だったけど。
ネットと読書について少し考えた。



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1.検索エンジン

http://www.flickr.com/photos/90235707@N00/74688743
photo by warrantedarrest

それでとにかく、1つはほとんど無限の可能性っていうかね、言ってみれば、昔、これまでに発行されたすべての書物を集めた、アレキサンドリア図書館というのがありましたよね。
今はすべての人がネットを通して、アレキサンドリア図書館を自分なりに作っちゃうことができる、そういう時代なんです。
だから、それはもう要するに、ここにネットっていうか、スマホが1つあれば、もうすでに、そういう時代に入ってるんですね。
だから、それを通してどういう利用をするか、これでものすごく違うんじゃないですか。
(今の若い人たちの閲覧するスピードが速くなり、1秒間で判断できるというが?)
でも、それはそうでしょ。
(中略)
スループットがものすごい勢いで、どんどん増えてるっていうのが、現代の一番の特徴なんですよね。
だから、スループットがいやおうなしに増えてきますから、その中で、その人がどういう情報を拾い上げて、その人の自分自身の脳を作り上げていくか、さらにね。
そこが大事だという、そういう感じに今、なってるんじゃないかしら。

ネットってのはすごい。
アレキサンドリア図書館ってーかアカシックレコード。
古今東西のさまざまな知識が膨大な量あってそれをいつでもどこでも繋がれば参照できる。
問題は何かって言えば、その基本が検索だってとこです。

検索エンジンで何かを調べる。
何かのワードに関して調べたとき、どのくらいクリックしますかね?
大概、検索の最初数ページで終わってしまう。
幾ら検索して数万数十万の候補が引っ掛かったって観るのはそのうちの数パーセント。
これじゃあ「膨大な知識」どころかその上澄みしか使えてない。

だから「本」と「ネット」を比べるのはおかしくって「辞書・電話帳」と「検索エンジン」が類似。
ネットの基幹・導線部は「検索エンジン」

本は買ったら最初から最後まで読む。
でもネットは最初から最後まで見ない。
本と言っても「小説」なら隅々まで読むけど、辞書や電話帳は調べたところだけしか読まない。

使い方がそもそも違うわけですし。
検索エンジンなどのフィルターを使い、ゴミを排除し、最もインタレストに近しいものを拾いあげ、それだけを読むのがネット。

だから、本っていうのは、じゃあ、なんなのかということになりますけれども、それは僕は、ひとまとまりの知識だと思ってるんです。
つまり本を1冊読むと、そん中にまとまって封じ込められてる知識みたいなものがあって、それが自分に獲得できる、そういうメディアなんですよね。

字の読解処理量は、現代の方が多いはずなんですよ。
なのにネットと本だと論理構築などに差が出る、のだそうで。
だからそこは文字情報云々じゃあない。

2.長文・短文

http://www.flickr.com/photos/109201880@N03/14803838429
photo by farukr3

短編小説の賞の応募要項を見てみる。

400字詰め原稿用紙でもご応募できます。 (長編:250~370枚。 短編:42~100枚。

http://asciimw.jp/award/taisyo/novel_apply.html

この短編賞の場合、16,800文字~40,000文字(最大)ですよ。
ブログだったら、5,000文字でもコメント欄は「長い」のオンパレード。
ウチで7,000文字の記事なんてあげた日には誰も読まないですから。

この記事だって4,500文字越えてますからね。
長く感じるでしょう?

冗長だ、と言うのもありますがストーリーのあるものとブログの記事はそもそも違う。
さらにブラウザで長文を読むのって結構しんどい。

本を読まない、と言うことはつまり短い文章に慣れてしまうってことなんすね。
たかがそんなことー、と思うかもしれない。

けれど、個人的には以前やってたブログを辞めて、数年ぶりに再開したときに長文が全然書けなくて驚いた経験がある。
長文と短編はそもそも使う脳が異なる。
だから脳がツイッター慣れしてると全然長いものが書けない。

よく初心者向けブログ指南みたいなものに「章題を付けましょう」なんてのがあるけれど、アレにしろ短文に章題を付けてそれを連ねれば長文になると言う仕組み。

長文ってのは結構難しいもんなんです。
読むことも同じ。
長文を読むのって体力と気合いがいる。
ブログと同じツイッターがあんなに普及したのは、140文字だったからってのはあるでしょう。
最高10,000万文字のブログがTLにずらっと並んだとすれば、あんなに更新されない。
noteなんてそうですね。
書き込める場所が広いなら、やはり何かそれなりのものを書こうとするのが人間なんでしょうし、その分ハードルが上がる。

Twitterで毎回140文字いっぱいいっぱい書いたら「こいつめっちゃ書いてるなー」「なんかめんどくさそう」って思われるじゃないですか。
「おはありー」「ふろったー」「ふぁぼれよ」
こーいう数文字の方がツイッターっぽいんすよね。
140文字も書けるのに。
そういうアホでも書けるツイートを量産する人の方が、フォロワーが多いってのも面白い文化ですが。

3.二次ソース

http://www.flickr.com/photos/38869431@N00/5135576565
photo by juhansonin

情報収集のしかたはネットだけで足りると思うか?

そうは思いません。
現実にそうじゃないし、それはやっぱりね、ネットだけだと、やっぱりどうしても掘り方が浅くなるんですよ。
もうちょっと深い情報を得たいと思ったら、本なり、あるいはその他もろもろ、ほかの手段がいろいろありますから、それを通して、より深い情報を得るってことが必ず必要なステージに行くんですね。

ネットって誰かが書き込みを行うからこそそこに文字が存在するわけですよ。
情報であれ何であれ。
一次ソースが本にあって、それを誰かが写す、要約する。
「○○と言う本にこう言うことが書いてあって~」という書き込みがあればそれは誰かを介在した二次ソースになる。
真偽はともかくそこで一度誰かの脳を通っちゃってんですよ。
本を読むってのはその作者の書いたモノそのものを読むわけですから。
ネット:作者→本→誰か→ネット→自分
本  :作者→本→自分

この「誰かを間に挟むか否か」ってのはとても大きい。
今は何でもかんでも誰かが要約した情報が尊ばれますけども(まとめ、キュレーション)要約してるってことは自分で要約しなくて済むってことですし、それは確かに楽だけど、その分楽しちゃうから頭を使わない。

4.誰が読書ゼロなのか?

一方でこんなデータがある。
f:id:paradisecircus69:20141212140127j:plain

こちらは全国学校図書館協議会は毎日新聞社が共同で小・中・高校の読書数について調べた結果。
小学生の読書量は右肩上がりで増えているのに中学生は微増、高校生になると低水準で横ばいなのが解る。
リンク先には不読者(読書ゼロ)の人数についても書いてあるので興味のある方は見ていただきたいが、

この調査では、5月1か月間に読んだ本が0冊の生徒を「不読者」と呼んでいます。今回の調査の結果では、不読者の割合は、小学生は3.8%、中学生は15.0%、高校生は48.7%となっています。昨年度と比べ、小学生・中学生は減少、高校生は増加となりました。

小学生よりも中高生の方が部活動や塾などにかける時間が増えるのかもしれないが読書量は減る。
そしてそのまま大学生になって、やはり減ってしまっている。

文化庁の行った「平成25年度「国語に関する世論調査」の結果について」
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h25/pdf/h25_chosa_kekka.pdf
こちらから引用すると、

1か月に大体何冊くらい本を読んでいるかを尋ねた。
「読まない」の割合が 47.5%と最も高い。
次いで,「1,2冊」の割合が 34.5%,「3,4冊」の割合が 10.9%,「5,6冊」の割合が 3.4%,「7冊以上」が 3.6%となっている。
過去の調査結果(平成 14,20 年度)と比較すると,平成 20 年度調査から大きな変化は見られない。
平成 14 年度調査と比較すると,「読まない」の割合は,10 ポイント増加している。


1か月に本を1冊も「読まない」と回答した人(全体の 47.5%)を年齢別に見ると,「読まない」の割合は,70 歳以上(59.6%)で他の年代よりも高く約6割となっている。一方,20 代(40.5%)及び 40 代(40.7%)では他の年代より低く,約4割となっている。
過去の調査結果(平成 14 ,20 年度)と比較すると,全ての年代で,平成 14 年度調査より「読まない」の割合が増加している。

70歳以上が一冊も読まないのは視力の低下もあるだろうけど、20~40代は読書してる。
最近は、読書をしない→ネットだ、と繋がってしまうけど、もともと読書ゼロのひとってのは一定いたんですよね。
「読書ゼロ」ってのはネットだけが原因ってわけでもなさそう。

5.でも読書したって、使えなきゃあしょうがない

すべてがFになる (講談社文庫)
読書はした方がいいかもしれませんがでも本を読んだからって必ずしも賢くなるわけじゃあない。
あくまで本の知識は借り物ですから。
本を山ほど読んでる、なんて自慢じゃないんですよ。
読んでる冊数じゃなくどれだけ読んだことが身になってるか、じゃないですか。
たまにいますけどね。
「月に○○冊読む私の~」みたいな冠で仕事してるライターとか。
さっくり要約できるような本ばっかり読んでドヤ顔されても、もう、ねぇ。

本に書かれた借りものの知識を自分の血肉に如何にするのか?

そこが一番重要。
アウトプットって言うのは自分のインプットをそのままスループット(受け売り)するわけではなく、一旦自分なりの血肉にしたものとしてアウトプットする必要がある、ってのは立花隆氏も言ってる。

読むだけじゃなくて、その次のステージとして、アウトプット、つまりなんかをまとめて書くっていうね、その体験に行かないと、なんていうか、より読書が深められない。
そういう知識を深める、なんていうか、知的な内容のものを深めるだけじゃなくて、その全体をまとめるためには、やっぱり書くっていうことが必要なんですね。
(そういう中で自分も考える力が出てくる?)
そうです、書くのが一番役に立ちますね。

よく見かける「本を読みました。こんなことが書いてありました~引用~。そしてこんなことが~引用~」なんてのはスループットでしかない。
本の受け売り書き写してるだけですからね。
それには「こんなことが書いてあった。けれど僕はこう思う」がない。

だから仕事が出来るようになる10の法則だろうが、文章力が上がる7つのテクニックだろうが、そういうことを書いてるひとってのはずーーーっとスループットしかしないし本で学ぶと言いつつ何も学んでない。
学ぶってのは、単なる知識のスループットをドヤ顔ですることじゃないんで。
そこここにいますけどね。

外山滋久古氏も、本を読んでその借りものの知識がある時突然結びついたりする、と書いてた(思考の整理学だったかな?)。
その結びつきが重要だし人間の脳ならではのことなんすよね。


自分が、できてるかどーかなんざ知りませんが。
単なるスループットはしないように気を付けて……。

この記事は、あえてまとめは付けません。
まとめを箇条書きしてボールドにしとけばそこだけ読んでわかった気になれるじゃないですか。
でも、だから的外れなコメントばっかり並んでしまう。
読み込めば違うモノだって見えるのに書き手の箇条書きに誘導されてしまう。
だったらその数行でいいやんけ、と。

読んでるんじゃなく読まされてる。
だから矛盾とかおかしな所に気付けないで「この記事いいね!」とかコメント書いちゃう。
そりゃボールドのところはいいこと書いてあるんでしょうけどねw

ま、本読みましょうよ。
未読の面白い本は山ほどあるし、本でなければならない・わからない面白さも山ほどある。

貴女、今、急にそれを思いついたでしょう?素晴らしいわ……。
それが機械にはできません。私が誰かなんて質問、人口知能には、思いもつきませんものね。
でも、貴女は私に会って話をして、たった数十秒で自分の構築していた真賀田四季像とのギャップを直感し、その質問を無意識に口にしたのです。
そのアクセスの素早さが、機械には真似ができません。
大切なことなのですよ。

すべてがFになる/森博嗣


今読んでる小飼弾氏x神永正博氏の「未来予測を嗤え!」面白いですよ。
何読んだらいいか解らない?!って人も対談本なんで読みやすい。

読み終わったらまた。
未来予測を嗤え! 角川oneテーマ21