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アート作品鑑賞なんて好き嫌いで充分

僕はポロック (芸術家たちの素顔)

要するに、その分野に関する「知識」がなければ良し悪しが判断できないため、作品を批評するような楽しみ方はできないことになります。

 「これは良いものだ!」と言っても、「え?どこが?」と説明を求められたら理路整然と解説することはできない。下手に知ったか振りをするくらいなら、無学なアホンダラとして自分なりの楽しみ方を見つければいいのです。

 そのような門外漢でもあらゆる物事を楽しむことのできる唯一無二の判断基準が、「好き」か「嫌い」か。歴史や先人の研究によって体系化された外部の評価基準ではなく、自分の内から湧き出る純粋な感想。それを見て、触れて、ポジティブに感じるか、ネガティブに感じるか。

ぐるりみちさんの記事。
この鑑賞法は、正しい。



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とある女性が物憂げな表情を浮かべている肖像画があったとして。
それを見て「何となく悲しそうに見える」と思ったとする。
その印象へ、子供を亡くした母親の肖像だった、という「知識」が加わることで「何となく悲しそうに見える→子供を無くして」という理由が加わる。
改めて見ると漠然とした「何となく悲しそうに見える」印象が、子供を亡くした母親の肖像だと言う知識が加わったことにより、画に悲しみをより一層深く感じるかもしれない。


映画でもそうなんですが「よくわからないもの」と言うのは存在するんですよね。
キュビズム、シュールレアリズムなんて代表的ですが、絵画と言うのは写実的……物理的に存在する、あるいは空想しうる具象を絵具を使い画に落とし込む。

ところがキュビズムは具象ではなく、さまざまな角度から見た対象を一枚の絵に落とし込む技法。
花瓶を正面から見て書けば「写実」
花瓶の360度、上から下からの視点を全て入れ込めば「キュビズム」
そして花が咲き、枯れていく時間や存在も落とし込めばそれは「シュールレアリズム」

もし当時に映画の撮影技術があれば、キュビズムやシュールレアリズムの画家の何割かは映画に走ったかもしれませんね。
あるいはマンガ。
コマを割ることで画の中に時制を発生させる、というのは一枚の絵画ではなしえない発明。

わからない=面白くない

韓国のキム・ギドクって監督の映画は非常に難解で暗喩がある。

たとえば「弓」の感想をYahoo!映画から引用すると

変質者みたい

とても気持ち悪い目線で不愉快でした。独特な淫乱映画。韓国の国技だけあって犯罪すれすれでうまいこと表現していてセーフ。

唐突に始まるストーリーは、お伽噺のようにも感じられます。爺様と娘が迷わす寓話のようにも捉えられます。しかし、頬をつねって一歩退いて現実をみつめてみると・・・そこには浮世離れした哀れな姿が見え隠れしてくるのです。そう犯罪という究極の突っ込みが聞こえてくるのです。

キモい派 vs それっぽいことしか解らない派。
あんまりセリフが無い映画なんすよね。
その分、表現が抽象的になっている。

さまざまなところに仏の画が書かれ、船腹には八卦を背負う仏。
八卦は「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言われるように占いの象徴。
老人が神官、娘が巫女として観れば納得がいくし、巫女が資格を失うから神殿は沈むしかない。
弓矢は、愛染明王の暗喩であり神の性器の暗喩なんだろう、と。
そーやって観ればぢぢいの行動原理は信心であって変態性やロリ心ではないし、これはひとつの信仰が終わる話なんだ、と言うのが解る。
もちろん、そんな説明はどこにもないので勝手な解釈ですが。


こうなると予備知識どころか雑学の領域。
仏教、神道知らんと解らない。
なので変態映画ってのが一番表面的だが素直な感想。
知識ないけどなんとなくがそれっぽい感想。
そして暗喩に関して知識がある人の感想。

しかし大多数はそんな知識はないし、多分作る側も期待してない。
だから「変態映画」と切り捨てられるのもそれはそれでいいんですよ。
娯楽ってのは自分が楽しめるかどうかですから、その知識を持って自分が読み解き面白いと感じるひとはそれをやればいいし、なんかわかんないから面白くないってひとはそれはそれでいいんですよ。
とまれ
・わからない=作品自体が面白くない
ではなくて、実際は
・わからない=お前にとっては面白くない
なんですがね。

芸術と言う娯楽

芸術は、高尚なブランディングに成功し「よくわからない=アートだ」という逃げ道にもなった。
でも芸術だろうが文学だろうが何だろうが、人間の感性と情動に影響を与える娯楽として同じコンテンツでしかない。
アートは特別、みたいなパラダイムを定着させたのはすごいですが。
ブンガクだってエンタメ系の小説よりなんかすごい、みたいなブランディングをやってる。

もし王侯貴族がいた時代から映画があったら、映画は貴族階級の娯楽としてさまざまな歴史を辿り、一般の娯楽に昇華するまでにさまざまな革命を通過したかもしれませんけどね。
映画は娯楽として始まり、一般人にニュースなどを知らせる大衆メディアとして広まった。
だから映画は高尚さに欠けますが。


最近は、芸術のブランディングやり過ぎて敷居が高くなりすぎたってんですそ野を広げようと「アートってそんなに難しくないんだよー」とか色々やってますがね。
六本木アートナイトとかね。
学校でクラシック見に行って楽団で演奏するアニソンみたいなもんで。
ブランディングはアート単体の価値はあげるけど同時に敷居も高くなるわけで。
それでメシ食ってる人間は「評論家でなければ……」ってことにしたいでしょうけど。

難しくわからない、それは別にいいんですよ。
ただ解れば解るほどいろいろな見方が出来るし、見方も深まる。
でも、それは自分のためでしかない。
ひとがどんな見方をしててもそれはそれ。
娯楽ってのは自分だけが楽しんで、自分なりに理解できればいい。

まとめ

わからない、で終わるのもよし。
薀蓄を蓄え読み込むのもよし。
好き嫌いで見て判断するのもそれはそれでいい。
知識がないってことは、知識を得てもう一度新しい見方が出来る可能性があるってことでもあり。

わからない=すごい、ということもない。
ポロックの良さなんて今後もわかる自信はないですし、あんなもんはペンキの滴。
現代アート事典 モダンからコンテンポラリーまで……世界と日本の現代美術用語集