神の赦しとテロリズム

日本人っていうのは節操がないもんだから、キリストの誕生日も祝うし、その数日後には教会じゃなく寺社仏閣に初詣に出かけ、結婚するときは神前だの仏前だの神社だ教会だの、死ぬときは坊主を呼んで、聖人の誕生日にチョコレートを渡し、最近では古代ケルト人の記念日に仮装をするのが流行りらしい。

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ところで教会には告解(ゆるしの秘跡、痛悔機密)というものがある。
教会にある個室で牧師だの神父だの相手に自分が犯した罪を告白する。
キリスト教徒は、このシステムによって罪が許されるようにできてる。
これはキリスト教を信仰する上での特典と言える。
なにせ殺人であれ神さまは赦してくれる。



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産めよ増やせよ殺すなよ

もともと人間は人間を殺すことに禁忌感がある。

遺伝子レベルでDNAが「お前らは交尾しまくって地上で増えろ。そうすればオレらも栄えるんだから」と潜在意識レベルで仕込まれてる。
マッチョな男や足の速い男がモテるのも(肉体的に優位な個体と遺伝子を残すことで生存率が高まる→魅力を感じるようにできている)遺伝子の仕業だし、反対にブサメンがモテないのも(肉体的に劣等な個体と遺伝子を残すことで生存率が下がる→魅力を感じないようにできている)遺伝子の仕業と言える。
進化とは何か ドーキンス博士の特別講義
潜在意識レベルで刷りこまれてる遺伝子からの指令。

だからこそ誰かを殺すなんて滅相もない。
遺伝子はただひたすら増えるために人間と一緒に存在しているのに、人間同士が殺し合いをしてしまうのでは都合が悪い。そこで生理的なレベルで「人を殺してはならない」と人間のBIOS辺りでプログラミングされてる。

ところが人間にそんな平和な社会は営めるわけもない。

カインとアベルの時代から殺人は起きてる。
しかも人間は、脳と意識とかいう厄介なものを発達させた。
これのおかげで人間は群れではなく社会を形成し地上に勢力を広げたが、遺伝子の「殺し合いとかダメだぞ」なんていう禁忌感程度で殺し合いを防ぐことはできなかった。
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個が重要視されない時代なら人の命は二束三文だが、経済的に発展し文化レベルが上がると個が個として存在し、人の命だとか命の大切さだとか言い始め、そこで人間が作ったのが神さまというシステムだった。
人を殺すのに対し抱く禁忌感を「だって神様が許すんだから」というシステムで精神的に救われる。
十字軍の遠征でエルサレムを取り戻すため遠征をしたときに敵味方に山ほどの死人を出すわけですが、敵は神の敵だから死んで当然だし味方は死んでも神のために戦うから天へと召されて、だから遠征は正しい。

ISILとオウム

で、最近のISIL(イスラム国)のスンニ派原理主義者が神の名の下に、自分らのテロリズムを正当化してる仕組みと似たようなものがあるわけです。
ジハード(聖戦)と言われるそれは本来暴力的に勢力を拡大し敵を打ち倒すことを指さない。
しかしISILは「神のために戦い神の御許へ」というジハードを謳い暴力、テロリズムを正当化してる。
だからイスラム教徒は、イスラム教を歪め利用するISILを蛇蝎の如く嫌うわけです。

時事ドットコム:「イスラム国は神に宣戦布告」=スンニ派権威


NHKのBSでイスラム国に参加する若者のドキュメントをやってたんですが、観てるとオウムを思い出すんですよね。

大学を出ても社会的に誰にも求められない、将来に希望もない、自分の居場所がない。
イスラム教は素晴らしい、こんな正しい教えがなぜ受け入れられないのか。
アラブの貧困を救うために、格差をなくすために、地上にイスラム教の世界を広めるために。
ISILの敵、資本主義のアメリカやイギリスやフランスと戦わなければならない。
だからイスラム国へ行こう。
あそこには自分の居場所がある。

オウムの本を読んでいちばん心地よかったのは、「この世界は悪い世界である」とはっきり書かれていたことです。僕はそれを読んですごく嬉しかった。こんなひどい不平等な社会は滅んでしまったほうがいいと僕もずっと思っていましたし。ただし僕が「世の中なんてあっさり滅んでしまえばいいんだ」と考えているのに対して、麻原彰晃はそうじゃなくて、「修行して解脱すれば、この悪い世界を変えることができるんだ」と言っているのです。これを読んで僕は燃え上がるような気持ちを持ちました。この人の弟子になって、この人のために尽くしてみたいと思ったんです。そのためなら現世的な夢も欲も希望もみんな捨ててもかまわないと思いました。

オウム真理教

オウムの場合は、個人崇拝に帰結したわけですが、ISILの場合はイスラム教を理由として自身らのテロを正当化しそしていろいろなところから兵を集めてる。
この前シリアに行きたい21歳とかいましたが、あーやって社会への復讐だとか自分の居場所がないだとか言って戦争に参加しにいくわけですね。

神のためなら殺せるし死ねる残念さ

皮肉なもので神様を信じてる=平和で人の命を大切にしてる、とは限らない。
それはつまりこの「神さまは人間の罪を許してくれる」「神さまのためなら殺してもいい」という歪んで使った教義がベースになっちゃってるからなんすよね、残念ながら。


仏教だって僧兵だとか武装もしてましたし、殺せば殺すほど位が上がるという大乗の乱とかありましたし。
信心ってのは難しいもので、良い面ばかりを見て信じすぎても怖いし、否定しすぎるのもよろしくない。
宗教を葬式だなんだの時だけ便利に使ってる方が平和だと思いますけどね。

そもそも社会システムが未熟な時代に作り上げられた宗教という便利なメカニズムを、この現代で利用しようと叫んでるやつほど危ないものはない。

宗教がいいことをいう、理想的なことをいう、なんて当たり前なんですよ。
現世が厳しいから理想的で素晴らしい事を唱えるのが宗教なんだから。
約束された場所で―underground〈2〉