天才だけで社会は回らない

天才たちの日課  クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々
増田の方で青二氏ツッコミが流行ってたのでやろうかと思ったけど脳が拒否した。

こちらの方がおもしろい。


労働人口減らしてでもバカを排除したほうが社会全体は幸せになるんじゃね? - UXエンジニアになりたい人のブログ

思考実験としては面白い。
実際面が伴わないからそこが疵になってしまうけれど。
似たようなものは、岡田斗司夫が評価経済社会の中で著していたけれど。




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そんなわけで、わたしは、突出した才能が生んだ莫大な富の残りカスでその他多数を養う、そんな偏った不公平な社会を望むことをここに表明する。

一部の突出した才能だけが働き、稼ぎ他を養う仕組み。
ある意味奴隷制、ある意味エリート主義。
しかし社会はホワイトカラーだけで成立しているわけではなく、社会はブルーカラーも支えている。

一部のエリートが高級スーツに身を包みスタバでMBAを広げミサワライクに仕事をしている間、スタバの店員はテーブルを拭き、注文を受け飲み物を入れ、玄関を掃除して、そこに仕入れのトラックが到着し受取り規定個所ににしまい、トラックの運転手は次のところへ配送を行い、倉庫に戻り、倉庫ではトラックの荷台に荷物を運びこむオジサンたちがいて、そういうオジサンらを一部のエリートが高級スーツに身を包みスタバでMBAを広げミサワライクに管理している社会。
軽く想像してみる。


海外を飛び回るエリート ジェットセッターが海外から帰国し、タクシーを呼びとめる。
運転手は運転の才能にずば抜けた運転手。
運転に関し才能のない多くのタクシー運転手は解雇された。
一部のエリートだけが特権を受ける。
なぜなら彼らが社会を支えているからに他ならない。
特権もなく働く者と働かない者、働きたい者と働きたくない者、全てが均一な経済的ランクにはなりえない。

日本は大きく変わった。
突出した才能だけが働き、他はすべてその稼ぎで生きる社会。
それまで社会の歯車として機能していた連中はすべて解雇され代わりに生活は保障される。
労働は必須ではない、社会保障され働かなくても生きていける。
働きたい場合は趣味でやるか、天才であることを証明しなければ労働を得られない。

資産は集中し、才能は特化される。
才能を見出すための試験が行われ、結果次第で「エリート」になるか、「それ以外」になるかが決まる。

老人であれ子どもであれ、労働が等しく与えられる。
「エリート」になるか「それ以外」になるかの試験が全て切り分ける。


……書いていて嫌ーな気分になる社会だなぁ。
デモが頻発すること請け合いですが。

草野球選手がいくら集まってもプロ野球選手1人が生み出す富の量に全く及ばないし、歌い手がどれだけ集まってもきゃりーぱみゅぱみゅ1人が生み出す経済規模に達することはできない。そもそも比べること自体がナンセンスだ。そんなイメージをしてみれば想像はしやすいだろう。

いろいろと疵が多いんだけど、まず草野球選手が幾ら集まってもプロ野球選手1人が生み出す富の量に全く及ばないが、草野球選手のチームと才能あるプロ野球選手1人が戦えば試合にならない。
天才は一人でいい。

会社ってよくチームプレイと言われる。
才能ある天才が寄り集まって、上手く行くわけでも無く、実は才能ある一部とそれを支える普通の人々とか、淡々と管理する人とか、もう退職間際の人とか、そういう人が集まってるから成立する。
スティーブ・ジョブズの才能はすごいけれど、全員スティーブ・ジョブズの会社は成立しない。
天才と個性や精神的な成熟は、伴うとは限らないんですよ。

ひとつのことで天才であっても、あらゆることで天才であるとは限らない。

ホワイトカラーの仕事は才能が集中してればいい、と言う主張は一見正しそうだが具体的にすると即時破たんする。
経理にしろ営業にしろ業務管理にしろ、ずば抜けて才能がある人間よりもコツコツと淡々と確実にこなす人間は目立たないが必要で、しかし上記のような社会なら彼らは仕事を追われることになる。

凡人が何百人集まっても天才1人に及ばない

10倍プログラマという話がある。プログラミングの世界では、優秀なプログラマと凡庸なプログラマの間には10倍の生産性があるという話だ。この話は間違いであると思う。

実際は、凡人がいくら集まろうとも、天才1人の質には全く及ばない。

そのプログラムも、営業が交渉し、見積もりを出し、依頼を受け、報酬などの交渉をし契約を行い、法務などが管理し、経理が予算を管理し、天才プログラマーが仕事を行う。
この場合の天才プログラマー以外のホワイトカラーの方々は天才である必要はない。
事務作業の天才、営業の天才、経理の天才、法務の天才、プログラムの天才。
コーヒーを入れる天才、机を作る天才、パンを焼く天才、家電を売る天才、レジの天才。
レジの普通のおばさんは子育ての天才だし、レジの天才で、でもその「天才」をどう評価するのか。

「凡人」なのか「天才」なのかを、誰がどこでどうやって計るのか。


たとえば職人であればひとつの仕事を覚えるのにとても時間がかかる。
もし「天才だけが働けばいい」のならその弟子が天才かそうでないか、技術を身に付けられるか否かをどこで判定するのか。
またそれぞれの天才であることをどのように測るのか。


アナタが歩いている道は天才が舗装したわけじゃあない。
アナタが仕事をしているビルは天才が建てたわけじゃあない。
アナタが書いているプログラムは営業の天才が取ってきたわけじゃあないし、依頼したのも天才じゃあない。
天才の料理は美味いかもしれないが仕込みをするひともホールの接客係も必要。
スタバの店員も、本屋の店員も、船乗りも、漁師も、不動産屋も。
みんな天才じゃあない。
天才がいなくても社会は回るが、天才だけで社会は回らない。

天才だけで回る仕組みを作るのであれば、まず天才に関しての明確な線を引かなければならない。
人の才能はやってみなければわからない。
天才の才能が劣化したらどうなるんだろう?

もしかするとプログラムを学べば天才になるかもしれない才能が、営業をやってるかもしれない。
営業の天才が、漫才師をやってるかもしれない。
2年続ければ天才として才能を発揮したのに、その才能が発揮される前に辞めたかもしれない。
人の才能とはとても計りがたいもの。

どうやって計るんだろう?


こう言う選民思想は「優等民族」「優生学」とも繋がる。
ブログだからこれで構わないが、権力者がこういう考えに縛られ力を持ち過去に虐殺が行われた例もある。
「ネタ」と言うタグを付けたほうが良い。

本気で考えているなら、もう少し社会や歴史を見た方がいいだろう。

「天才」に幻想を見過ぎてる感触。
キレイごとで回るなら社会はもっと良くなってる。
人間の社会の根底は、理想じゃなく動物としての欲望と渇望。
それがない理論は、シミュレートでは可能でも実際は破たんする。


ブルーカラーも無くなるかもしれませんが。
というか、高齢化によって働き手人口が減っていくんだから「天才はー」っていつまで言ってられるんだか。
現場は待ったなしですぜ。

ホワイトもブルーも、こういう労働不要論が出てくるってことはそれなりに裕福な生活じゃないと出てこない発想。

青二氏ならボコボコになりそうな話題ですねw
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