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「理系は宗教にハマりやすい」という説

理系バカと文系バカ (PHP新書)
戯言を少し。

「理系は宗教にハマりやすい」などと聞くが不思議だと思う。

理系は、言わば思考の根本が具象であり論理だろう。
文系は、本来抽象だが、最近の文系は抽象が苦手。
単に思考は具象しかできず、論理が苦手と言う分類に別けられる気がしなくもない。
そもそも理系文系と言う分類法が曖昧なのだが。



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とりま高学歴な理系の方々が宗教にハマる。
どこぞで「修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ」と繰り返し、魔境に囚われず心理を得ようとする際に「魔境とは瞑想の際、分泌するセロトニンが見せる幻覚である」ということまで理解するにも関わらず、その思考の先が「修行するぞ修行するぞ修行するぞ。修行してマハーニルヴァーナに至るために教祖と合一するのだ」に着地するのだからなかなか厄介なモノ。

教えられていないことはわからない。
わからないことを考えるのが思考だが、パッケージを用いれば安易に行える。

パッケージとは何か。
「教育」「思想」「哲学」「宗教」
ここでは、それらをパッケージとする。


ここから少し話がそれる。

魚や虫などの生物は親がなくても育つように出来ているが、物理的に小さい個体が多く、捕食などされ生存率が低い。
だから生み出す個体の数を多くし、生存率を上げる。

牛や猫、人間などの動物は産んでもひと桁。
だからこそ親は子を育てることで生存率を上げる。

人間の脳が発達し、情報の重要性に気付いた。
外部情報を脳内コードに置き換え価値を共有することで群れ社会を構築する。

人間は、外部情報の保存として、もともと口伝を用いたろう。
言葉にならない発声がやがて共通の決まりごと~話し言葉に変化する。
「アレは山だ」
「これは気持ちいい」
「これは見た目はキモいが食べられる」
口づてに伝え、伝えることで価値観が共有され、認識を統一し、歴史が編纂されていく。
しかし口伝は知るものの死によって終わってしまうし、伝達の際のデータの変質は避けられない。

そして書くことを覚える。

文字が先か絵が先かと言えば、絵だろう。
絵は見たままをそのまま書く。

しかし絵は情報量が多すぎる。
多すぎるからこそ簡易に情報を伝える手段が必要になる。
言文一致はもっともっと後の話。

だから絵から必要のない情報をそぎ落とし文字にした。
文字により情報を残す。
文字としてアウトプットし、セーブすることでその情報の保存時間は圧倒的に伸びた。
※追記:↓コメント参照

ここで情報を伝達するためのパッケージが産まれる。
パッケージには、はじめからこれが必要である、と言う切り分けがなされている。
もしパッケージがなければこれは必要なのか?否か?という切り分けが都度必要になる。
価値観を共有する際に、文字の読み書きを教える、数理を教える、地理や歴史を教える、など決まったパッケージを用いればいい。
すると価値観が共有される。

教育、伝承、諺、言い伝え。
民話や童謡などに盛り込まれた暗喩や価値観は時代を越えて伝わる。

しかしパッケージではすべて補えない。

近代の日本で言えば、教育は素晴らしいのだろう。
水準は高く、さまざまな教育を受ける権利も認められている。

「国語」「算数」「理科」「社会」「位相幾何学」「生体工学」
などなど、好きに選び、過去の好きに学べる。


しかし思想や哲学、そして宗教に関してのパッケージは選ばない限りは通過しない。

海外であればキリスト教が強く、イスラム教なども生活に密着している。
日本に多い仏教は信仰の対象ではなく既に習俗に溶け込み、信仰や思想などの教育を受けず、抜け落ちた「真空=無垢」のまま育つ。

何かの教え=パッケージを理解し、一度理解してしまうと覆すのは難しい。
どんな間違ったことであれ、正しさはある。
その正しさを正しいと認識し信じてしまえばそれを覆すには、それ自体の否定から行わなければならない。
強く信じれば信じるほど、否定は自分の立つ足元を掘り返すような行為に相当する。


世界は、具象だけで出来ているわけではない。
抽象と具象がさまざまに絡み、論理非論理が存在する。
宗教は抽象である。
論理を重視する方は宗教などと言うものを唾棄し「神なんているわけないだろwwwww」と嗤うが、嗤うから思考しない。
物事を軽視すると、そのことに対し知見が浅くなる。
浅いからつけ込まれる。
だから理系は宗教にハマる。


現代人は無宗教だ、と言うけれど果たしてそうか。
神のいない宗教は多くある。
明確に神を立てる宗教であれば信仰でもしていなければ無宗教と主張もできるだろうが、宗教の定義を「人の力が越えるものを信じ帰依する」とすれば現代のライフハックや啓発などはそれに相当するとも言える。
「金持ちは長財布を使う」「成功者は朝活を行う」などの論理的な事由に欠ける教えを信じ、それを漁るように読み、資本主義社会において現生利益の追求を信仰する人々にとってそれは宗教と変わらない「心の拠り所」として存在している。

稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?