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ネコの音楽・イルカの音楽

イルカの不思議: 2時間で生まれかわる皮膚? アゴが耳? 驚きの能力に迫る!


「猫の喜ぶ音楽」を心理学者らが開発 - amass
これはとても面白い。
ネコの喜ぶ音楽と言うものがあるのだとすればネコは音楽を(’ひとの理解’とは違う意味であれ)理解できるということでもある。



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以前、探偵ナイトスクープで「タケモトピアノのCMで赤ん坊が泣きやむ」ネタがあった。

当然、赤ん坊は財津一郎が「ひっじょうにきびしーいっ」と言うギャグをやっていたことも知らないし「もっともーっとタケモット」という歌詞に反応しているわけでもない。
このことに関しタケモトピアノ公式では

日本音響研究所が、このCMの音の解析を行ったところ、
●音がランダムで飽きない
●本能的に振り向く音が多い
●音楽の途中でリズムが変わる
赤ちゃんの興味を引くポイントがつまった曲だそうです。


歌声が、赤ちゃんが好む440ヘルツ周辺の声だから

歌っている財津さん
「探偵ナイトスクープ」でも取り上げられましたが、歌っている財津さんの声が、赤ちゃんにとって心地よい440ヘルツの音域に合っているとのことらしいです。不思議で素敵な事ですね。
赤ちゃんが泣き止むあのメロディの正体とは・・・?|タケモトピアノ 中古ピアノ買取り/話題のテレビCM!

とのこと。
(ちなみに440ヘルツでググると電波系(音波系)が引っ掛かって面白いのでオススメ)

表と裏

少しリズムの話もしたい。

ドラえもん 音頭 - YouTube
表拍裏拍とよく言うが、日本人は表拍に馴染みがある

リズムの頭でリズムを取るのが表拍。
リズムの尻でリズムを取るのが裏拍。
ギターで言えばダウンピッキングが表、アップピッキングが裏。
音頭などは表拍だし、演歌も民謡も、多くのポップソングも表拍が占める。

ライブなどで表で手拍子を始めると途端に泥臭く感じるのは、そういう表拍の手拍子=演歌民謡音頭に繋がるからで、とまれ「乾杯」や「春夏秋冬」を演奏されて裏で手拍子をする人はマレだろう。
そりゃあ泉谷も手拍子するなと叫ぶ。
表拍で手拍子されると「ハァ~、ヨイヨイ」と入れたくなる。

しかしなぜ表と裏で印象が異なるのか。
どこでリズムを刻むか、だけで音楽ががらりと変わる。
この印象の差は一体何に根ざすのか。

DNA狂想曲

赤ん坊は「タケモトピアノ」のメロディで泣きやみ、ネコは音楽がわからなくても好みの音がある。
ドーキンス的なレベルまで下げて考えると、人間はDNAのロボットだから、何かしらの「生存のための戦略」がその中に込められてるんだろう。

それによれば、心理学者は「音楽がその種族で効率的に機能するためには、各種族同士のコミュニケーションに用いられる周波数帯にビートを合わせる必要がある」と仮定。今回、猫が喉をゴロゴロ鳴らしたとき、乳を飲んでいるや鳴き声のリズムなどをもとに、猫が興味をそそるピッチとテンポで音楽を制作。研究チームがこれらの音楽を聴かせる実験を47匹の猫を対象に行ったところ、猫達はこの音楽を人間向けの音楽よりも好むことが確認されたと報告しています

http://amass.jp/53148/

イルカの水槽でクシを鳴らすと近寄ってくる、という映像。

Sea World Dolphin Comb Trick - YouTube
クシを鳴らす音が、イルカがコミュニケーションに使っている鳴き声(漁だったか)に近い音だからイルカはこういう行動を取るらしいのだけれど、鳴き声に意味性を持たせるこのコミュニケーションは人間の音声コミュニケーションの根本に近しい(言語ではなく)。

単独ではなくコミュニケーションを取り、群れ(社会)を構築し、生存率を上げる、という遺伝子の生存戦略があるとすれば、音を聴くことで、その特定の音に何かしらのDNAが付与した意味性が潜在的に存在し、潜在的な意味性が音による情感の元になっている、という想像は難くない。

ここからは推測になる。

人間の言語システムが創発し、コミュニケーションツールとして徐々に複雑化してゆく。
言語システムは発声のパターンに意味を付与し、それを共用することでコミュニケーションを行う。
発声の音が高かろうが「あめんぼ」はアメンボであり、低かろうが「ダンゴ」はダンゴ。
あ、め、ん、ぼ。
だ、ん、ご。
この発声の「連なり」に意味が結び付く。

人間が言語を獲得する以前に(生来的に持っていた)音に対する根源的な意味性は失われ、言語と切り離された。

そして切り離された音に付与された本能的な意味性は、音楽と言うものに織り込まれ、人間の情動に作用する娯楽として残った。
音を切り離しシステムとして構築したものが音楽であり、メジャー・マイナーは「メジャーだから明るく感じる」のではなく「明るく感じるからメジャー」という情動の方が先なのだろう。
音楽を一切聞かせず育てた人間にメジャーとマイナーを聴かせ感想を聞くしかないが(どっかでやってそうだなー、実験)。

だから音楽とは、人間の鳴き声ではないだろうか、と。


こちらの知恵袋に似たような考えの方がいた。

これは全く私の想像にすぎないのですが、動物が脳を発達させる過程において、感情というのは必然的に生まれるものだと思うのです。
私たちの祖先の声は、ごく原始的な段階では「敵が来た」というような警告、協力して行動するための合図としての鳴き声といった実用的なものだったでしょう。
カラスや犬でもそのような鳴き声は持っています。
それが脳の発達に従って、腹がへった、怪我をした、子を失った、あるいはおいしい食べ物を見つけた、きもち良い気候だ、というような出来事に対応した複雑な感情とその表現に発展することはありそうなことです。
しかしそこから「言語」になるには大きな飛躍が必要だったはず。きっと長い時間がかかったでしょう。
だからとても長い間、私たちは言語ではなく鳴き声でのコミュニケーションを行っていたのではないでしょうか。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1118274161

メジャーコードを明るく感じる、マイナーコードを暗く感じる。
表拍に土着なイメージを感じ、裏拍にはクールなイメージを感じる。
表拍を自然に感じ、裏拍に違和感を感じる。

根源的感覚は、先天的・後天的影響の両方あるだろうが、言語外の本能的な情動部分を大きく感じる。
だからネコであれイルカであれそのコミュニケーションに使う音がわかるのであればその種族の音楽と言うものは可能なんだろう。
だからネコの音楽実験は面白い。
100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)