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感情的な文章wwwwwwwwwwwww

yamayoshi.hatenablog.com
感情的か否か、と言うのは結局のところ「どこまで崩しているのか」「口語体に近いか」「飾りが多いか」だと思う。


こういう例を考えてみよう。
※A
恵比寿駅から徒歩5分のところにあるハンバーガーショップブラックカウズ。
メゾンカイザーのバンズ、ヤザワミートの牛肉パティを挟んだこだわりのハンバーガー。
是非一度、足を運んでいただきたい。

※B
恵比寿駅からトコトコ歩いて徒歩五分くらいのところにあるハンバーガーショップ、その名もブラックカウズ!
あの有名なメゾンカイザーがこだわった香ばしいバンズに、肉汁が溢れるジューシーな牛肉パティはヤザワミートが監修しているんです!
是非!是非!!!生涯に一度は食べなきゃ損ですよ!!


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この二つの文章のうちどちらに感情があるか?
単純にどちらに熱量を感じるか?

Aは非常にシンプルに、
Bは「トコトコ」「ジューシー」など情報量と感嘆詞を増やしている。

人間が口語体に感情をなぜ感じるか?と言えば、読み手が文章を読みながら脳内で口頭の言葉に変換しているからに他ならない。
書き言葉と話し言葉であれば後者は人間同士のコミュニケートで使われるのだから、人間性の強さをどちらに感じるかは当然の帰結ともいえる。


……とか、書くと堅苦しいでしょーwwwww?
だーかーらー、感情的って言うのはね、つまりね、人間らしさ、なわけですよ。
わかるっかなぁ?
わっかんねぇだろうなぁ(via.松鶴家千とせ)

えーと、人間っちゅーのはね、効率的に出来てない。
平田オリザ氏がロボットの動きを監修したらしいんやけど、そういうときに余計な動きを入れてやることでとたんに人間っぽくなった、っていう話があるんやわ。

たとえばね、何か「モノを取る」っちゅー動きがあるとして、機械はまっすぐ取りにいきよるねんよ。
そら「モノを取る」んやから当たり前。
プログラムされたのは最低限の動きやもの。

でも人間は毎回毎回最短距離で効率的な行動を取らへん。
いらん動き、無意識の変な挙動、クセ、そういうもんが動作に入る。
「えー」「あー」とか「うーむ」など書く必要がない。
でも書くと話してるっぽくなる、この無駄さ。

それが「人間らしさ」
でもそれを意識すると途端に動きが不自然になるんやから人間は面白い。
人間の動きのほとんどはオートマチックなもんやからね。
反対にロボットダンスは、人間が余計な動きを入れずにまーっすぐ動かしてやることでロボットみたいに見せる。

非効率的に出来てるのが人間ちゅーもの。
中身が非効率的やねんから、動きが非効率的なんも当たり前やん。
言葉もそう。
こういう関西弁とかほんまに読みづらいし、エセ関西弁とか言われる(生まれも育ちも京都やっちゅーの)。


冗長に書くと話し言葉に見えてくる。

特に関西弁は、話し言葉に特化している。
独特の冗長に母音を伸ばすなどの語音の特色を、書き言葉に反映させても読みづらさが増す。

現在書かれる言葉の多くは、話す・書く言葉を意識せず「話すようにしか書くことが出来ない」から話し言葉で書かれているものを多く見かけるように思える。
果たして平易な、それでいて端正な言葉をかける人がどの程度いるんだろうか。
ともあれそのような言葉を書ける人がいてもなかなか人目に浮かびあがってはこない。
多く目に触れるのは煽情的に「こんなものを許してはいけない!!」「なんだ?!このへたくそな謝罪!ざけんなよ!!」のような空疎な文章ばかり。
(自戒を含む)

センシティブな話題を煽情的に書き散らすゴシップのようなものに慣れてしまい、そういう刺激の強い記事ばかりが注目される。
適者生存の法則は働き、注目を受ける方法論は定型化する。
効率的で安易な方法論と平易な言葉が並ぶ現在の状況は必然とも言える。

人間の書く文章においての冗長な表現や文章の展開、構造などにそれぞれの個性が出る。
現在ネット上において「文章力がある」「上手い」と言われるひとのほとんどは単に読みやすい文章を書いているに過ぎない。
それが読みやすい文章を書くことが正しいという結論になってしまっていることを否定できない。

話すように書けば書きやすい、読みやすい。
だからこそそのように書く。


話しているように書けば書くほど「リズムがある」「熱い」「感情が伝わる」とか言われてるんだから超ウケるwww
崩した駄文で文才があるとか言われるんやからほんまに安いもんですわ。
その分ハードルが低いということでもある。

文章における感情っていうのは、読み手のデコードで発生すると思うけどな。
(書き手が思考を書く(エンコード)→文章→読み手が文章を読み脳内で再生(デコード))
だからエンコードする際に感情を想起できるようにコントロールすればそれは「感情的」と読まれる。

まぁ、中にはエンコードの時にあまりに感情が強くて言葉から感情が溢れてしまう文章言うのもあるけどね。
”鬼気迫る文章”と言われるのはそういうもの。
その場合は文語体であれ何であれ。
読み手側にコンテクストがあるのかも知れんけど。
(既視感ありあり、雑な記事で申し訳ない)
演技と演出 (講談社現代新書)