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仕事とコミュニケーションとコンテクストの違い

日常 小ネタ

わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
※なんだかんだあるので、以下はフィクションとしてお読みください

日本は、ハイコンテクストな文化だと言われる。

コンテクストとは”文脈”とも言われる。
要は「なぁなぁ」「空気を読む」のがハイコンテクスト。
反対に「言わなきゃわかんねぇ」「ハッキリと書けや」がローコンテクスト文化。

前述したように日本はハイコンテクスト、海外ではローコンテクストな文化が強い。



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たとえば某リストがあるとする。
そのリストに対しメールや電話で対応する必要のある案件。

仮にその案件に最初から関わっていれば「それ、あのリストだからやっといて」で済む。
仕事の仲間内でコンテクストが共有されてる。
ハイコンテクストでツーカーなコミュニケーション。

しかし途中から案件に参加すればどうだろう?
リスト以外に何が必要になるだろう?

・そもそもこのリストは何か?
・対応の要点は何か?目的は何か?
・最低でも連絡しなければならないのはどんなワードか?
・相手に対し期限を切る必要があるのかないのか?
・送り元のアドレスはどこにするのか?電話をかける際の発信番号は?
・返信するとすれば指定はあるのか?受付の電話番号は?担当名は?
・対応の詳細を記録する必要があるか?
・リアクションがあった場合、詳細を記録する必要があるか?録音?リスト?
・期限はいつまで?
・何人まで人手を使えるのか?予算は?
・対応後の展開は?

などなど考えられるが、こういう情報を伝達した上でないと「後はよろしく適当に」で進められるわけもない。
対外的に行動を行うのであればリアクションを想定した動きが前提にならなければならない。
それを適当にやるから「その担当はこちらにはおりませんので……えぇ、申し訳ございません」なんていうバカな電話の回答をしなきゃならなくなる。どこで受け付けるのかくらい最初に統一しとけ。
教えた番号に素直にかけてこない場合もある。
だから発信履歴も気にする、導線はできるだけシンプルに。

コンテクストを共有しない相手に仕事をひとつ頼むというのはとても難しいし、だからこそ誤認が発生しやすい。
これが社内であれば被害も迷い子程度で少ないが、相手先のある社外であれば面倒なことにもなる。

取引のある会社でも同じように考えているだろう、と勝手に思い込み、蓋を開けてみると違いが出てきて、実はそれが一社どころか数十社出てきて、一社のフォローどころか全部の線引きのやり直しをしなければならず、しかも藪をつついたら蛇が出てきて、なぁなぁでやってたから上手くいってたところまでほころび始め、無駄にジョブが増え、ToDoは積み上がり、残業残業。
……知らんわ、こちとら帰るわ。


「演出と演技」の中で、平田オリザはこう引用している。

しかし人間は、往々にして、二つの大きな思い込みをおかします。以下は、ジョン・ロックの定義です。

一、自分の考えは、当然、自分の考えている当の事物と一致しているものと信じている
(表象の一致……概念と事物が一致している)

二、自分がある言葉によって表明した考えや物事は、他人も同じ言葉によって表明すると考えている。
(間主観性の一致……概念と言葉が一致している)

ここで問題になるのは、特に二つ目の「間主観性」と呼ばれる問題ですね。特に日本人は、島国に育って、異文化に接触する機会が少ないですから、相手も自分と同じコンテクストで喋っていると思い込んでしまうことが多いようです。

コンテクストの共有、というのは仕事上のコミュニケーションにおいてとても重要。
コミュニケーションがなければ仕事は動かない。
失敗すれば根幹に関わる。


昔から日本は、なぁなぁでコミュニケーションを行いやすい。
明文化していないからこそ応用は効くものの、その要点を掴まずに漠然と考えてしまう。

自分は分かっているから、相手も分かるのは当たり前。
そんなわけがないのに。

だからこそ相手に伝える際に「どの情報がわかっていないか、知る必要があるのか」を考えた上で伝達しなければ不具合が生じる。
気の知れた内内でばかり仕事をしているから、そういうしょーもないミスで案件が一気に瓦解する。
同じ仕事をしている相手でも、全く何も知らないつもりで教える。
必要な要点をとりあげ「これが重要だ」という肝心なポイントを示すことで失敗が減る。


アホらしいくらい基本ですが……なんだかねぇ。

演劇入門 (講談社現代新書)