渡辺直美のビヨンセが面白いのは「デブ」と「外人」をバカにしているからではない

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最近この
「渡辺直美の芸はアメリカで受けないのはポリティカルコネクトネス(政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語。以下、PC)的にアウトだからだ」
という持論を展開してる人がいる。
差別的だから海外では受けない、のだそうだ。
このシリーズを気に入っているんだかPC話を延々続けているが、そもそもの読み間違えが気になって仕方がない。

この程度でお笑い天狗になれるなら随分「笑い」というものも浅くなったもの。
故・藤本義一氏も故・香川登志緒氏も草葉の陰で泣いてる。



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渡辺直美の面白さの本質とは何か

では渡辺直美の芸はなぜ面白いのか、を考える。

渡辺直美の芸の面白さは「太っていて面白い」からではない。

それは表面的な味付けにはなっているが本質ではない。
芸の面白さの本質は「当てぶり」にある。


渡辺直美のパーフェクトビヨンセ! - YouTube

当てぶりは、音に合わせて体や顔を動かすことで笑いを生む芸。
見た目と声が合っていない。
いや合っていないようで合っている、だから面白い。

当てぶりといえば、一部で有名なのは底抜け……古坂大魔王の

この当てぶりネタを見るとよくわかる。

当てぶりというのは、音と本来あるべき動きが異なる。
音声情報と視覚情報が違う。
違うが、無関係ではなく繋がりつつもズレが生じている。

笑いというのは、ズレ(振幅)による緊張と緩和が生むもの(桂枝雀理論)ですから

音と動きが合っていない→緊張、不安定
音と動きの意味は微妙に(違う意味で)合っている→緩和、安定

この振幅が笑いになる。
渡辺直美の場合、見た目と声が合っていないからそこでズレが生じるが、しかし動きをビヨンセに似せようとしているからそこで安定→緩和が生まれそこで笑いになる。
もちろん過剰にやっている(カリカチュアライズ)した笑いというのも存在している。
太っている人が踊っているから面白いのだ、なんていう短絡的な芸ではない。

なぜ日本人のテレビ視聴者が渡辺直美さんの芸を見て笑うかというと渡辺直美というアジア顔の人が

太っていて

日本人らしくない動き(黒人女性アーティスト)

を激しくする

という点にあると思います。
(中略)
もちろん、お笑い芸というのは単純に分解できるものではないので、それだけではないですね。彼女の振り付けやタイミングの技術の高さに純粋に感心して見ている視聴者の方も日本にはいると思います!

http://www.pen-online.jp/blog/t-kondo/1428109471/

ポリティカルコレクトネスは置いといて、まずこの短絡的な見解からずれている。
当てぶりに対する見解が浅すぎる。
太っていて似せてバカにしているから面白いのだ、のわけがない。

渡辺直美の芸が単にこれだけなら、古坂大魔王の冒頭の芸も同様に何かしらのPC的な視点の笑いの要素が必要になる。
しかし小坂の当て振りにはPC相当の要素がない。
でも面白い。
当てぶりに必ずしも差別的な要素は必要としない。

めっちゃほりでい


松浦亜弥 はるな愛 前田健 本人の前でエアあややを披露!まさかのコラボにくそ爆 ...

こちらのはるな愛はどうだろう。
特にブサイクでもない はるな愛があややの声に合わせ当てぶりを行う。

日本人はこれを面白く感じるが、ここにPC相当の差別的な要素はない。
アジア人顏のはるな愛がアジア人のあややの当て振りをしてそれで面白い。
どこかに外人の要素や、どこかに身体的な差別観があるのかしら。
太っているから面白いのか?何かをばかにしている?
ポリティカルコネクトネス?はて???


以前、ワールドダウンタウンという番組があった。

ワールドダウンタウンの場合、スタジオの白人役者と同時通訳風に話すビビる大木の声との関係は、声に合わせて役者が動くという主客の逆転が発生していてそこにズレが発生しているから面白く感じる。もちろん海外の過剰に明るいカリカチュアライズされたキャラクターという要素もあり、そこに面白さがある。
こういった作り込んだ笑いは複数のレイヤーで成立している。


日本の笑いの構造とアメリカの笑いの構造は異なるもの。
なのに

アメリカで受けない=ポリティカルコネクトを考えないからだ

なんだこれ。

単純に考え、捉え間違いで持論を展開するから他の類似芸を挙げただけで破綻する。
よくこれで脚本家だのやってる……。
笑いとか知識もなく、わからないのに語らないほうがいいと思うんだが。

あれだけ次々ドヤ顔で記事を書けるのなら「それPCじゃないから」という読み手のコメントを読んでないんだろう。

まとめ(笑いの主従)

笑いとは受け手と送り手によって成立する。
受け手がいなければお笑いは笑わせる相手がいないことになる。

そして浅い見解で決めつける人により「あれは差別に相当する」と言われる。
送り手が作り込んだものでも、受け手の安易な見解によるバイアスがかかることで芸の意味性が変化してしまうからに他ならない。

笑いにおいての主は送り手ではなく受け手に存在する。
芸人が笑わせるにしろ笑われるにしろ。
受け手が大声で「PCを!正しいPCを!」と叫ぶならそうするしかない。
たとえそれがどれだけ見当はずれであっても。
完全にPC的に正しいコンテンツなんて作りようがないのに。
(誰かが何かで傷つくと言い切れない、そしてどこまでを許容しどこからを拒否するか、それを誰が決めるのか)

ましてや脚本書いてるエンタメのプロでこのレベル……業界の先は暗い。

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