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「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」を解読する

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※映画を観た人用のネタバレあり記事です
※長いですが、まぁGWなんで
※まだ見ていない方はこちらの記事を先にどうぞ↓azanaerunawano5to4.hatenablog.com


映画「首都決戦」を読み込んでみた。
以下は、あくまで個人的見解です。

押井守は今回の実写映画について

長編を製作するにあたり、押井監督は「コンセプトは考え直さないといけない」と思い、「パト2」が公開された93年と現在で「何が変わったか?」を考えたという。「パト2」の柘植は、東南アジア某国で、PKO部隊として派遣された際、発砲許可が得られず、ゲリラ部隊に仲間を殺されてしまったという過去があり、東京を“戦争状態”にしようとした。押井監督は「時代が変わった。今、日本でクーデターが起きることにリアリティーがない。今の時代は、テロリストはよく分からないもの。正義のためなのか? 多分違うと思う。よく分からないことを表現することが一番難しい」と考えたという。

http://news.mynavi.jp/news/2015/05/02/053/

全く新しいことをするのではなく、既存パトレイバーのリイシューを行った。
過去と現在と、その「差分」ははたしてどこにあるのか。
その差分は、柘植と灰原の「差分」でもあるのだけれど。

柘植の「戦争」と柘植の意志を継ぐもの

柘植は、敗戦から目を背けそのまま高度経済成長を果たした日本という国に対して違和感を感じる押井守の思想の具現とも言える存在。
首都決戦の中でも「敗者でありながら逃げ続ける」という表現で日本の繁栄を揶揄する。

かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺達の平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和
そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ
あんたが正義の戦争を嫌うのはよく分かるよ。かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで歴史の図書館は一杯だからな
だがあんたは知ってる筈だ。正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘吐き達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ
戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか

http://homepage1.nifty.com/~yu/p/p2.html

そんな柘植の思想は「パトレイバー 2 THE MOVIE」(以下、P2)の中、柘植の仲間だった荒川のセリフで表現されてる。
柘植の意志を継ぐ今回のテロリストの目的は、再び”不正義の平和”の中にいる日本に対し、正義の「柘植の戦争」を起こす、ということになっているが実際はどうか。



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まずP2で行われた柘植の戦争を振り返ると、
・ベイブリッジへのミサイル攻撃。

・映像を加工し自衛隊機の仕業であるように見せかけ、自衛隊と警察を対立させる。

・空自のBADGE*1にハッキングを行い虚構の空爆を演出。

・マスタードガスを搭載した飛行船を東京上空に周回させる(ブラフ込み)

・ヘリにより交通機関及び通信施設を破壊
これらの行為により東京を孤立させ戦争状況を作り上げる。
しかし今回の計画はもっと単純。
・灰原が訓練中グレイゴーストを奪取

・グレイゴーストによりレインボーブリッジをヘルファイヤで爆撃

・グレイゴーストにより特車二課を襲撃

・グレイゴーストにより警視庁を襲撃

・グレイゴーストにより都庁を襲撃(自衛隊ヘリとドッグファイト)
並べるとわかるが「柘植の戦争」は、都内で複数箇所で起こすものだったのに対し、首都決戦でのテロは全てグレイゴーストによるものに集約されている。
今回のテロは戦争状況を作る、というよりグレイゴーストによる首都襲撃という方が正しい。

次にその搭乗者である灰原零。

灰原 零

友だちはいらない。(TV Bros.新書) (TOKYO NEWS MOOK 481号 テレビブロス新書 1)

「パトレイバー THE MOVIE」(以下、P1)の主犯、プログラマー帆場 英一。
帆場について押井はメルマガでこんなことを言っていた。

本来はね、松井刑事がデータベース化から抹消したはずだった帆場瑛一の戸籍台帳を偶然手に入れて、その所在地を訪ねて行ったら墓場だったというさ。
その墓を見ると帆場瑛一は6歳だか7歳で死んでいる。
墓碑にそう書いてあるんだよ。
「じゃああの帆場は何者だったんだ?」っていう結論を投げ出す形で終わる予定だったの。
 
ーー自殺したあの帆場というのは存在したのかどうかわからないと。
 
押井:そうそう。じゃああの死んだ男は何者なんだというさ。
 
ーーもしかしたら社会的だったり集団的な悪意があのOSを生み出したのかもしれない?
 
押井:まあ、そこまでは言わないけども、あるいはそもそもみんなが想像したものと全然何の関係もないただのテロリスト。テロリストの最終的な自己完結としては……。
 
ーーああ、もしかしたら“なりすまし”でいたかもしれないということですね。
 
押井:そういう意味で言えば理想的な終わり方だと思ったの。

「世界の半分を怒らせる」第13号

今回、首都決戦に登場したグレイゴーストに搭乗する天才パイロット 灰原 零の最後と、この帆場のボツ案とが一致してる。


灰原 零と名乗る女は、自衛隊に潜りこみ天才パイロットとして頭角をあらわす。
やがてグレイゴーストを奪取、柘植の意志を継ぐ仲間らと今回の”状況”を確立するための主犯として行動。
しかし最終的に灰原は 当局に捕まらず生き残り、何処かへ消えていく。

彼女は、僕が考えた”今日性”を象徴する存在だよね。
灰原は、言ってみれば若者たちが生み出した願望のようなもので、自分たちの現実や日常と呼ばれているものを片っ端から破壊してくれる。自分たちを取り囲むこの世界を呪ってやるというか、壊してやるというか、そういう気持ちが、彼女のなかには渦巻いているわけ。

押井守「友達はいらない」

灰原 零というキャラクターは、帆場 英一のリイシュー。
人の形をした理由のない悪意として象徴の存在。

悪意は、飽きている。
だからいつもバスケットボールをつき、遊べる時を待っている。
そしてグレイゴーストのコクピットで灰原は笑う。

テロの真意

灰原 零は、虚構であり悪意の象徴である。
柘植の弟子はそんな灰原という”現代の悪意”を東京に解き放つために存在している。
そういう意味で灰原 零は、帆場というよりも帆場の作り出したHOSに近い。

テロの首謀者であり柘植の教え子である小野寺(吉田鋼太郎)は、グレイゴーストの兵站(補給)のみを行う。
他のテロ計画を計画せずグレイゴーストに襲撃の全てを集約する、というのは帆場が自身の犯罪を全てHOSに委ねたのにも近しい。

だから今回の計画は
「灰原零という現代の純粋な悪意にグレイゴーストという暴力の手段を与え、ひたすら社会に対して破壊を行わせる」
ということなのかもしれない。


もちろん灰原が自衛隊に潜入した背景には、小野寺もしくは柘植の意志が介在する。
灰原零は、何も語らない。
過去作を振り返っても、帆場は一言も言わず、柘植は思想的主犯であるにもかかわらず、その思想は荒川が語る。

今回はより一層テロの要素が前面に出ています。一番のポイントは"見えない"ということなんです。
その象徴が見えない戦闘ヘリということ。
テロの実態が見えない、もっと言えば動機すら分からない。
つまり、"敵が見えない"んです。

何となく察しがつくのは、もしかしたらあいつ遊んでいるんじゃないか、ということ。人の命どころか、自分の命も。
そうだとして、無差別にミサイルや機関砲を撃ちまくることで遊び足りうるのかと。
多分ね、足り得るんだよ。足り得る部分が"時代"なんだよ。

日本でもしテロがあり得るとすれば、政治的な要求などではなくて、一人が勝手に戦争を始めることだと思うんですよ。
すでに、現実に戦争をやっているヤツが出ている。通りがかりの人を刺しちゃったりね。
それは言ってみれば彼らにとっての戦争なんだよ。戦争なんだから、動機なんて必要ない。

http://news.mynavi.jp/articles/2015/04/30/patlabor/001.html

つまりP2は少なくとも柘植による思想の再現であり、名前が意味する(柘植行人→告げに行く人)ように日本に対して「ここは戦線の遥か後方である」という自身のメッセージだった。
しかし今回の犯行にはその思想がない。
あるのはグレイゴースト、灰原零という意味のわからない悪意による破壊行為。
これがP2と首都決戦との差分なんだろう。

鳥、犬、魚

今回もこの鳥、犬、魚モチーフは登場した。
犬は、グレイゴーストの着陸地点を捜査する公安のシーンで。

魚は後藤田と高畑のシーンで。
後藤と荒川との会話もそうだけれど、会話はいつも水辺で行われる。

そして鳥。
鳥は押井作品では犯人の象徴として登場する。
P1なら帆場のタグをつけた烏、P2なら飛行船の周りを飛び柘植の周囲を囲む。

今回は鳥が登場しない。
代わってグレイゴーストが鳥として登場している。

三対一の女の闘い

機動警察パトレイバー the Movie / Patlabor: The Movie [Blu-ray]

最後、イングラムでグレイゴーストを攻撃する。
そもそも分厚い装甲を誇る戦車ですらヘリには勝てない。
ましてや姿が見えず、旋回能力に長けるヘリに勝てる理由はなく、だから最後はエンタメでありファンタジーとしてグレイゴーストは墜ちる。

最後、通常の作品であれば、あのシーンは
機動限界を迎えるイングラム
→コクピットパネルをパージ、緊急電源で動かす
→イングラムの銃撃「当ったれ〜!」
→リボルバーカノンが正面からグレイゴーストを撃ち抜く
→墜ちていくグレイゴースト

になる。
この上記の流れは「真野恵里菜、イングラムが主人公=正義vsグレイゴースト悪」の場合。

ところが今回の実写版では
イングラムの銃撃「当ったれ〜!」
→外れる
→橋上からカーシャが銃撃
→船上から高畑 慧(高島礼子)の銃撃
→イングラムが再度銃撃
→旋回中のグレイゴーストが銃弾を受ける
→墜ちていくグレイゴースト

となっている。
これは
灰原零vs泉野+カーシャ+高畑
という女と女の戦いの図式。

もともと泉野は会ったこともない灰原に対するライバル心を燃やす。
バスケットボールをひたすらゴールするシーンでそれが描かれる。
カーシャが先頭で戦い、高畑はテロリストの脚を容赦なく撃つ。
そしてテロリストらは灰原の兵站だけをひたすら担う。

まとめ

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首都決戦はパトレイバーのリメイク、リイシューでありながら代替わりしたその差分に今の時代を映してる。
つまり柘植の戦争はもはや古びたものになり、単純な暴力〜テロが取って代わった。
それを担うのは若い世代であり、だからこそ押井からすれば「わからない悪意」の象徴として描かれる。

グレイゴーストを落とした泉野、塩原が抱き合うシーンはもちろんP1のラストシーン。
これに関し以前、押井はメルマガで

でもあの最後の野明が瓦礫の下から這い出してきた連中と再会して、遊馬が野明を抱き上げてくるくる回ったりとかまるでジブリアニメみたいじゃない(笑)。俺コンテ切ってて恥ずかしかったから。「なんでこんなことやらなきゃいけないんだ!」ってさ。
そもそもが零式と戦うなんてこと自体が無意味なんだからさ。方舟が沈んだところであの映画は終わるべきなんだもん。というか物語は終わってるの。あとは映画としていかに終えるかという、それがテーマにあるだけだよ。その限りで言えば零式と戦ってもいいんだけど、だったら零式が止まったところで終わるべきであってさ、それなのになんで全員で勢揃いして「やったやった!」で大喜びして抱き上げてくるくる回らなきゃいけないんだよ。しかもご丁寧にヘリのお迎えまで見えてさ。
ーーまあ、サービスですからそれも(笑)。
押井:初号で見てつくづく思った。「あ、ヤバいことやっちゃった」って。だか
ら『パト2』のときは誰の言うこともいっさい聞かないことに決めた。

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第13号

こう書いていたのに再度アレをやるというのは周囲に望まれるようにサービスとしてエンタメをやる大人になったということなんだけれど、それをやってから、さらにその様子を遠景で撮るあたり、監督の心理とあのグルグルとに距離があるように感じて(もしアレを嬉々としてやるなら終始接近して撮る)そこから後藤田→高畑に繋ぐあたりが押井的に腑に落ちる終わり方なんでしょう。


映画が終わって、その足で新宿中央公園へ行ってみた。
もちろんヘリは落ちてないし都庁も攻撃されてない。
でも虚構の世界で、その実際に見る空の上でドッグファイトしていたシーンを見るという体験はやはり映画の面白みなんだろう。
今回の映画で一番のアクションの目玉は、実はクライマックスのイングラムvsグレイゴーストではなく、2vs1のヘリ同士のドッグファイトだと思ったんだけれど。
あのシーンは、ほんとよかった。

GWなんで、続けて小説版を読んでます。

THE NEXT GENERATION パトレイバー TOKYO WAR 2 灰色の幽霊<THE NEXT GENERATION パトレイバー> (角川書店単行本)

*1:防空式管制システム