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4コマ漫画で1ページに4コマは悪くない

マンガ

d.hatena.ne.jp

こちらの方が4コママンガの配置について語っている。
その中で1ページに4コマだけがある「言うほどじゃないけど」を取り上げ

そうした手探りにあって『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』が良い例だとしたら、『言うほどじゃないけど』は悪い例ではないでしょうか。

この本は4コマのみではないのですが、例としてわかりやすいです。内容はさて置いても、1ページの情報量が少ないですね、悲しいです。見やすく作っているからこういう配置というわけでもないでしょう。

太字部引用者

「悪い」と言ってしまうのには、違和感を覚える。
1ページの情報量が少ない……いや、あえてだと思うんですが。




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余白の世界とコマ内の世界

男「このシャツ実はユニクロなの」
女「はい?」

女「……」

女「……」

女「え、そう見えますけど」

この作品の場合、四コマに続く五コマ目は?

男「……」

こんなリアクションのコマが続くのが一番無難に思える。
「沈黙」なんですよね。

森もり子のネガティブなマンガは最後にシニカルにぶっちゃけ、笑いを生む。
そのときにこのコマが1ページに4コマあるのと8コマあるのでは全く変わってしまう。

この作品の場合、1ページに4コマが、その後の沈黙を表現する補助にもなる。
5コマ目として続く気まずい沈黙をより一層想起できる。


もしこれが3コマならどうか?
あるいは2コマなら?


→2コマ
男「このシャツ実はユニクロなの」
女「はい?」

女「え、そう見えますけど」


→3コマ
男「このシャツ実はユニクロなの」
女「はい?」

女「……」

女「え、そう見えますけど」

速度が全く変わる。

2コマも個人的には好きですが、
と言うかひとコマで食い気味に

男「このシャツ実はユニク」
女「そう見えますけど」

と言うのも嫌いじゃない。
この場合、女性の方は背中だけで表情は見せない。


4コマの時制で2コマに渡って
「……」
「……」
が続くことで、4コマ目の「え、そう見えますけど」に繋がるための「溜め」になる。
貯めた分、気まずさが、ゆっくり重い。

時間的な沈黙の「間」に2コマ。
2コマ目と3コマ目の微妙な視点の動きと表情の変化。

言うほどじゃないけど<言うほどじゃないけど> (中経☆コミックス)

白い余白は、静謐、沈黙、洗練、シュール、間、低温。

どれにしろ失敗でも悪い例でも何でもない。
(記憶で書くけど)玉吉の「オヤジの惑星」でも1ページに四コマってあった気がする。

8コマの功罪

1ページ8コマと言うのは実はよろしくない。
当たり前のフォーマットと思われていても。

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ざっくり書いたけれど。
4コマなら上から下へ、時間が流れ話も流れ、次のページへ。
8コマの場合、1ページに縦に二つの時制が存在する。

まず右側のコマを読み下り(青)、ひとつの時制を読み終わるともう一度上に戻り(緑)再度、左のコマを上から下へと読み下る(赤)。
でもこれって右の時制を読むときに左のコマが視界に入ったり、左を読むとき右が目に入ったりして案外よくない。

1ページに時間の流れが2つあるんですよ。
一般的なマンガの場合、1つのページに1つの時制。

4コマはこの1ページに2つ、2ページで8コマ4つの時制が同時に上から下に流れると言う特殊な構造が許されてる。これはコマの視線誘導が複雑な動きをしない、シンプルに「上から下」だからこそ。

コマの大きさや形からして1ページに4コマは紙媒体ではやれない。
仮に枠外エッセイあり、変形コマのマンガで1ページに8コマでやればどうなるか……想像しただけで読みづらそうなものが出来上がる(SHADOWSKILLみたいな)。


最近ではそんな8コマであることを、あえて使うようなトリッキーな作品も出現しているので、それはそれでありだけれど、とはいえ「1ページに4コマは悪い」理由は解らない。

作者と作品の主従と時制と

ひとコマ目を見ればわかるんですが、四角い吹き出しがコマの枠線を越えてる。
この吹き出しは、作品外(コマ外)のメタに位置してる。
コマ内の時制と空間に囚われてない。

位置関係によってコマの中が過去時制で、吹き出しが現在と言う構造。

だからこそコマ内の世界を下位にして、コマ外で語ると言うことにもなる。
コマ外の作者が主(現在)、コマ内の状況が従(過去)という関係。


matogrosso.jp
こちらにしてもウェブ連載を考えれば、横長のコマは考えられた結果。

「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」と違い、こちらはコマ内外に主従がない。
どちらもコマ内で完結してる。
四角吹き出しが作者であり現在時制、それ以外が過去時制。
同じコマ内でメタレベルが存在してる。
その辺を切り分けできてるかと言うと……なかなか微妙ですが。

コマ内の作者は、読者に繋がり話しかける。
「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」の場合は、コマ外の作者は読者に語りかけてもコマ内の過去は読者とは切り離されてる。

この辺、ある意味特殊な世界なので同じようなものを並べて同列で語ると、とても具合が悪い。

「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」 コマ内→過去 コマ外→現在(作者:語り手)
「言うほどじゃないけど」 コマ内→現在
「同居人の美少女がレズビアンだった件」コマ内→過去 コマ内吹き出し→現在(語り手)

※「現在」とは読者が読んでいるときの時間を指す


どれも構造が違うんですよ。
この「コマ内外に作者がいて、メタ視点で語る」と言うのがエッセイマンガのエッセイの由縁。
中国嫁日記もナレーション的に作者が別レイヤーとして登場してる。

だとしたら「言うほどじゃないけど」を並べてエッセイマンガと言ってること自体どーなんだ?と。


そもそも違ってる気がしてならない。
作者も語りもない、過去時制もメタもない、エッセイでも無い。
これってエッセイじゃなく日常系シュールギャグじゃね?

違うものを並べて「悪い例」って言うのもなぁ……。

北欧女子オーサが見つけた日本の不思議<北欧女子オーサが見つけた日本の不思議> (コミックエッセイ)