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アニメ声優の必然的な気持ち悪さ

アニメ 映画 小ネタ

anond.hatelabo.jp
元の発言がアレなのだけど。
ここしばらく「声優の声の演技に感じる気持ち悪さ」が俎上に上る。

そもそも声優と俳優は、全く異なる。
俳優の演技は身体、表情、声、しぐさ、全てが含まれる。
それに対し声優は声だけで演技をする。
これは当たり前。


あるとき、ウチに女性が遊びに来た。
そのときたまたま吹替え版のスタートレックTNGを観ていて、確かウォーフかデータかが喋っていた。
その女性がクスクス笑うので聞いてみたところ「演技が過剰だし、声もおかしい」と言う。


TNG Edit 38 - "Riker" Episode 1 - YouTube

しかし観ていて特に違和感は感じない。
オーバーアクションなのは、アメリカのドラマなのでこんなものかと。
ましてやクリンゴンと称して顔にぺったり貼り付けた俳優とラメ白塗りでアンドロイドを演じている役者だからなおさら。
同じものを観て、一人はおかしいと感じ、一人は違和感を感じない。




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舞台の上と言う異空間

ここで舞台劇を考える。
京劇において役者は舞台映えをするために過剰なメイクを施し、歌うようにして台詞を言う。
そして歌い踊る。


覇王別姫 - 株式会社CSC企画/京劇団 - YouTube


舞台の上は、物理現実でありながら現実ではない。
舞台の上で独自のコンテクストを持つ役者により、時間や空間を越えた物語が展開される。
項羽も虞美人も実在の人物よりも明らかに過剰なメイクをする。
歌舞伎で言う隈取り、京劇で言うなら臉譜。
あれは舞台映えのためであるし、遠くからでも衣装やメイクによって役がわかる、人相を化粧として定型化した記号(符合)のようなもの。
その決まった化粧(臉譜)をする→○○と言う役である、という意味がある。


演劇のことば (岩波現代文庫)
現代劇においても過剰にアクセントを強調したセリフを話す。

しかし日常においてハキハキ明瞭に話したりはしない。
この演劇の不自然な言い方に関しては、平田オリザ氏が詳しく

従来の演劇教育が、日本語の本来の姿から見ると異様ともいえる強弱アクセントを推奨してきた理由はいくつも考えられるが、主なものは以下の二点に集約できるだろう。
 
a.近代演劇が日本に入ってくる過程で、無批判に、西洋の演技術をそのまま直輸入し、日本語の話し言葉の特徴に関する検証を怠ってきたこと。
 
b.近代演劇の黎明期においては、上演される戯曲の大半が西洋の作品の翻訳であり、またその翻訳戯曲を、金科玉条のように「上手く」発話することが求められたこと。さらにその翻訳も、現在ほどにこなれたものでもなかったこと。


私たちが一般に「新劇調」「芝居くさい」と呼ぶ、一種独特の舞台の台詞回しは、このような歴史的な背景をもとに推奨されてきた無根拠な強弱アクセントの多様に由来している。

http://www.princeton.edu/pjpf/pdf/15%20Hirata.pdf

これはテレビにおいても同じ。
もちろん舞台よりもマイクなどで声は拾えるが日常的な会話はもっと無駄が多いし、声も小さい。
実験的に勝新太郎は「警視K」で自然な日常の会話によるドラマ劇に挑戦したが、視聴者からの評価は散々だった。

勝の意図で作品にリアリティを出すため、脚本はストーリーの骨格など主要な部分だけを残し、出演者のやりとりは全編ほぼアドリブで行われている。そのため、フィルム撮りでロケーション主体の作品ながらどんな撮影状況でも音声は同時録音で行うという、テレビドラマとしては比較的特殊な撮影が行われ(現場録音が困難な場合アフレコなどの音声別録りが行われることが多い)、演者の音声が周囲のノイズと混然となり、聞き取りにくい箇所が多く存在する。また状況説明のみの演出で台詞のやりとりは俳優の個々の解釈に委ねるなど、即興性や臨場感にこだわった結果、出演者が台詞に詰まる場面も見受けられた。

警視-K - Wikipedia

脳の補填

アニメとは、記号の集積。
人間の顔やかたちとして認識できる記号の集積の画を連続させることで動かしている。

(・▽・)←笑ってる
(T_T)←泣いている

笑っているように見えたり、泣いているように見えても、実際の表情はもっと複雑で情報も多い。
しかしこの「▽」が口角の上がった口に見え、「T」これが泣いている目に見える。

そんな記号でしかない画に声を当てることで話しているように見せる。
それが声優。
多くのアニメキャラは口をパクパクさせているだけ。
言葉にあった口の開き方をしているわけではない(もちろん造り込んだ作品もある)。
そこへ声を当てることで話しているかのように感じさせる。
そのときにいわゆる「声優的な話し方」をするのは、画の補強でありリアリティの補填を行うため。

役者は身体全体で「演技」をする。
そのうち声の演技はあくまで一部。
しかし声優には声しかない。
だから声で演技をする。
その演技はだからこそ過剰で、だからこそカリカチュアライズされたものになる。

気持ち悪いのは当たり前。
その「気持ち悪さ」に、実写から欠落した演技の情報量が存在してる。
それを気持ち悪いおかしいと感じるのは、アニメ的コンテクストの外にいることに由来する。


映画の吹替えもそうだが、音声と口の動きのズレは脳内で補正する。
アニメであればアニメの、映画なら映画の、ドラマならドラマの、舞台なら舞台なりのリアリティやそれぞれの映像や表現に応じた声と言うモノが存在する。
もちろんそれはひとつではないし、製作者はさまざまに実験を行い、革新的な方法を探ったりもする。

キムタクの声優はなぜダメなのか?

以前におすぎが「役所公司って何を演じても同じだから嫌い」ということを言ってたことがある。
そういう意味でキムタクも何を演じても役より前にキムタクがいる。

キムタクの声には「キムタク」が付いてくる。
アニメを観ながらキムタクの声を聴いても後ろのキムタクが前に出てきてしまう。
これはアイドルとしては素晴らしいカリスマ性だが役者や、ましてや声優では致命的な悪性。
キムタクは何をやってもキムタク。
ホリのルックスが似ていなくても、声と話し方でキムタクのモノマネとわかる。


ただ増田の書いているように「上手下手」より、キムタクを声優に採用するならそれは「声優的な演技」ではなく「役者的な演技」を求め、その結果キムタクからは演技の多くが欠落し、観る側からは見なれた過剰ともいえる「声優演技」とのギャップに物足りなさを感じる。
上手いか下手かよりその声にイメージがどの程度くっつくのか、ともいえる。

別にもののけ姫でのモロをやった美輪明宏みたいのが声優をやるってんなら納得するけどな。

声優の演技が気持ち悪いから、キムタクを声優にとなるから異論がでる

考えてみればわかる。
美輪明宏に主婦キャラの吹替えはやれない。
美輪明宏が役者として万能と言うわけではない。

美輪明宏に見合った役を美輪明宏が演じたから評価された。
個性と役があった美輪と合わなかったキムタク。
当てられた役を個性が凌駕した美輪と、キャラが負けたキムタクと。
キムタクに演じるよう依頼したのなら、キャラにキムタクが乗っかるのは当たり前。

もちろん、上記はキムタクが演技を得意ではないことを前提にしているが。

最後に

声優魂 (星海社新書)

大塚:
アニメと一番違うのは……生身の人間ってことですよね。フィルムっていうことでは2次元の世界ですけど、生きた人間が芝居をやっているわけですから、アニメの場合は描いた絵がしゃべりますけど、生身の人間と描いた人間の違いっていうのは大きくて、生身の人間っていうのはどうしてもその人の芝居からあんまり外れられない。例えばスティーブン・セガールなんかは本人は甲高い声ですけど、声を当てるときに甲高い声を当てるよりは普通にしゃべる方が様になる。しっくりくる。そのしっくりくるみたいな所を探して行くのが吹き替える上で結構大切なんじゃないかなあ、と思いますね。そうしようと思うとまず呼吸を盗まないといけない。息が合ってると、立体感が出てくるんですよ、台詞に。息をあわせてやらないと、画面に貼り付けたような台詞になっちゃう。

一番難しいのは「生き残ること」、大塚明夫が「声優」という職業を語る - GIGAZINE


声優は特殊なもの。
俳優とは、違う特化技術。
記号論的なアニメ演出も当然特殊なもの。

なのに「演出」「演技」を混同し、役者と声優を同じ軸で計りわかった気になりやすい。
しかし決して同列ではない。

つーか、ちゃんと演技上手い俳優でさえ下手くそな場合があるからな。そりゃそうだろう、発声の仕方も違うだろうしな。
なら、声優をその気持ち悪くない演技にするよう指導すればいいだろ?そんなことも出来ないのか?嘘だろ?

声優の演技が気持ち悪いから、キムタクを声優にとなるから異論がでる

アニメを観ているひとの多くが声優に気持ち悪さを感じるなら直さなければならない。
しかし、今アニメファンは声優の演技に違和感を感じず、俳優が俳優的な発声で声優をやる方に違和感を覚える。

どちらに寄せるのか、は作品にもよるし監督にもよる。
これはどちらが正しいではなく、どちらが
「観ているひとが違和感なく世界に没入できるか?」
と言う話。

「ミュージカルは突然歌い出して気持ち悪い」
と大差ない。
セカイを共有できないひとが気持ち悪いのは当たり前。

アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本 (星海社新書)