ドラゴンボールの幼児性と非日常なモラトリアム

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昨日、この記事を読んで面白いなーとか思ってたんですよ。
とまれゲンドウと比較しちゃうのは、画龍点睛を欠いてる感じで。

ゲンドウってのは、徹底して愛欲と私欲のひとですから。
我欲のためにセカイを造り変えようとさえする。
それは悟空とはかなり違う。

悟空というか、ジャンプマンガのキャラに共通するのは父性の不在と幼児性。




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幼稚さとエロ

ドラゴンボール ソフビフィギュア 【ウーロンの願いごと】

まず悟空は父親である以前に結婚してるんですよね、チチと。
そしてチチとそれなりの行為をして悟飯と悟天が産まれてる。
二人ですよ?
でもそういう匂いを一切感じさせない。
薄い本はその辺を掘り下げるんでしょうけど。

ウーロンにしろギャルのパンティが欲しいとか、フェティズム極まってる。

ドラゴンボールのエロ担といえば亀仙人ですが、あのひとにしろパフパフですよ?
独り部屋でエアロビを見ながらハァハァ言ってるのをブルマに見られてしばかれる。
たいがいのことをしてきただろう亀仙人があの歳で到達したのがパフパフ。
若いころは馬車の車輪をアソコで持ちあげた(想像)亀仙人が今やパフパフで満足するなんて、もう起たなくなって……。

ワンピースを見てもサンジは「かわいこちゃわぁぁ~~~ん☆」と女性に飛び付き冷たくあしらわれる。
それ以上の行為になると鼻血が出る。
ルフィもハンコックが言い寄ろうが興味を持たない。
肉欲の代わりに食欲は旺盛。
現実的な恋愛や直接的な性イメージは一切ない。

もちろんこれは掲載が少年誌だからですが、キャラの幼児性とも繋がる。
幼稚なエロのパラダイムがコンテクストになってる。

暴力主義

DRAGON BALL STARTER BOOK 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)
悟空は、単に喧嘩が基準。

誰が強いか弱いか。
ヤンキーイズムな暴力評価軸に“サイヤ人”“気”などの設定、能力を持ち込んだ世界観。
非暴力の正しさはその世界にはなく、必ず敵は倒さなければならない。
倒す→殺す、ですが。
すてごろのケンカバカである悟空にとっての正しさは強さ。
そこには関係性を話し合って解決するという選択はない。

ルフィにしろ同じこと。
大人的な駆け引きはしない。
いい意味で真っすぐ、悪い意味で直情バカの暴力主義者。
金のため、利益のために何かしら策を巡らせるのは悪の役割。

武器だって使わない素手の殴りあいや対等な戦いが正しい。
クロコダイルの毒の鉤爪は悪の象徴。
ヤンキー漫画ではナイフを出す方が悪。

目的

ONE PIECE モノクロ版 77 (ジャンプコミックスDIGITAL)
悟空とルフィを比較すれば、ルフィには「海賊王になる」という目標が存在し、旅の中事件に巻き込まれ、行く手を阻む存在を打ち砕き進むロードムービー方式。
比して悟空はドラゴンボールという目標があるものの、それは最終的な目標ではない。
エピソードによって目的は変わるが、パワーインフレーションの果て、ドラゴンボールが陳腐化し生死すら容易に覆す後期の悟空は暴力バカに特化し「セカイで一番強いのはオレだ」という世界最強を探求するようになる。

これらのマンガには生活がない。
ロードムービーであるワンピースで言えば

→新たな島に到着
→島を観光など(舞台を説明)
→そこの悪を説明(暴力による悪の排除がシークエンスごとの最終目標)
→ルフィーらが解決に乗り出す
→各人のバトル(暴力的強行手段)
→解決
→次の島へ

これがワンピースの基本的な流れ。
ディテールで差は出してますが。

ルフィらは利益のために行動を行わない義賊として描かれる。
本来、海賊は商船や輸送船などから略奪を行いそれを糧にするわけですがルフィらは義賊。
バトルを中心とするワンピースにおいて基本的に生活基盤を支えるべき海賊的な経済活動は行わない。
海賊を名乗りながらもルフィは義賊的な海賊。
隠された秘宝や、ナミがどさくさで宝ものを手に入れ~などのエピソードを挟むことで生活、経済基盤を維持する描写の代替えとするから実際は海賊というより冒険家や探検家という方がよほど近い。

悟空にしろ働きもせず修行や狩りで生きていて生活は牛魔王の貯金を切り崩したりしているのかもしれないし、あるいはブルマ辺りが経済的支援をしてるのかもしれない。

ブルマ「ちょっと、孫くん!アンタ食べすぎで今月ピンチだってチチさん泣いてたわよ」
悟空「おぉ?!ほんとか。すまねぇ(笑」
べジータ「そうだぞ!お前も少しは働け!」
ブルマ「アナタが言わないで!全くサイヤ人は生活力ないんだから……アンタもよピッコロ」
ピッコロ「お……」

人間はまず生活があり、そこに事件がある。
友人が死のうが彼女にフラれようが、腹は減るし金も減る。
資本主義の中で死ぬまで働き経済活動を行い、毎日飯を食い、風呂入って、クソして、寝なきゃあならない。
これが日常。

しかしドラゴンボールやワンピースは事件のみを描き生活を描かない非日常の世界。
あの世界には日常や生活がなく事件しかないモラトリアム。
経済活動を行わなくても死ぬことはない。

だからピッコロの自動車教習所のエピソードなどでも矛盾が生じる。

一番好きなシーンは、チチが「いまどき免許のひとつも持ってねえなんて悟空さぐらいのもんだべ!」という言葉に悟空が素で「ピッコロも持ってねえぞ」と言い、「オレがそんなもん持つか!」と言うシーン。
そういえば、自動車教習所の入校には、もちろん入学金が必要であるが、もう一つ大事なものに「本籍入りの住民票」というものがある。悟空の本籍地ってどこになるんだろう?本来なら惑星ベジータだろうが、消滅してるしなあ・・やはり「東の439地区」だろうか。ピッコロなんて住民票すらないぞ。おそらくドラゴンボールの世界では教習所に入るのに住民票は必要ないんだろう。

http://ameblo.jp/be-daack/entry-10551288228.html

「自動車免許」「入学金」「住民票」は生活(日常)に属する。
空を飛べ、星を壊せる宇宙人(非日常)が運転免許(日常)をとったらという話は非日常と日常の間のズレを嗤うコメディにしかならない。

日常と非日常

HUNTER×HUNTER モノクロ版 32 (ジャンプコミックスDIGITAL)
ドラゴンボールは暴力主義な幼児性の支配するモラトリアム。
その世界において親子関係というのは日常に属する生活であり、扶養の義務すら果たさないバトルバカが父親として息子に対し尊敬できる背中を見せることはできない。

悟飯の命を救ったピッコロでしたが、悟飯と共に過ごした日々は、ピッコロを孤独から救っていた事が分かるシーンでした。


 それどころか、何よりも自分の命が大事だった大魔王が、他人の息子である悟飯の命を救っただけでなく、悟飯のその後を案じていました。

 
 この時点で、悟飯の中では、ピッコロは父親である悟空以上の存在になりました。

http://redgmcanon.hateblo.jp/entry/2015/06/08/211345

そして師弟関係としてピッコロと悟飯との関係性になるわけですが、戦いの中で父子が身をかばうから父なのだ、というのは少し安直。
父性は息子に対し背中を見せ教えるわけですが、バトルバカの親世代が教えるのはバトルしかない。
なぜピッコロか、と言えばピッコロしかいないからですよね。

実父はケンカバカで家にも帰らぬ修行の日々。
父親不在の母子家庭。
悟飯の父親代わりに、と周囲を見回せば、独身エロジジイに、独身ハゲ。
あとは結婚してるけど髪の逆立った性格に難ありのサイヤ人といろいろ落ちこぼれ独身ヤムチャ。
天津飯は、プーアルとアレがアレなのでちょっと……。
社会的に父親として子どもに何かを教える人材は皆無。

……そこそこ強いひとに弟子入りするしか。
→必然的にピッコロにならざるを得ない。

ふたりの間に感情的な「情」はあっても生き方を学ぶべき父親像はない。
ピッコロだって父親役としては不完全ですから。
緑色のナメック星人だし、触角生えてるし。
プラナリアみたいな宇宙人ですからね。

フィクションにおいてメンターたりえる存在は、主人公の成長のトリガーであり、父親という存在は大事な要素のひとつ。
少年マンガにおける父親というのは、主人公そのひとではなく主人公の親として登場するのが自然。
少年マンガは成長の物語で、成長は息子の役目。


本来、悟空は物語から退場し、次世代の主人公としての悟飯や悟天に生き方を指導しなきゃあならない。
ドラゴンボール2が始まり新たな物語が……にならない。

いつもいつまでも悟空自身が主人公。
GTでは、若返って主人公をやるという反則技まで見せた(パワーダウンのための若返り)。

さんまやタモリが引退して次のお笑いが出てくればいいのに、いつまでもさんまやタモリは最前線なのにも似てる。
だからメンターが不在にならざるを得ない。


ワンピースであればルフィーの父は革命バカなので、代替えとしてシャンクスがメンターとして登場する。

ハンターxハンターであればジンからゴンへ

道草を楽しめ 大いにな ほしいものより大切なものが きっとそっちに ころがってる

さまざまな言葉を残してる。

父の背中を追うことでゴンは成長する。
直接的な扶養関係はなくても親子として成立してる。
これは生活基盤がハンターであり、ストーリーに親と子が織り込まれているからこそ成立する(続きまだか)。

ちなみに亀仙人は師匠だが生き方の師匠ではなく、バトルに関しての師匠。
とはいえ、ほぼ筋トレですが。
それはカリン様も界王様も同様。
必殺技などのスキルを獲得する理由としてのフラグ。

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人間は成長すれば暴力以外の解決手段を学ぶ。
しかしバトルインフレーションを極めるべきドラゴンボールにおいての成長は強さの追求。
一発逆転のアイデア勝負や駆け引きによる弱者が強者に勝つロジックや成長を必要としない。

フリーザ「な、なんだと?!」
悟飯「そうさ、さっき外したのはお前をその結界に追い込むためさ」
フリーザ「き、きさま?!」
悟飯「地形で油断したな。食らえ!これは父さんの分だ!!」

伏線を張ってそれが最後に……とはならないんですね、これが。
真正面から気を撃ちあい、どっちが勝つかというスタローンのオーバー・ザ・トップ並みの根性決着が大半。

非日常と事件しかないドラゴンボールというマンガの方式と、バトルバカの悟空というキャラは、親子を描くのに相性が悪い。
だからいつまでも幼児性を保持したまま成長せずバトルをひたすら繰り返し、亀仙人はパフパフ言い続けるモラトリアム。
暴力で解決するしか手段を知らない悟空が息子に教えるのは「強くなれ」しかない。


エヴァは歪んだ独善的な父親ゲンドウとシンジとの親子関係を描きつつも、息子の葛藤の対象として父性が存在するのでバトルバカな悟空とは齟齬があるんじゃないかな?、という長い記事でした。
ゲンドウと比較するならアンドラゴラス王だと思うんですけどねー。

新世紀エヴァンゲリオン(8)<新世紀エヴァンゲリオン> (角川コミックス・エース)