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Re:孫悟空が殺した敵と殺さなかった敵

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鳥山明 満漢全席 2 (集英社文庫―コミック版) (集英社文庫 と 16-11)

yarukimedesu.hatenablog.com
なんつーのか……。

言及するのはいいですけど、ここまで読まれてないとは。
そもそもウチの記事って「ドラゴンボールにおける暴力と死」なんてテーマでしたっけ?
そんな記事を書いた記憶は一切ないし、もしそうならもっと切り口は違うはずなんですが。

表面的なことを取り上げて「ここで殺してないよ!」と言われてもね。
普段は好意的なもの以外は大概スルーしますし、答える義務もないんですが。
今日は体調が悪いってのに……。



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リングというモラトリアム(猶予空間)

もともとプロレスが好きでして。
親日、全日から始まって総合格闘技もハマって前田日明のリングスも見てましたわ。
その後WWEっていうアメリカンプロレスにハマりまして。
毎週四時間&特番も見てた。

特に好きなのがストーン・コールドやザ・ロックが現役の頃。今や俳優。

WWEが素晴らしいのは何でもかんでもリングの上で決着をつけるところ。
アメリカは訴訟大国ですがWWEの世界の中だけはリングの上で決着がつく。
契約も、誘拐も、悪魔のいけにえも。
昏睡状態で結婚させられて婚約解消をかけて試合したり。

解決手段は何か?といえば暴力ですよ。
叩き合い、殴り合い、相手を弱らせてから背中をリングにくっつけてカウントされれば勝ち。
実にシンプル。

法廷も弁護士も検事も陪審員もいらない。
それはリングの上がプロレスというパラダイムが支配する世界だから。

リングの上は現実と地続きでありながら別の世界。
そこでは暴力の意味すら異なる。
ヤクザの拳とリングの上のレスラーの拳は違うもの。
見た目は似てますけど。

「プロレスなんて野蛮ねー」という人はその差がわかってない。
現実とリングの上では支配する法則が違うのに混同して同じように考えてる。


WWE RAW 2006 - Mr. McMahon Demands An ...

たとえばHHHというレスラーはスレッジハンマーをよく持ち出すんですよ。
現実世界でそんなもん持って歩いてたら職質されるし人を殴れば傷害罪で逮捕ですよ。
でもリングの上なら許される。レフェリーが見てなければセーフ。
だって「プロレス」ですから。

元記事のタイトルに「モラトリアム(猶予空間)」と付けているのはドラゴンボールというフィクション世界において死が現実的な死と同等ではない(終わりではない)というセーフティがあるということ。

同じ漫画であろうと新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」を取り上げて死と暴力を語るのと「ドラゴンボール」を取り上げて語るのとでは全く意味が異なる。
ま、そもそも語ってないんですが。

ドラゴンボールが陳腐化し生死すら容易に覆す

と書いてるのにまた「死」と「暴力」について書かなきゃならないこの記事。
ドラゴンボール世界における死は現実世界の死と大きく異なるにも関わらず、しかもモラトリアムって書いてるのに同じ軸で語ってる時点でもう……。

ドラゴンボールでの暴力

で、暴力ですか。
なんすか?言い方が気に食わない?表現がいや?

殴ったら殴り返す、これがドラゴンボールの世界。
違います?

「ごちゃごちゃ言わんと殴りあってどっちが強いか決めたらえぇねん」

これの評価軸が暴力じゃない?
殺さなきゃあ暴力じゃない、なんてわけない。

暴力とはそもそも何か?
言っときますが為政者による人権蹂躙も暴力ですし戦争も暴力ですよ。
そして殴られたら殴り返すのも「暴力」。

「世界を救うために戦う」のは兵器だって超能力だっていい。
でもドラゴンボールの世界では武器としてステゴロを選択してる。
どうしてか?といえば敵がそういう敵だからでしょう?
巨大な宇宙船でやってきて地球を滅ぼそうとするわけでも人間のみ殺害する細菌兵器を使うわけでもない。
人型に具現化した超能力で時間を止めたり、隣の次元を行き来して引き摺り込むわけでもない。

初期が格闘&冒険漫画だったから、その選択は自然なこと。
あえて殴り合いと光線の撃ち合いになる敵が出てきて殴り合いと光線の撃ち合いを見せた。
鳥山明は世界の対抗軸として、そう描いたわけですよ。
作者は神で、ルールブックの制定者。
核兵器も細菌兵器もないが、かめはめ波や魔貫光殺砲がある世界。
通常兵器は宇宙人の殴りあいより弱い世界。

それを「暴力」と書いたんですけど?
「超能力と暴力」でもいいけど基本は殴りあい。
それにそこ主眼じゃないし。

ましてや記事は暴力に対し批判的でもない。
批判的に書いたような扱いをされても知らんがな。

偽善的に「拳と拳でぶつかり合う」言い方を変えたってやってることは変わらん。
そもそもリングの上なら許されるのと同じく、ドラゴンボールの世界はモラトリアムなんだから許される。
法も秩序も通用しない敵が相手(という設定)なんだから仕方ない。

ドラゴンボールでの死

んで、「死」ね。
物語における死は演出ですよ?

一つのエピソードで誰かしらが死を迎えればそのキャラに関しては死を選択された。
「悟空が殺してないんだ!」と言われても、事件の解決としてそこに死があるなら作品としてのオチ(解決)は暴力→死。
悟空はあくまでも物語の一部であり象徴。
まさか作中の登場人物が自由意思で行動してると思ってるとか?それはヤバい。

毎回毎回殺してるとか書いてないしー。
いや、同じもの読んでるんやからそんなこと書かへんやろw
わざわざ教えてもらわんでも知っとるわ。
リアルタイムで読んでたしアニメも見てたのに。

悟空個人云々ではなく、ドラゴンボールという物語として書いた。
あくまで「父性」がテーマだから、父性にからむ部分で悟空を取り上げてるだけで、悟空自身の暴力性云々を語ってもいない。

悟空はあくまで父性を語るため、だからこそ物語の

ドラゴンボールは暴力主義な

って書いとるがな。
読んでへんのか。
暴力主義ってのは「敵を討ち倒す」という選択しかない状況に追い込み解決する物語だからでしょう?
話し合いや駆け引きではなく、力の強いほうが正しさを持つという決着をつける。
リングの上で最後に立ってる方が勝ちってこと。

いっこいっこディテールを出して「実際はこうやって別の」「最終的に実は死んでなかった」なんていわれても、悟空は地獄でフリーザとかセルと再戦すらしてる(記憶で書いてるけど追いかけられてなかったっけ?)。
どっちにしろ
そんなモラトリアムな世界をベースに正義や死を語る意味は何???
モラトリアムだからこそ死と暴力を描けるし、少年相手にも読ませられるんじゃない?

「殺さない」選択をしている一方で、最終的に殺しているケースも多い。多くの場合は、世界の存亡や、自分の生命の危険が関わっている場合が多い。フリーザの場合は、爆発するナメック星から自分が逃れる時間も必要だったために、最後の生存のチャンスを与えておきながら、とどめを刺すにいたっている(ただし、フリーザは死んでなかった)。

セル編のラストは、特に孫悟飯は、「殺す」という言葉を多用していたように思える。しかし、「悟空にとっての正しさは強さ」という印象はまるでなかった。
ドラゴンボール全編の感想:孫悟空が殺した敵と殺さなかった敵。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

現実世界とは違う軸で描かれるのがフィクションでありドラゴンボールというモラトリアムの世界。

そもそも人間じゃなくサイヤ人。
サイヤ人の殺人行為(殺宇宙人)が人類の法に触れるかどうかの法解釈と量刑について語りたい?
そもそもどの国かもあいまいで、宇宙での暴行傷害は誰がどう裁くのかもわからないけれど。
宇宙警察とか呼んでくればまた別の話。
ジャコとかシャイダーとか。

フリーザにしろ一刀両断でそのあと殺されて、また復活して。
じゃあ、そんなフリーザにとって死って何?
人間の死と比較する意味があるほど語ることがあるとでも???
誰のどの視点で「死」というものを考えてるのかもう少し考えたほうがいいんじゃないです?

「悟空は殺してない」とさんざ書いてるが、記事に悟空は殺人者だと書いた記憶もなく、ましてや敵が死んだところで地獄で悪役はワイワイやってるわ正義の側は死んでも生き返るし、ドラゴンボールが使えないとなったらでかいドラゴンボールが出てくるわ、そんな世界の話でいったい「死」についての何を語りたいのか。

そもそもあの世界、地獄があるなら輪廻転生もあるのかね。
天使の輪がついてたしキリスト教的だけども。
……つまりこういう考証をしてるようなもんですがね、この記事。

殺すという言葉の選択なんて話題書いてた?
殺す、殴り合う、死に関しての意味性を重くおかないから成立する世界。
だからこそ幼児性がベースになる。

物語と構造

また、「ヤンキーイズムな暴力評価軸」とあるが、亀仙人は、武道にたいして「相手に勝つではなく、自分にまけないため」という意味の言葉を発している。これこそが、「ヤンキーイズム」とは真逆の言葉ではないだろうか?
ドラゴンボール全編の感想:孫悟空が殺した敵と殺さなかった敵。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

……。
亀仙人がそれをいい、物語全編をそれがテーマとして一貫性を持ち貫いているサーガであるという前提があって初めて成立するんだが。

そもそも手から光線撃つのは武道じゃないってしってるかしら。
だから武道を語ってない。
「拳児」ならわかるけど。

ヤンキーイズムというのは、ワンピースにしろドラゴンボールにしろ構造はヤンキーマンガだからですがね。
いちいち長くなるんで斎藤環氏の「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」を一読どうぞ。
世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析 (角川書店単行本)
それで納得できないなら続きは斎藤環氏とでもどうぞ。
ウチでは、こんな補足にもうリソース使いたくない。
わからなくても責任はとらない。

物語に関して構造がわからないならレヴィ=ストロースでも読めばどうかしら。
もしくは都留泰作の「<面白さ>の研究」がわかりやすい。
平田オリザ「演劇入門」あたりを読んで作劇や演出を一通り知ってからでもいい。

どちらにしろ表面的なディテールだけで話されたって何にも通じない。
(面白さ)の研究  世界観エンタメはなぜブームを生むのか (角川新書)
演劇入門 (講談社現代新書)

物語を構造的に考え「少年漫画雑誌に特徴的な幼児性を前提にしているのだから父性は付与しづらい」ということを書いたのに、趣旨と違いしかもテーマと全く違う言葉をあげつらって感情論前提で、作品内の描写やディテールで書かれても齟齬があるにきまってる。
観てるモノがまったく異なる。

暴力って好きよ、俺
それが絶対的な恐怖で戦慄なら なお、ステキ
暴力って 理に適ってたり、つじつまが合ってたり同情的である必要ないだろ
苦痛のみが全てを司る
傑作だぜ、まったく ハハハハ

鉄コン筋クリート/松本大洋

だからドラゴンボールの考察はめんどくさい。

作品世界内と現実のパラダイムを切り分けせず、混同して感情移入して語るひとが本当に多い。
前のパワーインフレーションでもめんどくさかったなぁ……。


そんなに正義と暴力と死が語りたいならザ・ワールド・イズ・マインでやればどうですかね。
少なくともドラゴンボールよりは身のある中身になるでしょうよ。
ウチは知りませんけど。

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン 1巻(1)<真説 ザ・ワールド・イズ・マイン> (ビームコミックス)