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金と暴走と善意と 映画「紙の月」

映画

紙の月

バブル崩壊直後の1994年。夫と二人暮らしの主婦・梅澤梨花は、銀行の契約社員として外回りの仕事をしている。細やかな気配りや丁寧な仕事ぶりによって顧客からの信頼を得て、上司からの評価も高い。何不自由のない生活を送っているように見えた梨花だったが、自分への関心が薄い夫との間には、空虚感が漂いはじめていた。そんなある日、梨花は年下の大学生、光太と出会う。光太と過ごすうちに、ふと顧客の預金に手をつけてしまう梨花。最初はたった1万円を借りただけだったが、その日から彼女の金銭感覚と日常が少しずつ歪み出し、暴走を始める。



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平たくいえば、銀行にパートで働く主婦が若い男にハマり銀行の金に手をつける話。
監督が、吉田大八だけにシーンのレイアウトなどが非常によくできている。

大学生の光太(池松壮亮)が線路を挟んだ向かいのホームに梅澤梨花(宮沢りえ)を見つける。
→そこへ滑り込んでくる列車。
→向こうのホームが死角になり見えない中、探そうとする光太
→電車が行き過ぎるとホームには誰もいない
→光太の立つホームへの階段をゆっくり降りてくる梨花の足元
→徐々に梨花が姿を現し二人の眼が合う

このワンシーンで二人の精神的な邂逅を象徴してる。
関係性の確立を、一段一段降りていく梨花の足元を映し、二人の近づいて心の距離が表現されているから次のベッドシーンまで飛ぶ。

こんなのもある。
その後、横領が気づかれ始める。

自転車で走る梨花
→横断歩道で止まる背中。横には信号待ちのサラリーマン、OLの背中が並ぶ
→信号が変わり進み始めるが、梨花だけ進まない

このシーンでは、他のひとびとが過ごす日常と梨花はすでに違うことが表現される。
皆は同じように進み同じように働いている。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日、日常に生きる人々。
顧客の金に手をつけた梨花はもうそんな日常には戻れない。
しかし進むのも難しい。


学生時代、梨花は海外へ寄付をする。
しかし親の財布から金を盗みその金を寄付し、善意を否定される。
寄付は、汚い金で行ってはならない。
金にキレイも汚いもなく本来その行為のみが問われるはずの寄付行為がここで金の質を問われた。
この経験がトラウマとなり、梨花の行動原理を支える。

ニセモノの紙の月。
お金という存在は、価値の無いものに価値を与えた共同幻想。

銀行で体のいい「スーパー定期」などニセモノの儲け話を老人相手にセールスする。
要は銀行という共同体で甘い汁を吸うか、個人の犯罪行為で甘い汁を吸うのか。


最後、独り、梨花だけが走る。

夫も知らない、顧客も知らない、光太も知らない。
梨花の疾走に、それぞれのカットが挿入される。
彼らには日常があり、普通の日々を過ごす。
独り、梨花だけが日常から外れ走るしかない、もう止まることはできない。


『紙の月』予告篇 - YouTube