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タイトでキュートな毒舌がシュールな誹謗と中傷ではてなブックマーク

はてな ブログ

fujipon.hatenablog.com
どうも あざねです。

誹謗中傷と批判、その見極めと正しさについて。
きょうもえ氏の書く記事に使われる言葉というのは非情に鋭利な印象がある。
どぎつい、その分インパクトはある。
いわゆる“はてな”と呼ばれる文化圏に属するコミュニケーションの中にいると、そんなキツい言葉も「いつものこと」と感じる。



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あるていど固定されたユーザーがコミュニケーションをしばらくの間行えばそこにコミュニティが成立する。
“はてな村”と呼ばれるネット上の虚構コミュニティもそんなひとつ。
そこで、きょうもえ氏は毒舌使いとして知られている。だから「毒舌を許容するパラダイム」が暗黙知としてユーザー間に存在する。
はてなコミュニティに属するユーザーは、きょうもえ氏の書く言葉への許容度が高いユーザーが多い。荒ぶるのはいつもの光景。

毒蝮三太夫が「なんだこのババァ」と言うとき、その言葉に悪意がないのを知っている。
コミュニティにおいて同じパラダイムを共有し「毒蝮三太夫は毒舌」だという前提知識を共有しているからこそ許せる。
言葉自体が元来持つ正しさの是非ではない。
使われる状況、関係性、コミュニティにおいてパラダイムが確立しているのか否か。
言葉のニュアンスは幾らでも変化する。

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そこへ“はてな”の文化圏と無関係な経験則を持つユーザーが新たに“はてな”のサービスを使うべくやってくる。
新興宗教ミニマリズムの信者であり新規ユーザー。
彼らにとってネットコミュニケーションへの理解はまだ薄い。
ヘタをすればリテラシーすらまともなものを持たない。
資格を問わないネットにおける自己の発言や表現の閾値が下がった影響。

そんな彼らが“はてな”と言うある意味独自進化を遂げた文化圏において自己主張を開始する。
ネットにおいて表現することの意味も知らず、ネガティヴな反応は全て許せない。
文化(パラダイム)はぶつかり
「ブログにネガコメが!」
「誹謗中傷を受けた!!」

と騒ぐ結果になる。

名誉毀損・侮辱にあたるそうですがどう思いますか - 今日も得る物なしZ

きょうもえさんは「口が悪い」だけど「誹謗中傷」は違うよなー

2015/07/13 20:50

kanose氏のコメントが象徴してる「許容するパラダイムの中と外」。


ちょっと改めて比喩を。

どこぞの商店街に毒蝮氏がやってくる。
「なんだ、くたばりぞこないばっかり来やがって」
老人連中は笑う。パラダイムを共有してる。

しかし初めて毒蝮を見た主婦が
「なにあのひと!ひどいわ!おじいさんおばあさんに死ねだなんて!!」
と騒いだとする。
彼女はパラダイムを共有しない。
あの人だから許される、が通用しない。

では何が正しいのか?

たしかにきょうもえ氏の表現はキツイ。

しかし誹謗中傷を騒ぐ以前に、誹謗中傷の原因はなにかと言えば誹謗中傷されそうな程度のどうしようもない記事を悦に入り公開したからであり、さらに言うなら誹謗中傷の対象は、記事を自ら公開し批判を封殺しようとした行為そのものが、己自身への中傷になっていることに気付かない。
名誉棄損だ!と言っても、元々ない名誉が棄損されるはずもない。

要は「ネガコメをつけた」「バカにされた」と言うことに対して感情的に反応し既存の罪状を用いただけ。
批判だろうが誹謗中傷だろうが関係ない。
そこに深い考察なんてない。
誰かからの指摘なんて興味はない。

ちなみにfujipon氏のいう

「誹謗中傷でも、面白いからセーフ」っていうのは「いじめる側の発想」です。
むしろ、「面白い」からこそ、それが理由で許容したり、賞賛したりする人がいるから怖いんだ。


いくらその「趣旨」が「批判」なのだとしても、それを「表現」する際に、「誹謗中傷的な表現」が使われていれば、それを「批判だという理由で正当化する」のはおかしいと思うのです。

これは誹謗に入る。
理由も理屈もないのは中傷、理屈がある上で人格などを攻撃するのが誹謗。

ただ「いじめ」というワードを持ち出すのは個人的にあまり納得できない。
この手の話題で定番の表現ではあるけれど。

いじめってのは、数に関わらず「お前」に対する人格攻撃が主。
人格攻撃が主だから理由も理屈もいらない。
そこに存在するな、きもい、死ね。
バカ、ブサイク、ボケ、オタク。

「いじめ」というワードは便利で使いやすいけれどもう少し慎重に使う方がいい(ウチではあまり使いません)。
開かれた環境であるネットでは特に難しい。
「1 vs 他数→いじめだ」は短絡すぎる。
開かれたネットとハーフクローズな学校裏サイトとは違う。

「いじめ」は、長くなるのでこんなもので。

正しさを使いこなせない

ブログで言及し、書かれた記事に対し批判を行う。
これは誹謗中傷ではない。

元々公開されるブログは自由に読めるのが前提。
読むのが自由なら何をどう感じようが自由。
意見を表明するのもまた自由。
それに食ってかかるのも自由。
さらに言うならどのようなコメントがつこうが、読み手がその記事をそう読んだと言うことになるし、それは書き手がコントロールする領分ではない。自分が望むと望まざるとに関わらず反応がある。自分が気にいる反応だけを読みたいならブログはやめた方がいい。
そんなことも理解できずに
「ネガコメをつけるのはバカな暇人だけw」
となんら区別なく感情だけで煽るような勘違いの姫君はいずれ消える。


以前どこかで「バカと書けば名誉毀損になる」とキーキー騒がしく記事を書いてる輩がいたがそれは確かに正しい。
しかしその正しさは己の心の小ささをアピールしただけ。
いろいろ揉めるには本人にも原因があるのにそれを理解しない。
「オレを批判したら名誉毀損として訴えることもできる」というブログを誰が読みたい?
誰がコメントしたい?
法的な「正しさ」を自尊心を保つツールとして使ったにすぎない。


名誉毀損、誹謗中傷。
自分がどんなに馬鹿げたことを書いて披露しても、受ける批判をすべて否定すれば己の自尊心は保てる。

オレは正しい、オレは賢い。
お前らはバカだ、お前らは間違ってる。

しかしそれで守られるものより、失うものの方が大きい。

正しさは、毒にも薬にもなる。
その場で正しいことが、これからも正しいとは言えない。
杓子定規に己の正しさ、言葉の正しさを周囲に強要し自尊心を保つことは、関係性という視点では正しくない。
ハリネズミのジレンマの中で勝手に消えればいい。

己の正しさだけを主張しつづけ、己の主張を曲げず、ひたすら周囲を批判し続ける。
その先にはドロドロと底のないエゴの深淵があるだけ。

自己表現は難しい

誹謗中傷、批判を見極めるのが難しいのではない。
「はい、これは批判」「これは個人攻撃だから中傷」なんて判定は造作無い。
尺度はあってもそれを用いるべきか、否か。
違うパラダイム同士が出会ったとき、どこに正しさを見出すのか、どの正しさを優先するのか。
自己と他者とパラダイムをすり合わせ、そこに正しさが必要か否か。
それが難しい。

言葉の正しさは環境、状況、関係性、過去、様々な要因で決まる。
絶対的ではない(法は自由度が低いので明確にしてあるが)。


ブログなどネットで己の意思を披露する、と言うのは簡単ではない。
誰でも書くのは簡単だが、その先にいる読み手のことを考えていない。
思い通りにいかない。
ツイッターでゴミみたいな言葉を垂れ流すのとは違う。


ウチも含め読むに値する文章なんてほとんど見かけない。
ましてや「名誉毀損だ!!」程度の見識しかない輩の書くものに、人生を使い一読する時間をかける価値が果たしてあるのか?

キャッキャウフフでもモノを捨てた自慢でも、なんでも勝手にやってりゃあいい。
どうせブームなんてすぐに終わる。


きょうもえ氏を擁護するわけじゃあない。
ストレートな言葉は使いやすいが、脇腹ががら空きになる。
ガードは下げずに攻撃するのが常道。それを見誤ったのならそれは本人がダメージを受けて然り。

それどころか欲しいものリストで買ってもらったなら得はあっても損はない。
いいなぁ。

とりまこんなもんでどうでしょうかね。
今夜もワインを飲んでおりますが……。

※記事タイトルは宮本浩次”タイトでキュートなヒップがシュールなジョークとムードでテレフォンナンバー”改変


タイトでキュートなヒップがシュールなジョークとムードでテレフォンナンバー / 宮本 浩次for you ...

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