ブログネタの賞味期限と繰り返される石ころ売りの定期ポスト

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今日はホラー小説にしようかと思ってたんですが、昨日の記事に「こすり過ぎ」ってタグが付いてたのでやめました。
(下書きのままボツの予定)
そもそも同じ話題を続けて書くってのはブログの集客としてはあまり良くない打ち筋なんですがね。
と言うことで代替えで小ネタを。


たとえば前日なにかの話題でバズったとする。
「ヒャッハー!○○万PVだー!」




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で、翌日その続きみたいな記事を書くと、これがスベるスベる。
面白いくらいスベる。
荒らしの後の凪。

ハリウッド映画なら名作の続編はヒットするのに、ブログでは続編はほぼスベると相場が決まってる。
だから続編、補てん、第二弾記事って言うのを書くときはウケよりも「書きたいから書いてる」ことが多い。まさに自己満足。ストーンローゼズのセカンドカミング状態。
炎上の後の反省記事でバズる事はまずない。
たまに天然で燃えた後に燃料投下するひともいますが、アレはレアケース。


書いていて面白い、考えると意外と深い、底がまだある。
だから同じ話題でも書く。
ウケる、ウケないだけを考えるなら、同じ話題は続けて書かないのが正解。
それをわかった上で書いてる。

賞味期限

ネットの話題は、旬が短い。
劣化する理由は、明確。

話題がバズる→各所で同じ話題が書かれる→読む側が見飽きる→陳腐化する

さんざ書かれた話題に後追いで乗っかって斬新な視点なんてあまりない。
ほとんどが便乗PV狙いとかね。
ろくな見識も無いのに話題に乗っかって総括しようとして失敗し、コメント欄が荒れてる下品なのがいるじゃないですかー(ちらっ


昨日は最新、今日は古い、明日書けばオリーブオイル。
ミニマリストだのネガコメだの、もうすっかり陳腐化。


azanaerunawano5to4.hatenablog.com

こちらの記事にしろきょうもえ氏の毒舌についての話題ですから実はこすってるわけじゃない。
一応、批判だ中傷だと書いてるんだけれど、よく読めば「言葉の意味だけじゃなくてパラダイムのすり合わせが失敗したからだ」と書いてる。言葉単体で処理してるわけじゃなく含意はコミュニケーションツールとして使われる際の関係性で幾らでも変化する、と。

言葉単体の表面的意味でしか考えない記事はメッチャあったけど。
「ネガコメガー」としか考えられない短絡思考な記事も見かけた。
今回の話題で「はてなは老害でミニマリストは新しい考え方。だから反発する」とかいう薄い見解はどこかにあったけど(老害って意味がわかってんのか)あれよりはよくできてると思うんですけどね。

ビューティフルドリーマー

まぁ、それが本題ではない。

本題は「お前また同じこと書いてるじゃねーか」と言われたことでしてね。
「また誹謗中傷と批判の話題?あんた好きねーwww」っていう。
ずっと読んでる方はご存知かもしれませんが、話題としては、実質的に定期ポストと化してる。

このブログも2012年の末から書いてる。
独りの人間の知識なんて知れてますから日々新しい知識を仕入れてインプットアウトプットを自転車操業しない限りは同じところに着地する。
入口が違っても途中で合流するとか。

このブログもずっと読めば「あぁ、また出たよ」「あざねは、このたとえ好きだなー」って定型がある。
そりゃあひと月に30更新以上してれば話題も表現も被りますって。
だってにんげんだもの(あざね)。

外山滋比古氏の新刊レビュー欄に「新鮮味がない、他の本で書いてあったことが再録されてる」とかなんとか書いてあって。
もう外山滋比古氏も90歳を過ぎて、個人が蓄えた知識をアーカイヴとして出し残す段階ですから新鮮味だとか重複は許してあげて欲しいんですよね。
同じような趣向で本を書けばネタがかぶることもある。
知の巨人ですらネタかぶりする。
ましてや凡百のブロガーをや。

でも被り方が違うとかニュアンスやアプローチが違うとか、表現が違うとか。
何度も同じネタが出るってことは、つまりその記憶が強い、その主張をしたい、それが書きたいってことなんですよ。
平田オリザなんざ、同じコミュニケーション論と同じ逸話で何冊出してんだか。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

ウチも書く物は石ころなんすよ。
棚に石ころを並べてる。
バカげた行い。
石が好きなら集めて家で眺めていればいい。
独りで石を集めて、独りで見ていればいいのに。
誰が来るとも知れない河原に、石を並べて売ろうとしている。

陰では「あざなえるなんてブログは虫けらだ」と増田に書かれてるかもしれない。
揶揄され、匿名で「死ぬべきである」と書かれ、見返りもなくPVもない記事を延々書きつづってそれで日が暮れる。
誰に迷惑もかけずに、河原で一日風に吹かれてただ売れない石を見つめていても、増田の子供らがやってきて石を投げつけてやいのやいのと揶揄をする。

「河原で石を売っているなどキ○ガイではないか!やつはキ○ガイだ!」
「キ○ガイには石を投げていいのだ!!キ○ガイは死んでしまえ!」

石つぶてが当たって額から血を流れるがイタクもない。
増田の言うとおりキ○ガイなのだ。もうワタシは狂っているのだろう。


たまには、並べた石に価値を感じる好事家がいる。
そんな方の目に留まり、ようやく記事を書く行為に価値を感じられる。
ブクマされ言及され、かまってもらって初めてそれを実感できる。
私のことなぞはどうでもよいのです、この石を、石を買ってくださひ。
ワタシなぞ虫けらなのです。
ワタシなぞキ○ガイなのです。
それでも構ひませぬ。
ですから、この石を、石を買ってくださひ。

書く側も「これ前にも書いたなー」なんてわかってる。

あるいは「オレ、これ好きだなー」と思いながら書いてたりする。
どこかで同じ話題をまた「疑問だー」とか悩んでるを読んでまた書こうと思ったり。

実は前書いたときよりバージョンが0.1上がってるかもしれない。

だからね、同じ話題がいつも読んでるブログに出てきても「おじいちゃん、ご飯さっき食べたでしょ」と暖かく見守っていただきたいんですよ。
新しい話題を毎日毎日書くなら、もっとひとつの記事を薄くしなきゃ仕方ない。

ウチなんて頭の悪い、思考が硬直化した老害ですからね。
期待になんて添えませんよ。
本質的には、石ころ売りなんですから。


ところで晩ご飯はまだかい?

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