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ハイソでキリスト教なクラシックと庶民で黒人なクラブカルチャー

クラブカルチャー!

aniram-czech.hatenablog.com
チェコ好きさんも久々ですが。
珍しく音楽本を読んだとのこと。

ちょっと筋が悪い部分が幾つか気になったので。
※以下、時系列ではないのでご注意を



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で、さすがに全体に苦手感を漂わせている

いわく、20世紀型の音楽は「メロディーとコードによって起承転結という物語性をつくり上げるもの*1」だったのだけれど、21世紀の音楽は「音質と音圧」を重視しており、さらにそこに〈踊る〉という身体性が加わったと。これはつまり、物語という「意味」をもったものから、意味をもたない「強度」重視の型へ音楽が変化した、ということです。

私が一時期、詳しくなろうと勉強したけど結局途中で挫折したクラシックなんかは、まさしく「意味」の音楽であるといえると思います。物語性もすっごくある。だから、結局飽きちゃいましたけど、「西洋音楽史」っていうクラシックの本は何冊か見つかったし、勉強するっていう意味ではやりやすかったんですよね。だけど、クラブミュージックは基本的にドンドンしてるだけなので、まさに「音質と音圧」の音楽なんだろうなと思います。正直、なんか文章書こうと思ったら私はクラシックのほうが書きやすいですね。

もっとわかりやすいのは身体性の話で、クラシックを聴くお客さんっていうのは基本的にお行儀よく座ってると思うんですけど、クラブに来るお客さんっていうのはみんな踊ってますね。まあクラシックとクラブミュージックを対比させていいのかどうかよくわかんないんですけど、前者が20世紀的であり後者が21世紀的であるという考え方は私にとってはわかりやすいです。

前半のクラシックにおける物語性というのはいいとして。

ここで身体性と時代性を絡めてクラシックが20世紀的、クラブミュージックが21世紀的という解釈はよろしくない気がする(独自解釈ですよね、これ?)。
クラシックというものがそもそも音楽から身体性を切り離した存在であり、どちらかといえば観劇に近い。

クラブサウンドのように「踊る音楽」というのは原初的であり現代的でもある。
そこの理解は、時代で切って比較しゃうとダメなとこで。
だって踊る音楽の方が古いんですから。
クラシック音楽とクラブサウンドが繋がってて時代で変化した、ならまだしも。そこに時代性を持ってくるのは食い合わせが悪い。

踊る音楽の方を新しいと感じるのはクラシックが定型化したテンプレートを守ることを至上としたからですよ。
ロックやジャズ、ラップなどは他の音楽との融合を果たし音に対しての許容を広げた。
クラシックは、未だにクリーントーンじゃないですか。
もちろん新しい動きもあるんでしょうが。
ジャズにしろ定型化してしまったからこそ今ジャズという新しい潮流が今色々と面白い。


ロバート・グラスパー - アイ・スタンド・アローン feat. コモン&パトリック・スタンプ - YouTube

グラスパーみたいにジャズの方からアプローチし新しい方向性に広げる。


貴族が椅子に座ってクラシックを聴いてるその頃、庶民は飲み屋で歌って踊ってた。
踊らないクラシックと踊る庶民の歌は同時に存在した。
ロンドも「輪舞曲」ですからね。
身体性はあるが規定され定型化されている。象徴的な存在。

もともと音楽は市井に存在した。
そこに楽器の演奏方による区分けではなく(三味線の譜面に見られるような)ドレミのように「音を定量化し規定する」音楽理論の発展が起きる。
クラシック音楽は厳密に同じ演奏を、ノイズなどを許さずに譜面通りに、さらにはそれ以上のものを求めることになる。

で、ブルースが起きる。

ブルースは黒人奴隷の歌(フィールド・ハラー)から始まったというのが説ですが、その源流はアフリカに存在する。
クラシックの西洋的な音楽理論とは異なる文化圏の音楽。
そこから発展するジャズがインプロバイゼーションなどを含むのも当然の帰結。

クラシックというのが、音楽から身体性を切り離し、音楽理論的に音が定義され、定義された音に準じて譜面通りにきちんと演奏する、あるいは輪舞曲のようにその音に沿って踊る際も決まった踊りを踊るのに対して、ブルースやジャズなどに起源を求めれば定義されない音と定義されない踊りでありそこに身体性もあった。

(あえてのエレクトリックマイルスw)

クラブミュージックの起源をどこに求めるのか、という話なんですよ。
20世紀的、21世紀的というのが、ヨーロッパ的、アメリカ的(あるいはヨーロッパ白人的、アメリカ黒人的)という暗喩であれば、ねぇ……。


ブルースの起源は1800年代ですが、さらにその起源は原住民の鳴らす音楽だったでしょう。
ギリシャ、ローマからキリスト教に繋がる西洋圏のクラシックではなく。
独自のリズムやなまりは黒人特有の土着文化が起源。

クラシックとは違い独自発展したブルース、ジャズ。

そしてさらにラップにつながる。
アメリカのストリートで生まれた「録音された音の一部を切り取り繰り返し流す」
いわゆるサンプリングという発明。
ゴールデンエイジのATCQはジャズのトラックをラップに使う。

そしてイビザ島にドラッグカルチャーとともにサンプリング文化が持ち込まれDJが発展する。
録音された音を使い、演奏をすることなく観客を踊らせるレイヴ文化。
レイヴカルチャーがイギリスで発展するのも面白い。
この辺は確か「マシーンズメロディ」に詳しいんで気になる方はどうぞ一読を(コミックスですが)。

ハピマンなどイギリスのミュージシャンはイビザで踊りドラッグまみれになってモロに洗礼を受ける。
808STATE、ハピマン、ローゼス、ジザメリ、マイブラ。
マッドチェスターの隆盛が起きる。


Happy Mondays - 24 Hour Party People (Official ...

レイヴカルチャーが発展。
身体性と結びついた音楽というのはクラシックと絡み合うのではなく、源流が違うって感じ。

一箇所気になったのが、クラブはドラッグや犯罪の温床になる可能性があり、「お上から嫌われる」、「社会へのアンチテーゼ」の場所である*2、という記述です。

これもちょっと理解が違う。
源流が違うと考えれば。

要はジャズにしろブルースにしろ、白人文化でもなければ上流階級や体制側にはないということ。
奴隷、低所得者、芸人、ジャンキー、スラムの黒人、そして無職の若者。
お上から嫌われるのなんて当たり前の話。
ドラッグとも結びつくし、お酒とも結びつく。


音楽を聴き踊る、つまり身体性と音楽が結びつくというのは、原初的であり、音楽は聴くものだが聴くものだけではないというのがわかる。
音楽でありながら踊らない踊れないクラシックの方が異形の発展をしたとも言える。
ベースラインの有無だとも言えるかと。
形式化を重んじる貴族階級と、庶民とが聴く音楽は当然異なるわけで、そもそも源流すら違うが同じ音楽だからと並べられてしまう、そういう感じなんじゃないのかしら。
身体性を切り離したクラシックの歴史の発展はキリスト教が物語性を担い、身体性を奪ったと考えても納得行くかなー(専門外ですので想像)。

クラブやライブに行けば音圧による振動など全身で感じることになる。
周囲の人々の雰囲気や空気、そして酒やタバコ、ドラッグなどそれらの文化も全て含めてクラブカルチャー。
ドラッグによる社会へのアンチテーゼは、社会への反発ではなく社会性の否定。
そういう意味でのアンチテーゼ。
クラブ発で社会をひっくり返そうではなく、逃避であり否定だからドラッグや酒を飲み踊り享楽にふける。

物語性という意味でいえばジャズの先にテクノがあり、ここで完全に物語性が排除される。
オウテカは、伊達にテクノの極北と言われるわけじゃあない。


Autechre - Second Bad Vibel(Chris Cunningham ...

ここまで行くと果たして音楽とはそもそも何か、定義される音とは何か、にまで至る。


まぁ、クラブカルチャーって本は読んでないのでどう書いてるのかはわからない。
なんも調べずに記憶だけで書いてるので、本を読んでるチェコさんの意見の方が合ってるかもしれませんし責任は取りませんが(でもこっちの方がしっくりくるけどなー)。
とりま最後にケミカルの新譜でお別れ。

そんじゃーねー。


The Chemical Brothers - Go - YouTube

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