読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

“無難”なファッションへの遠い道のり

d.hatena.ne.jp

 前にtwitterでちょっとした話題になっていた“童貞を殺す服”なんかもそうで、ああいった服装を相応のコストをかけて購入し、選んでいる以上、そこには必ず「私はこういう人間です」というメッセージや「私はこういう人間としてみられたいです」という願望が絶対に含まれています。「どうしてその服でなければならなかったのか?」「他の、同価格帯の服ではダメだったのか?」を突き詰めて考えれば、そういう結論にしかならないんですよ。何も考えずにユニクロやしまむらの服に袖を通している者とは違って、「わざわざコストをかけてその服を選んだ(または選ばざるを得なかった)」わけで、コストを費やす背景を読み取りやすいとも言えます。こういう場合の服装とは、メッセージにほかなりません。

偉いかどうかは知りませんし、記事で言うところの無難なファッションが果たして“どこからどこまで”なんだか(医者のスーツ話かと思えば就活、DTを殺す服まで)わかりませんが。
主語が「学会のファッション」ですからねぇ...(母数がなぁ)。

(しろくま)センセー記事の指摘をざっくりと
「最近さぁ、みんな無難な服が多いんじゃね?」
と捉え、そんな“無難”に至る道を探ってみたい。



【スポンサーリンク】




ノームコアの隆盛

toyokeizai.net

まず近年のファッションで言うとノームコアが挙げられる。

ノームコアってのは、見た目はシンプルな...それこそユニクロみたいなんだけど実はこだわったアイテム。

見るからにオシャレな服は「お前頑張ってんなーwww」と思われる。
だから一見気にしてないように見せかけつつがっつりこだわっている。

たとえでよく出るのがスティーブ・ジョブズ。
いつもヨージのハイネックを着ていて、スニーカーはNB。

ファッションにこだわりがないように見えて実はある。
ファッションにおいての見た目より、質やこだわりを重視するような思想をノームコアと呼んだ。

「ふつうオシャレ」とでも言うか。
なので全身ユニクロは、ノームコアではない。


かつてのメンズファッションブームは終わりを迎えた。
長期の世界的不景気、ネットによる情報導線の変化も伴い、ファッション誌は次々と廃刊していく。

そんな中、POPEYEだけが生き残り、V字回復を果たす。

POPEYE(ポパイ) 2015年 08 月号 [雑誌]

新品価格
¥760から
(2015/7/22 12:15時点)

ネットの発達によりファッションの情報を雑誌に求める必要がなくなり消えていった他の雑誌とは違い、ファッションに参入した新しい世代が参考にするためネットにはないデータアーカイブ的な紙面作りをしたことにある。

この大幅な路線変更がPOPEYEの成功した理由。
ネットに無い過去の膨大なアーカイヴが求められてる。

コミュニケーションツール

勝負する男のロジカル着こなし術

新品価格
¥1,512から
(2015/7/22 12:37時点)

確かにセンセーの言うようにファッションとは、コミュニケーションツールとしての側面は否めない。

しかし今や社会的なコミュニケーションツールといえばSNSの方がよほど主流。

40万のサンローランのジャケットを着るよりフォロワーが4万人いることの方にステータスがある。
オシャレさより、どれだけ気の利いた一言をツイートできるかの方が大事。

物理的にオシャレを気取る事がイケているとは言い切れず
「無駄に金かけてんなぁ」
「オシャレだね(ただしイケメンに限る)」
「頑張ってんなぁwww 改造計画のビフォア??」

などと言われて(思われて)しまうことの方が多い。

ファッションというツールを嗜好する人びとは、コミュニケーションよりも、個人的な趣味としての側面が強くならざるを得ない。
ファッションは難しくなりすぎた。

幾らWEARやインスタグラムがファッショニスタに注目されているとはいえ、やはり閉鎖的コミュニティ内の話。
周囲に理解される「イケてる」ファッションより、自分が納得できる趣味的な「こだわり」ファッションの方が満足度が高い。
大人な社会的コミュニケーションツールとしてのファッションから子供な趣味ツールとしてのファッション。

無難で長く使える、流行に左右されないアイテムが好まれる。
個性的なアイテムは長く使えない。

まさにノームコアも同じ嗜好にある。


一般においては、SNSが発展したことによりコミュニケーションツールとしてのファッションの価値が大きく下がった。
そこで無難なものが選ばれるようになる。

モノの価値の暴落

さらには震災の影響もある。

モノは明日どうなるかわからない。
目の前で昨日までの現実が崩れ去るのを多くの人々が目撃し、未だに心の奥底~識閾下~にその不安は存在する。
地震はさまざまなものを奪い去り、日本の価値観を大きく変えた。

高級ブランドにお金をかけていられない。
名前という無価値なものに虚構の価値を与えた「ブランド」にバブルの時代は踊り、そして震災により虚飾はすべて剥がれおちた。

必要なのは名前ではない。
名前ではなくモノ自体に己が感じる価値を。
実用的なこだわりを、歴史的裏付けのあるものを。
ブランドネームではなく、買うモノのクオリティを上げる。

趣味的な嗜好のファッションクラスタは、コミュニケーション力よりも、自分自身が満足するモノの価値(自己内)を重視する傾向を強めた。
POPEYEのようなモノの価値を載せる雑誌が売れ、アーカイヴ的知識が尊ばれ、サードウェーブコーヒーに行列ができる空気が出来上がる。
ミニマリストの言う生活の質を上げよう「QOL(Quality of Life)」も同じ方向の思考。

はみ出さない、はみ出したくない

しかし、そんなに“無難”って偉いんでしょうか?“私は無難な人間です”“私は無難な人間でありたい”ってメッセージが就活のテンプレートになり、さまざまなファッションが跳梁跋扈していた精神科医の集いまでもが“無難”に染まっていくってことは、現代社会では“無難”とはよほど大切みたいですね。

日本人は、昔からはみ出すのが苦手。
個性というワードは好きなのに実際は無難なひとが好まれる。

月額制のファッションレンタルサイトも今は人気。
マネキンみたいに上から下までそこそこ無難な服を丸っと送ってくれる。
そこにファッションのこだわりはない。
無難に、そこそこに、ファッションに個性を求めてない。

少しでもこだわりがあるなら他人のセンス任せでのレンタルサービスなんて信じられないが、こだわりがなければとりあえず無難な服で、違和感がなければそれでいい。ファッションに重きを置いてない、個性を主張する気もない。
そういう嗜好が透ける。

最後に ~個性派ファッションの復権~

ただ今本当に個性的なファッションが売れてないのか?と言えばそれは観測範囲だろ、と言わざるを得ない面もある。

たとえば原宿ならラフォーレにでも行き、GR8に1時間もいれば個性派な客が山ほどくる。
店がうるさすぎて長時間いたくないが。
新宿駅南口のオープニングセレモニーでもいい。
先日、伊勢丹のPOOLの期間限定ポップアップストアを覗きに行ったら大行列ができてた。
ファッションが好きな若者がいなくなったわけじゃない。


Moschino Fall/Winter 2015-2016 Fashion Show ...

クリスチャンダダとか、KENZOみたいなアザといファッションが受け、今やモスキーノのデザイナーにジェレミースコットが起用され、ユダヤ人差別発言で干されたガリアーノはマルジェラのデザイナーとして復帰した。
今、個性的であざといデザインが世界的に増えつつあるのはやはり上向きな景気を象徴してる気がする。

ざっくりまとめるなら、
・ノームコアの隆盛
・ファッションと言うツールの価値が暴落
・無難なのが偉いのではなく無難でないのが怖い
・無難で質のいいものを長く使う思考へのシフトチェンジ
・目立てば叩かれる風潮の影響
・しかし世界的に見れば、派手なファッションも盛り上がりつつある

といった感じ。

どーですかね。
今後、どう転がるかはわからないけれど。
現状はこんな感じかと。
にしても、なぜセンセーは不得意なジャンルに首を突っ込むのか……謎だ。