ヒトラー立身出世伝 〜入党から首相に至るまで〜

togetter.com
先日こんなまとめがあってなかなか面白かった。
個人的にヒトラー関連の本は何冊か読んでる。今もちょうど中川 右介「ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦」を読んでる。

同じく中川右介氏の「悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東
」などを参考にしながらヒトラーがナチ入党〜首相になるまでの流れをざっくり(かなり端折ってますが)まとめてみた。
見ればわかると思いますが、選挙選挙に政権闘争ばかりの混沌っぷり。

もちろんダーティな面もあったりしますが、その辺端折った詳細などは「悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東」「ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦」石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)」あたりを読んでみるといいかもしれません。
※大まかな流れだけをピックアップしてます



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ドイツ労働者党

ドイツは、第一次大戦で敗戦。
1919年6月28日にヴェルサイユ条約が連合国から突きつけられる。
領土の割譲、軍備制限などさまざまな要求がなされ中でも膨大な賠償金(1320億マルク)は有名。
この時点でドイツ帝国は大戦末期のドイツ革命により帝政からワイマール憲法の元で共和制になっている。

そんな1919年9月12日。
当時ドイツ陸軍の伍長だったアドルフ・ヒトラーは、右翼政党ドイツ労働者党に支援者のふりをし内情を探るために潜入。
スパイとして潜入したのにミイラ取りがミイラ(?)に。
例の舌鋒で討論に参加、感銘を受けた労働者党の中心メンバー ドレクスラーに入党するように誘われる。
ここからヒトラーの”我が闘争”が始まる。

1920年2月。
ドイツ労働者党は、国家社会主義ドイツ労働者党〜略称 ナチスに改称。
7月29日 ヒトラーは政党内での駆け引きに勝ちナチス党の新党首になる。

ちなみにナチス党は、ヒトラーが初めてスパイとして潜り込んだ1919年で40人を超えるほど。
1921年の党首就任時、6千人程度。
23年末には5万5千、30年末には38万9千人、31年に80万人。
1933年には120万人にまで伸びることになる(人数は「悪の出世学」から)。


さて1925年の選挙でヒンデンブルグが大統領に。
この時点で77歳。
もう少し若ければ……。

余は全能にして全知なる神の名によって誓う。余は全力を挙げて、ドイツ国民の福祉と利益の増進とに尽し、ドイツを災いより救い、憲法と法律を守り、良心的に余の義務を果たし、而して、万人に正義を布かんとするものである。故に、神よ、願わくはその僕を助け給わん事を。
パウル・フォン・ヒンデンブルク - Wikipedia

世界恐慌とナチスの台頭

経済は安定していたがそこへ世界的な恐慌の波が押し寄せた。

1929年ウォール街大暴落に端を発する世界大恐慌が起きる。
(参照)ウォール街大暴落 (1929年) - Wikipedia
この時点での首相は、前年の選挙で社民党のヘルマン・ミュラーと連立内閣。
失業対策など行うが党の支持を得られず1930年内閣は退陣。

保守派のヒンデンブルグは、国家人民党と中央党の連立政権を望んだがかなわず、中央党のハインリヒブリューニングを首相に任命する。
少数だった与党は緊急令を乱発、議会が反発。

この時点でかなりおかしい。
「大統領が言うんだから」という緊急令で政治を動かしてるんだから。
当然ながら議院内閣制が機能しなくなる。


1930年の選挙でナチス党は641万票を獲得、107議席を得て第二党に。

ヒンデンブルグ大統領の任期切れにより1932年3月、大統領選挙。
当然のようにヒトラーも出馬する。

大統領ヒンデンブルグは84歳と高齢だったが出馬した。
他に代わりがいない。出なければヒトラーが当選してしまうかもしれない。
ヒトラーとナチスは、ヤバい。

ヒトラーはもはや社会主義的政策はかなぐり捨て、労働組合批判と再軍備を訴え、富裕層、保守・右翼層からの指示を集めた。
第一回投票では、ヒンデンブルグが1866万票、ヒトラーが1133万票、テールマンが498万票、ディスターベルクが255万票となり誰も過半数に達しなかった。
四月に二回目の投票となり、国家人民党のディスターベルクは当選の見込みがないからとしてヒトラー支持を表明して立候補しなかった。その結果、ヒンデンブルグが1935万票、ヒトラーは1341万票、テールマンが370万票となり、ヒンデンブルグの再選が決まった。
悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東 (幻冬舎新書)

ヒトラーは、ヒンデンブルグに選挙で負ける。

政闘の果て

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1932年5月にブリューニング内閣が行った政策がヒンデンブルグ大統領の怒りを買い内閣が解散。
変わってパーペンが首相に指名される。
その後ろにはシュライヒャー将軍がいた。
このシュライヒャーの存在がヒトラーが首相になる一因にもなるわけですが。


反ヒトラーのパーペンは、ナチに揺さぶりをかけようと国会を解散。
7月ドイツ国会選挙が行われた。

しかしここでナチ党がパーペンの思惑に反し急伸。
1975万票を獲得、ついに230議席の第一党になる。
第二党が社会民主党133議席、カトリック中央党が75議席、共産党が89、国家人民党は37議席。

ナチ党がパーぺン首相を支持することなく、不信任案が提出され国会は再度解散。
11月に再度選挙が行われる。
また選挙……。
1932年11月ドイツ国会選挙 - Wikipedia
結果、ナチ党は196議席と議席数を減らす。首相の後任が決まらずパーペンが代理として首相を務める。
パーペンらは、ヒトラーに入閣を求めるがヒトラーは「首相以外のポストは受けない」と拒否。

ここでパーペン政権を擁立したシュライヒャーが、パーペンを見限り自らが首相になる。
悪手だが、必然とも言える。

終わりの始まり

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さて、ここで反ヒトラーだったパーペンが、シュライヒャーに裏切られたことによってヒトラーの側につく。
国家人民党党首のフーゲンブルグはシュライヒャーに内閣会改造を呼びかけるが断られ、シュライヒャーを見限る。
そしてシュライヒャーは孤立する。

ドイツ政界の大物たちは、大統領ヒンデンブルグを含め、ヒトラーを甘く見ていた。
さらには国民も、短命の内閣ばかりが続いていたので、どうせ今度の内閣も長くは続かないだろうと、半ば、ばかにしていた。
この時点では、ヒトラー政権が十二年も続き、ドイツを破滅させるとは誰も思いもしなかった。
ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦 (ベスト新書)

かくてヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命することになる。
次々変わる短命内閣と連続する選挙、そして権力闘争。
最終的には政治的な駆け引きの果て、消去法によってヒトラーに権力が渡ってしまう。

民主的な選挙により〜などではなく、ごちゃごちゃとカオスな人と人とのドロドロした関係性の結果なのがよくわかる。


そしてヒトラーは国会を解散し総選挙を行う。
ナチスはゲッペルスによる宣伝、政敵である社会民主党と共産党を争わせ、突撃隊による暴力など様々な手を使い選挙戦を展開。
しかしここでも過半数の票は獲得できなかった。

政権は共産党員を逮捕、大統領に「国民と国家を防衛するための条例」を発令させる。
そしてここから、一気に独裁へと続いていく。

よく「ナチスは選挙によって国民の支持を得て政権を握った」と言われるが、正確ではない。大統領選挙でもヒトラーは負けているし、国会の選挙でもナチスが過半数を得たわけではない。とくに、政権奪取直後のこの選挙でも過半数を得られなかったのだから、「国民がヒトラーの演説に熱狂して支持した」ことなど、実は一度もないのだ。これもまたナチスによって創られた神話である。熱狂していたのは、ごく一部のナチスの支持者でしかなかった。
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