読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「SFが難しい」というひとの話

shouwano.hatenablog.com

たとえば、刑事物のドラマ。ファンタジー映画。
激しいアクション系やホラーを除き、機会さえあればわりと面白く観られるほう。
ただ、正直に言うと、理解しきれずに終わることが多いのです。
敵と味方。駆け引き。伏線。
よそ見をしてるわけじゃないのに、話が進むにつれて人物相関図が頭の中で乱れてくる。
(中略)
ただその都度新登場する人物と、レギュラーメンバーたちとの関係性を飲み込んでるうちに、裏切ったり、あっと驚くどんでん返しがあったり、めまぐるしくて、終わる頃には「あれ?あの人はどうなったんだっけ?触れなくていいの?あ、私の知らない間に触れてた?」と内心もやもやすることがしばしば。
それでも面白いし感動もしっかりするのは、まず、とあるセリフに感じ入ったり、人物たちの掛け合い・表情のやりとりを的確に追って、感情的に、映画としての大意は捉えてるからだと思うのです

娯楽だから、どんなふうに楽しんでても自由だと思います。
ただ、話を構成する要素のハード面(構成、相関図、伏線)を的確に理解しながら観てる人はどれくらいいるんだろう、そしたら何倍も面白いのかな、
私のように感情、セリフ、演技などのブツ切りのソフト面(麺ではない)に偏った見方をしてる人は少数派なのかな、と気になる。

知り合いのことを思い出した。




【スポンサーリンク】





SFは難しい

その方はSFだとかファンタジーが大の苦手で「難しい」という。

なにが「難しい」のかわからないので聞いてみると、その世界観を飲み込めないらしい。
遥か未来、宇宙を舞台に巨大な宇宙船が小型の宇宙船を追いかけ……となると、そこで「どんな未来なのか?」が気になり、そこで止まるらしい。
前提として現実的な世界があった上での人間関係の物語であれば理解できる。
しかしその世界が空想のものになった途端、その空想の詳細が入ってこないらしい→難しい。
なので現在と変わらない近未来であれば、変更の設定部分だけわかれば世界は理解できる、のかもしれない。


一般的にSFやファンタジーを見るとき、多数の人間はスターウォーズやドラクエや様々な先行するSF、ファンタジー的世界などを前提にする。
星が光っていて金属製の物体があればそれを「宇宙船」となんとなく理解する。
回転していれば人口重力だろうとか。
ドラゴンが出て来ればファンタジー、であれば耳が尖った人間はロミュラン星人でもバルカン星人でもなくエルフだろう。
そういう処理を意識せずに行ってる。

その上で違いを修正し理解している。
しかしもし前提としてそれらがない状態であれば、一つ一つ世界の違いから把握しなければならないのかもしれない。


ひとつのディテールにこだわると次に進めない。
物語は、タイムラインに沿って次々と情報が流れる。
一つ目詰まりを起こすと次の情報が入らない、取りこぼす、それでも時間通り物語は進む。

描かれる大小の情報には、物語の理解に必要なものと不必要なものがある。
視聴者、観客は無意識にその取捨選択をしながら見ている。
映画を一本見終わり、最初から最後まで全てのカットやディテールを覚えている人間はまずいない。
(ちなみにミステリは、その情報の大小を錯誤させ物語の理解を歪める)
時間通り情報を積み重ね物語は出来上がる。
だがディテールにこだわり目詰まりを起こす見方をすると、脳内には穴あきのタイムラインが出来上がる。

だから最終的に「よくわからないけど見終わった」という感想になる。

世界の果ての通学路


映画「世界の果ての通学路」予告編 - YouTube

録画しといた「世界の果ての通学路」って映画を観た。
世界中の僻地に住む子供らが、何時間もかけて山道を歩き草原を抜け、川を渡り、馬に乗り学校へと向かう。

で、この映画は単に「学校に行くのが大変なところもあるんだよ」ってだけの映画じゃあない。
日本であればズル休みして休んだりするような教育の価値が世界によっては何時間もかかる厳しい道を超えて行くほどの価値があり、辺境であるほどその価値は上がることを描いてる。

都会の子供らにとっての教育は「義務」
辺境の子供らにとっては貴重な「権利」「可能性」「未来」

権利を持っていれば武器になる、将来は都会に住める。
あるいは生活が改善する可能性が上がる、生存確率が上がる。


Khane-ye Doust Kodjast - Where Is the Friend's ...

アッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」という映画がある。
友達の宿題を借りたまま返すのを忘れた主人公が山を越え、宿題を返しに行く話。
これもまた日本では考えられない環境でただの「宿題を返す」ことが大冒険になってる。

トラフィック、ライフライン、教育、福祉。
子供らを主人公にすることで途端にその環境の特殊性が浮かび上がる。
教師側ではなく政府側ではなく、当事者である子供らの通学風景を切り取ることで、日本の子供と比較して捉えられるからわかりやすくなる。


こういった話を単なる辺境ドキュメントとして観るのか、教育の価値を考えるのか。
貧困に悩む国の問題として捉えるのか、救う手段を考えながら観るのか。
それは人それぞれだしどれも正解というわけでもない。
単に「子供はかわいいなぁ」という子猫物語のチャトランを観るような視点の人もいるかもしれない。
とはいえ物語はフィクションであれノンフィクションであれ、数時間の物語を通じて観る人間の思考や情感に影響を与えるプログラムとして作られている。
表面的にはSFでも実は復讐の無益さを描いていたり、表面的には刑事ものでも暗喩として政治の腐敗構造を描いているかもしれない。

物語の見方

物語には複数のレイヤー(層)が同時に存在する。
描かれる要素(設定)の要不要、表面的なディテールと暗喩。

どのレイヤー、ども要素を捉えるかは人により異なるが、どれが正解だと言えるわけではない。
ただ複数レイヤーを観れば理解は深まる。
ディテールにこだわると全体やレイヤーが観れなくなる。

そういうことでしょうね。

世界の果ての通学路 [DVD]
KADOKAWA / 角川書店 (2015-01-23)
売り上げランキング: 3,836


【関連過去記事】azanaerunawano5to4.hatenablog.com