ネットでの怒りと正々堂々とした態度

f:id:paradisecircus69:20150424125805j:plain
ツイッターならリプライ、メンションは人目につくオープンな通信。

しかし一対一でやり取りをしていればその言葉はその相手だけを意識してる。
友だちしかフォローしていない、だからやり取りは友だちしか見ない。
そう思い込む。
本来ガラス張りのやり取りなのにそのことを忘れ、友人に画像などを送る。





【スポンサーリンク】




うちらの世界

いわゆる「バイトテロ」がこの認識の錯誤で起きた。
はてな界隈なら「うちらの世界」で通じるかもしれない。

さて、ネットを日々使っていればそういうことにも切り分けができるようになる。
だから自分にはそんな認識の錯誤はない。
そう思いがち、だと思う。


以前、どこかで見かけたのだけれど。
何かの批判をしてるんだが言及してない記事があった。
で、その記事に「陰口は卑怯だ」みたいなコメントが付いていた。
しかもその主はそこそこネット歴も長い。

コメント主はその陰口にコメントしてる。
陰口というのは隠れて言うものでオープンなネットに書いて不特定多数に読まれてる時点で陰でもなんでもない。
陰どころかネットに書けば道端でミカン箱の上に立って拡声器で叫んでるのと変わらない。
しょーもなければ無視され、面白ければ拍手され(いいね)、誰かを怒らせれば石が飛んでくる(炎上)。
卑怯どころかこんなにオープンな空間は現実にはない。

うちのブログにしろどこにでもあるような小さいブログだけれど、それでも日々万単位の人が読む。
ツイッターとブログの大きな差はこの「特定個人の書くものが常にそこにあり、そこで日々読まれ続ける」というところだろうと思う(フロー/ストックの差)。

正々堂々

それを陰口と受け取る。
この感覚がとても面白い。
言及して批判しろ!それが正々堂々とした行為だ!

正々堂々という感覚、認識自体が錯誤だとわかっていない。
現実世界の感覚をネットにそのまま持ち込むからおかしなことになるのに。
ネット歴が長くてもそういうひとはいる。


例えばツイッターをやっているとして
・@付きで批判される
・ツイートをRTで批判される
・エアリプ(@、RTなし)で批判される
・フォロー外で批判される
・2chなどで批判される
さて、批判を受けるとすればどれがいいだろうか?

もちろん「正々堂々」とコメントした人は、@付きでかかってこい!と思ってるのかもしれない。
個人的にはフォロー外で悪口を言う分には仕方ないし構わない。
そちらの方がよほど健康的に思える。

……正直、直接リプで文句言うやつなんて即ブロ。
めんどくさい、ダルい。
正々堂々?うるさい。
どっか別のところでやってろ。

悪口をネットに書くな!という人もいるけども、実生活で言う分にはいいがネットに書くのはダメだという切り分けもよくわからない。
実生活でも悪くいうのはダメ、ネットでもダメ。私は悪口なんて絶対言わないし思いすらしない、というならそれはすごい。ネットにいる時間ももったいないので剃髪してとっとと仏門に入って解脱してください。

普通の人間は、悪口も言うし怒りもする。
溜め込む方がよほど不健康。
それは仕方ないし、ネットにその怒りを書き込むこともあるだろう。
ダメというのもおかしい。
誰かに迷惑でもかけない限りは書きたいことを書く自由がある。

人間はどれだけ技術が進もうと、人間らしさを存分に発揮して最新技術をくだらない感情と感覚でドロドロしたものにするのが得意な生物なのだし。

ネットで怒る人

www.shortnote.jp

昔はてなダイアリーで、時事ニュースやネットで話題になった事件について、ずっと言及している人がいたんだけど、っていうとそういう人は別にいっぱいいそうだが、当人の生活や趣味の話はほぼなく、とにかくダイアリーでニュースなどをずっと批判しているだけだったのが印象的だったのだ。
(中略)
浅羽通明氏が、湾岸戦争の時の新聞投稿欄を元に「新聞投書に見る『発言したい欲望』という記事を書いているのだが、昔ならこういう人は新聞投書をしたのかも知れない。ブログという没のない新聞投書欄を得て、「ずっと怒っている人」は可視化される。

ネットという特異空間は、どんなに希望のない日常であっても誰かに読まれる可能性が常に存在する。
街角に立ち「世界は明日終わるのだ!!」と叫んでも耳を貸す人はいないが、ネットであればそれは読まれ、時には広がる。
うだつのあがらない日常で誰とも話さない1日を過ごす人でも、ネットであれば誰かと言葉を交わすのは容易。
だから抜け出せず離れられなくなる。

怒りも同じこと。
怒りは誰かに受け止められることで昇華する。
誰かに届く、その怒りを知ってもらう、共感される、理解される。
そして欲求が満足する。

だからネットはそういう人を惹きつける。

喜びは一人で満足できる。共有してもいいが共有できない喜びも多い。
怒りは共有しやすい。

一緒に悪口を言う行為は共感を生む。
給湯室で上司の悪口を言うOL的な。
共犯関係のような感覚を味わうために悪口を常に書き続けるのかもしれない。


以前、どこかの大学教授か何かが自分の発言がニュースになったとかで
「これじゃあ自由に怒ることもできないじゃないか!」
とツイートしててとても面白かった。

怒りたければ自由に怒ればいい。
ただその人は怒りそれをツイートしたらそれがニュースになった。

だから
「これじゃあ自由に怒(ってツイートす)ることもできないじゃないか!」
が正しい。

その人の中では怒ることとツイートすることが繋がってる。
怒ることはツイートするもの。
だから自由にツイートできない→怒れない、になる。

こういう感覚の人は以外と多い。

現実とネット。
感覚の差を錯誤したり、行為を同一視したりしてしまう。
その辺りに炎上する人のしくじりのきっかけがあるんじゃないだろうか。

※思いつきと雑感

コンピュータネットワークとインターネット 第6版