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【実用】ブログで「感想文」を書く方法【定番】

kansou135.hatenablog.com

人に作品や商品を紹介するとき、または紹介されたものを評価する際に必要になるものが感想です。この感想を人に上手く伝えることができれば、作品の良さや、あわよくば作品を紹介してくれた人を立てることができます。 しかし、私は作品を評価するとき、基本的に面白かったかそうでないかという感想が一番に浮かんでしまい、そこからの発展が苦手です。しかも、どこが面白かったかを言うにも時間がかかってしまいます。


(中略)

まず、浮かんだ感想は「面白かった」というもの。ただ、そのあとが続けられません。どこが面白かったかと聞かれると、主人公がギャンブルで勝つところでしょうか。 ただそれだけだと、他のギャンブル漫画と何ら変わらない感想になってしまいます。 では他のギャンブル漫画との差異はどこかとなると、主人公が女子高生であるくらいしか浮かびません。ただ、女子高生がギャンブラーなのが面白いかと言われれば、直接の要因にはなっていません。じゃあなにが面白いんでしょう? と、ここまで考えたところで感想の行き詰まりがにじみ出てきているのを感じることができると思います。


作品の感想が月並みなことしか書けない私の理由 - のほほん読書感想録

んー、まぁ感想ってのは難しいもの。

ウチも連日ウンウンうなりながら感想を書き、セルクマで終わる虚しさが定番。
感想って意外と手間がかかるのに報われない。

【目次】


 



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美味しい、面白いは禁句

http://www.flickr.com/photos/79874304@N00/5908569
photo by Sister72

グルメレポーターの手法で「美味しい」という単語を使わないというのがある。
「美味しい」には、

○○が××なので→美味しい


グルメレポートに必要なのは美味しいの前段にあたる「○○が××」の情報。
だから美味しいでは伝わらない。
グルメレポートで「美味しい」の言葉でも通じるのは表情豊かだからこそ。
言葉だけのネット感想では情報が少ない。

「○○を読みました。面白かったです」

ならアマゾンにコメントしとけばいい。
あえて記事にする、というのはそれなりに語れるものがある語りたいことがあるからじゃないだろうかな、と思う。
なぜ面白いのか、どうして面白いのか、どこがおもしろいのか。
※「書けない、書きたくない、書くほどでもないのに書く」は、何のために書いてるか?という、そもそもの動機に立ち返ってしまうので割愛

だからもっと身近に例えると、スーパーのレジの横にソーセージがあって、そのソーセージを紹介する時に、すぐソーセージには行かないで、まず商店街の雰囲気、そしてその商店街の角にあるスーパー、それからスーパーに入ると、お肉屋さんがある、肉の種類、そしてレジの様子、そしてそこにある、こちらがソーセージですね、というグーーーーッと寄っていく感覚、見た目の大きいものから小さいものへと移っていくという事を意識すると、見やすいねん!これは料理でも人でもなんでも、そうやる事、そうすると全然違うから、まあ”喋りのズームイン”だな
彦摩呂レポーター塾 | 太田プロダクション

感想は、グルメレポートに近い。
単にその作品が面白かったではなく、その周辺の情報を付けるのも重要な部分。

リンク先でマンガ「賭ケグルイ」を例としているので、ウチでも自分なりに書いてみる。
果たしてどんな感じになるか。

↓↓↓↓↓↓↓

ギャンブルが支配する学園で生き残る方法「賭ケグルイ(1)」

ギャンブルマンガというジャンルには、過去にも名作が多い。
じゃんけんカードなど、さまざまな種類の独自ギャンブルによる生き残りマッチを描いた「カイジ」「ライヤーゲーム」
麻雀をベースにその強運を奪い合う極道世界「哭きの竜」

そういったギャンブルマンガの系譜に学園物の手法を取り入れたのが「賭ケグルイ」だと思う。


「賭ケグルイ」の舞台となる私立百花王学園。
ここでは、賭けごとが絶対のルール。
賭けに勝てば上位へ昇れる、負ければ下がる。
賭けと金がヒエラルキーを造るピラミッドのような世界。
ピラミッドの底辺は家畜扱いの差別すらうける。

そんな私立百花王学園へやってくる主人公 蛇喰夢子(何て名前)。

“閉鎖的な独自のヒエラルキーで統治されるコミュニティ、学校”へ訪れた“外部の人間、転校生”が立ち向かう構図はかなりの定番。

暴力のヒエラルキーを打ち砕く主人公なら「キルラキル」
資本なら「市場クロガネは稼ぎたい」
パラダイムにより作られたコミュニティを破壊、あるいは頂点を目指すのが主人公の役割。

「食戟のソーマ」でも料理のパラダイムが支配する学園にやってきた主人公は料理を使いのし上がって行く。
しかしそのパラダイムに主人公は縛られない、飲まれない。
あくまでもパラダイムのルールを利用し勝ち上がる、のし上がる、打ち倒す。
縛られないからこそ主人公は強い。

ギャンブルが絶対的ヒエラルキーのコミュニティーを舞台にバトルマンガで交わされる拳のようにギャンブルで戦い勝ち抜き、追い落とす。
それまでピラミッドの上から周囲を見下していた存在が主人公に敗れ、落ち、家畜の扱いになる。
そして勝った夢子はドS全開の表情で落ちた敵を見下す。
この構図に、読者がカタルシスを得るようになってる。

蛇喰夢子なんて名前が象徴するように二面性のある主人公はダークヒーロー的。
敵は勝つためには手段を選ばず、しかし主人公はその裏まで読み切り天運で相手を凌駕する(悪い敵は悪いことをしても勝てない)。
この「なんだかんだ策を弄そうとも天賦の才は圧倒的」という勝ち方は、ある意味ギャンブルマンガのこれまでの定番をアンチとして否定しているようにすら思えるチートとも言える。

表紙にもなってるこの表情でわかるよう決めコマの表情で魅せる。
少し下品なくらいのオーバーで蕩ける表情は、勝つことによる快楽と陶酔、賭けに狂った……賭ケグルイというタイトルを地で行く。

普通のギャンブルマンガに飽きたひとにオススメしたい。
そんな作品。

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既存タイトルの是非

http://www.flickr.com/photos/73949553@N03/8246777346
photo by MarioMancuso

……といった感じですかね。あまり上手くないですが。
なにせ一度一話を試し読みしただけなので(いいわけ
こんな話ですよね、確か。

賭ケグルイそのものに触れてる部分はかなり少なくしてみました。
類似作の構造や既存ギャンブルマンガ、学園マンガのタイトルを出すことで比較に。
ギャンブルマンガ→学園構造→賭ケグルイ、と徐々に輪を狭めるのは彦麻呂式。

ただこの「他の作品を引き合いに出す」のは上手くないやり方とも言われる。

既存タイトルを出し読み手の知識に「○○っぽいって理解して」とまる投げしてしまう。
これは自分が自分なりの表現で説明するのを端折ってるとも言える。
素人のブログでそこまで意識する必要があるかどうかは微妙ですが。

何を語るか?

マンガの場合、物語とキャラクター、そして技法や絵柄などの要素がある。

・物語の展開が絶妙
・キャラクターの描き方が深い
・コマ割りなどが独特
・絵柄が斬新

仮に褒めるとすれば、どれを褒めるのか?
物語の構造や展開がテンポよく描けてるのか、キャラクターが生き生きしてるのか、マンガ技術が卓越してるのか、絵柄が唯一無二なのか。


単に「面白い」という感想はどれなのかさっぱりわからない。
切り分けをして情報として明記する。
それが感想文ですよね。

どこのなにを書くのか?

さらにどこ、なにを書くのか、というのが次の段階。

マンガを読んですべてを書くわけにはいかない。
だったら元のマンガを読んだ方が早い。
そうではなくマンガの感想を書くときにマンガのどの部分を書くのか、というのは重要。

ディテール重視なら主人公がやってきてどんな賭けごとをするのかを詳細に書いてみる。
あるいは主人公の二面性あるキャラや表情について書いてみるとか、作者の過去作と比較するとか。
すべて書けないのだから、どの部分を切りだすのか。
これによっても大きく変わる。

ウチの過去記事(映画)を振り返ると、

azanaerunawano5to4.hatenablog.com
たとえば「インターステラー」記事なら演出にのみ絞ってる。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com
マッドマックスなら音楽と演出、そしてざっくりしたあらすじ。
ここまでヒャッハーにざっくり書く方が作品の雰囲気に合ってる気がする。
真面目に分析するのもいいですが……。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com
「少女は自転車にのって」はイスラム文化圏の独自性を書いてる。
映画の中身がその旧態然とした文化への疑問なのでイスラム文化圏を書くのが相当。
演出を語ってもなんか違う。

一応自分なりに「この作品ならこれ」と考え、あまり同じにならないようにしてる。
 
 

感想かレビューか

http://www.flickr.com/photos/25925846@N04/3321885683
photo by StudioTempura


レビューと言う言葉を使いがちなんだけど、ほとんど転がってるのは感想文。
ウチも含め。

レビュー、書評というのは、作品の面白さ、魅力などを要約し誰かに伝えるために書く。
自分がどう感じたか、どう思ったかを書くのは感想文。
単に主観だけでギャーギャー書くのはどこまでも感想文。

何の分析も理解もない自称“レビュー”もたまに見る。

引用だらけのレビュー記事とか、だったら元になった本を読むわい、と。
だから引用はやはり少ない従でなければならない。
引用が、主のペラペラ記事も多いですが。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

「思考の整理学」記事は、その辺を意識してあえて本文からの引用を使わずに書いてみたもの。
 
 

モノサシ

モノサシ、
つまり自分でなにかを語るとき、絶対的な尺度としての自分の中に比較する目安としての知識などがない、と。

私はそこまで立派な感想を言いたいわけではありません。ただ、面白いか否かのモノサシ以外が欲しいだけなのです。 しかし「感想 書き方」と検索しても、出てくるのは構成や小手先のテクニックばかり。 確かに、感想のモノサシは自分で見つけるものですから、ネットで探してもないのは当たり前だと思います。


作品の感想が月並みなことしか書けない私の理由 - のほほん読書感想録

たしかにモノサシも大事なんですが、計るにはまず切り分けないとならない。
自分の中の理解を切り分け、
次の段階としてモノサシが必要になる。
「面白い」という感想は言わば切り分けしていないブロックみたいなもの。それを計っても仕方ない。
まずブロックを別け、使う部分だけ残し、それを計る。

計れないなら自分なりに計れるものだけを計ればいいんじゃないのかなー?と思うのですがね。
まったく何ひとつ切り分けられない、計れない、というのであればわざわざひとに向けて感想を書かなくてもいい。


まぁ、なんだかんだあるんですが、こうやっていろいろ考え書いても読まれないのが感想記事。
めっちゃ面白い、超絶面白くない、なら書きやすい。
けどそこそこ面白い、普通、悪くないみたいなものも工夫してそれなりに書いて、でもやっぱりそういう作品はセルクマで終わる悲しさ。

報われなくても、自分の理解を考えてみたり、表現力の未熟さを感じたりするのも感想文だったりする。
ウケるジャンルではないけれど、書き手の技量が出やすい。
上手く書けたときは独り「ヒャッハー!」と喜び、アップしても無反応。
寿司屋で言えば通好みの玉みたいなネタ。

こんな感じでどうでしょうか。

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