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食事や料理が神の存在する行為なのが面白い

terakappa.hateblo.jp

人間が食べられるのは火を通したり、包丁で食べやすく切ったり、塩や砂糖や香辛料で味付けしたもの。誰かが言っていた(誰が言ってたか分かる人がいたら教えて)人間の歯は肉用でも草用でもなく調理したものしか食べられない用にできているらしい。つまり肉食でもなく草食でもなく調理食だということ。

人間は、果食ですね。
ゴリラやチンパンジーなどは果実を主食とする果食動物ですので、遺伝子的に大差ない人間もまた同じ。
人間の身体が、草食に出来てるというのもそこそこ知られた話。

調理というのは後天的な文化的行為。
生物学的分類に持ち込んで「調理食」というのはしんどい。
だって野菜も果物も生で食べますからね。

まぁ、ネタ記事なのでその辺は適当かも知れませんが(腐肉を食うってどこから来た話だ?)
 



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調理という儀礼

こっからは、いま思いついたことをつらつら(つまりテキトー)。

人間にとって食事や料理が特別な行為であるのは面白い。

肉であれば、その元になる命から肉というモノを切り離す。
食べるときに生きている牛や豚を考え、その屠殺を連想しない。
鶏をくびり殺したあと羽根をひんむいて焼いて出されても食べられなくなるなんて話もありますが。

調理というのは儀礼の一種でもある。
たとえば日本には庖丁儀式というものがある。

神に捧げる魚を捌く神事なのだけれど。
裁くという行為が単なる屠殺から儀式へと昇華してる。


食事は、単に食べものを摂取するだけの行為じゃあない。
コミュニケーション手段であったし、儀礼である。
調理や飾り付けを楽しみ、食事を行う空間を楽しむ娯楽でもある。

料理、調理とは素材から命や存在を切り離す行為であり、新たに料理という存在に転化する行為。
捌き、煮込み、焼くことは、本来的な殺菌や無駄にせず食べるための工夫。
鱗を落とした魚にまるまる被りつくのは抵抗があるし、ブタの丸焼きには憐れを感じる。
そこに命のやりとりがあるからこそ、宗教というシステムの関与が発生する。
 
 
世界各地にかまど神の存在があるのも面白い。
日本で言えば竈三柱神や三宝荒神。
中国なら竈神、ギリシア神話ならヘスティアーなど。
かまどという存在が、生活に密着しながらも重要な神の宿る場所だったのがわかる。
 
食事の前には手を合わせ、祈り、神や仏に感謝をささげる宗教的意味合いも盛り込まれる。
コミュニケーションの場であり、日常生活に密着した宗教的習慣でもある。
 
 

腐肉食らい

昔々、人間がまだまだ知能も弱かった時代、人間は今のハイエナのように肉食動物が食べ残したもの、つまり少し古くなった腐りかけの肉やかたい骨の中身を割って食べていた。これが人間が熟成した肉や発酵したものや骨を煮込んだスープが好きな理由なんだと思う。しかも火や道具を使うことによって他の動物では食べることのできなかったものまで食べれるようになった

ちなみに発酵食はヨーグルトであれば遊牧民がミルクを革袋に入れていたところ発酵したのが起源という話もありますし、発酵肉は好まれませんし(最近でこそ熟成肉なんてのがありますが、腐った部分はすべて切り落とす実に近代的な食べ方です)、干肉の方が起源としては古い。
スープにしたのも固い肉を煮込んで柔らかくして食べやすくする、あるいは肉汁などを無駄にしない、水増しして腹を膨らませるなどが考えられますね。
 
ま、ネタ記事なので考証の無いデタラメでもいいんでしょうが、残念ながら信じる人もいるのでマジレスを。
本気で書いてるならナトロム氏系のトンデモ案件ですが。

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