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モヒカンスタイルと閉鎖的コミュニケーションのコンテクスト相違

※横文字多め
※わかる方だけどうぞ 
 p-shirokuma.hatenadiary.com

「体験型演劇の観客」とhi_kmdさんは仰いました。そのとおりですね。はてなダイアリーやはてなブログを中心として周囲をtwitterやはてなブックマークで取り囲んだインターネット桟敷には、本当に安全な観客席は存在しません。
 
 ほら、こうやって私はブックマーカーたるあなたのご見解をブログに引っ張り込んできているわけですよ。

ということではてブが安全圏ではないという、まぁ、当たり前と言えば当たり前で、そうでないひとからすればそうでない話。

ところで以前からツイートやコメをブログに貼ると
「ツイートを吊るして」
「コメントをさらして」

と言われることがある。
 
 



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ヤツらを高く吊るせ

でもそれもおかしな話。
本来ツイートにしろコメントにしろ衆目にさらされてるのは変わらない。
鍵をかけているモノを無理矢理貼ってるわけじゃない。

要は観客席から眺めてたのがステージの演者から「さあぁ、そこのあなたこちらへどうぞー!」と観客席から急に引っ張り出されたような、あるいは特定の人ら(フォロワー)相手に話してたものが急に大音量で流されるような。
他にまぎれてた意見がひとつだけピックアップされることで
「吊るす」「さらす」
と感じるらしい。

そういった
「自分のコメントや意見、ツイートはフォローしているひとだけにしか見られない」
あるいは見られることすら意識していないというひとも多い。
実際マジョリティはそちらの感覚だろう。

こういう認識(コンテクスト)の相違がコミュニケーション齟齬や断絶の根本にある。


ブログの管理人からすれば、自分の書いてることが引用されたり、どこかで使われたりするのは当然と感じるのだが。
 
 

観測範囲と利用可能性ヒューリスティック

http://www.flickr.com/photos/22993384@N00/228000463
photo by ingirogiro

対し、そうでない人間からすればやはり違和感を感じるんだろうとも思える。
体感的な慣れでもあるし、コンテクストでもある。
もはやカルチャーでもあるんだろう。

コメント欄は観客席であり、ステージとはパラダイムが異なるのが一般的多数の認識。
ツイッターはフォロワーに向けてツイートしているのであって、それ以外の人間は普段意識していない。
 
だから仲が良くないにも拘らず(SNSなどによって相応のコミュニケーションがない関係性)ブログにコメントを引きずりだし、ツイートをさらし、idコールを行い、ブログに言及するというスタイルは旧はてな的コンテクスト。
マウントポジションからの打ち下ろし、モヒカンと言われるスタイルに認識されてしまう。
旧来的マイノリティのコンテクスト。

はてな的作法(旧来的はてなコンテクスト)が“モヒカン”と揶揄されてしまうのは、そのコンテクストが一致(認識)しない相手であれ強制的にその場に引きずり込んでしまうからに他ならない。
発言や発表に対し言及し批判するなんて本来当然なんだけれど、その認識の無い人間からすれば「批判は悪」「はてな民は凶暴」というよくわからないステータスを与え、それでわかった気になれる。
コンテクストを理解していないユーザーが、はてな民だのモヒカンだの口にするとき、その概念は理解がなくても意味が違っても、残念ながら相応に機能してしまうブラックボックス。
 
 
(観察範囲において)クローズドサークルでの仲良し相手とだけ頻繁にコミュニケーションを行い、サークル外の他者から批判を受ければ思考を硬直化させ「批判する方が一方的に悪い」理論を展開するという、近年よく見かける対魔女狩り(笑)閉鎖的スタイルは、イマドキの「開かれているが閉じている関係性のコンテクスト」を(利用可能性ヒューリスティックに)用いることで自己正当化しているようにも思える。

平たく言えば「(何が正しかろうが)聞く耳を持たない」ってことで。
閉鎖的な関係性の神を信じるひとに神の不在を説いても仕方がない。
勝手に閉じこもってりゃあいい。
 
 

体験的インターネット処世術

逆に言うと、はてなブックマークやtwitterの観客席に適応しきっている連中ってのは、鳩のような面構えをしていてもそれなりしたたかなんでしょう。そしてブログやtogetterで剣闘試合が行われている最中も、はてなブックマークやtwitterの観客席では、観客同士の間で密やかな争いが行われています。もし、観客席に迂闊なアカウントがいようものなら、ザリガニの共食いのようにバリバリやっちゃうんですよ。
 
 怖ろしいですね、はてなブックマーク。
 恐ろしいですね、twitter、そしてインターネット。

しかし、こういうコンテクスト(カルチャー)というのは、体験的に学ばざるを得ない。
マニュアルがあるわけではない。
教習所もない。
はてブの使い方も、ブログの書き方も。

ブログ教室や有料サロンなんてものに金を払い、何の実績もない素人の方法論に耳を傾けることになる。
そういうひとらにとってのマニュアルは偏ったものだが、それのみを参照する以上それが聖典となり、独自の閉鎖的コンテクストが形成される。

たとえば
SEOが絶対、PVが至上。
そんな価値観に何を話しても相入れる事はない。
ある種新手のサギ的だが(資格も実績もいらない。声がでかければ正しいセカイ)カモは尽きることなく日々参入し続ける。
 
ひとによっては手を組みクローズドサークルを形成し、
またあるときは発狂し、燃えあがり、疲れ果て、消えていくことになる。
 
 

参照アーカイブの欠落

ネットにおいて必須参照すべきアーカイブの欠落がコンテクストの相違を生み、数々の悲劇を巻き起こす。
コンテクストはリテラシーの一角だが、それを拒否してもやってはいける。

「半年ROMってろ」は定番だけれど、ネット上においてSNSなどの普及により発言の閾値が下がった。
もはや旧弊的な「半年ROM」は、事実上形骸化してる。
 

「仲良しサークル」トーチカを造り閉鎖的に生き伸びるモノもいれば、塹壕から不用意に飛び出し銃弾を浴びる新兵をニヤニヤと双眼鏡を覗く古参兵もいる。
右も左もわからない新参者を騙しカリスマとしてぷち宗教を造り出す輩だっている。 
「批判は悪だ」「閉じこもって仲良しでやっていこう」を叫ぶブログが絶対的経典になってる。
そんなアホみたいな光景もそこここで展開される定例行事。
 
ま、どれが正しいかなんざ知りませんし、正しさなんてない。
相対的に自己認識が正しいと思う人間で関係性は出来上がっているのがよくわかる。

一般にインターネットは開かれていると思われているが、ネットユーザーの関係性や意識・認識は開かれていない。
曖昧なコンテクストを参照し閉鎖的な関係性のユーザが闊歩するのが、実際上のネットの世界だろう。

コンテクストすら一致しないのに赤の他人に話なんざ通じるわけがない。
 

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