思考と“記憶の宮殿”

※あまり文章を直さずにまま
※思考にまつわるエトセトラ

togetter.com
こういう答え合わせの難しいことは、面白い。

思考のやり方は、それぞれのひとより大きく異なる。
クオリア(っぽい)と同じでそれぞれに自分なりのやり方があり、自分のやり方こそが唯一無二。
答え合わせはない。

ちょっと思ったことを。





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アウトプット

人間は自分の外には出られないし、他人の思考を直接覗きこむことはできない。
文字や絵画や言語などに変換した共通記号によって連絡を行う。
一度変換すればそれが正しく伝わることはまずありえない。
 
 
たとえばこうやってブログに文章を書いているわけだが、何も下書きをしているわけでもないし、思考と同等の速度でこれを打ち込んでいる。

文字化ではなく音声化している。
ナレーション、アテレコ、読みあげ。
思考、あるいはアウトプットの間に表記文字への変換は発生しない。
考え浮かんだ声のままを打ち込んでいる。

まず打ちこんで、読みなおし、文章の前後を入れ替え、削ったりしている。
何かしらテーマがあれば、それを考え、ある程度、目鼻を付け、次いで書きつつ文章にする。

前もって文章を考えているわけではない。
キーワードやそれを含むセンテンス、あるいはなんとなくそこへ至る筋道のようなものを漠然と考えて、書いて行く。
即時的な思考法は、リアルタイムに文章を生成するが全体像が見えない。
だからこそ一度書きだし、そのあとで文章全体を眺め整理し直すやり方があっている。

多分、一度箇条書きなどで要素を書き出さないと思考全体をアウトプットできないひともいるんだろう。

もちろんどれこれが絶対的でもないし正しいわけでもない。
ただ思考を「言語化」するにあたり、習うわけでもなくこういうやり方を選択したらしい。
 
 

記憶の宮殿

ここからは、少しそれて記憶の話。

いわゆるドクターレクターで有名になった“記憶の宮殿”
レクター博士の脳内には、記憶の宮殿がありその宮殿にしまってある記憶を都度引き出すことができるのだとか。

初めて読んだとき、こういう脳内の抽象を体系化し映像化して記憶するというひとが本当にいるのかと驚いたもの。
記憶系チャンピオンなどは、自分の身体と記憶する事物を関連付けたり、あるいはストーリーにすることで記憶を行う。

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図書館、宮殿、人によりいろいろあるだろうが思考を映像化し紐づけ整理してる記憶法。
どんな手段をとるのであれ、何かを関連付けるあるいは強い記憶に弱い記憶(ワード)を紐づけるのが体系化された記憶術だろうか。
 
 

読書術

たとえば小説を読む。

そういうときには、文字から映像化する。
色は特にないが、あるような気もする。
映像ではあるが具象化された画ではなく抽象的な感覚が主となる映像。

カメラの画角や(カット)演出、配役もあるし、時にはアニメだったりもする。
声は具体的に誰かをあてるし、そういう映像化しづらい作品はどうにも読みづらい。
面白い作品は映像化がしやすいし、それっぽいBGMもつけたり(自然発生だが)する。

自分が登場人物ではなく、監督や視聴者の位置に立っている感覚。
あるいは主観カメラを意図して構築する。

多分、自分が同一化して読む人の方が感情移入はしやすいと思うが、自分の場合、一歩後ろに立つことで全体像が見える(感じ)。
作者の意図や視点が見えるし、仕掛けを読むなら一歩引く方がいい。
多分、ミステリ読みが長いので、こういう読み方が順手になってしまったのかもしれない。

世間によく「文章術」とか言うモノが転がってるが、最終的なアウトプットのみを扱う技術論が多く、インプットや思考の精査、整理、さらに思考法に合わせたアウトプットの手順に関しては網羅しきれないところがある。
「読書術」というものにしろそうだが、各人のクオリアが一致しないように思考も一致しない。
一致しない前提で技術ばかりを説くのは無益な気がしなくもない。

「自分の思考に対し自覚的になる」

これだけのことでも難しいと捉えるひともいるだろう。
 
 

焦点


My Bloody Valentine - To Here Knows When (Live ...

音楽の話。
 
誰かと同じ曲を聴いていたとする。

何でも構わないが何かしら聞いて、聞き終わった後にボーカルの声(音)を聴いているひともいれば、歌詞の“意味”を聴いているひともいる(歌詞には意味があるので強い)。
演奏の音、メロディ、リズム、ノイズ。
同じ音楽を聴いても、ひとつの曲を脳内で処理するやり方も、思考の割り振りも異なる
音楽は、情報がリアルタイム(即時性)でありながら重層構造的であるがゆえに、音の処理に関し一程度の指向性のある思考をもって音楽を聴くことになるし、ひとつひとつの音と音のマリアージュの両方、さらには言葉の意味性も鑑みなければ全体が見えない。 

音の場合、言葉では無いゆえに意味がなく抽象性が強いからこそ、思考に対しアンカリングによるバイアスなども強く受けるし、クリーントーンを主として嗜好する人がノイズを聴けば単なるノイズとして捉えてしまうし、反対にノイズミュージックを嗜好するひとからすればクリーントーンのような音は退屈に思えたりもする。
同じ一つの音を同じように感覚的に捉え、思考により選択するとも限らないし、その思考や感覚は一致しづらい。
 

最後に

先日、友人にパズルゲームをやってもらったことがある。

その様子を横から覗いていたんだけれど、その際の指の運びが独特で、たとえば自分であればまず最初にやらなくなるミスを何度も繰り返しやったり、あるいは可能性無視で総当たりでやってみたり、同じパズルでもひとによってこれだけ違うのかと感心した。
もちろん慣れもあるだろうが、そういう独特の運指に思考の仕方が現出している気がした。


同じ事象であれ事物であれ脳内の捉え方が違うのだから処理が一致するわけもない。
だからこそ行為も行動も異なってしまう。
感情と論理が切り分けできないひとにとってそれぞれは不一致ではないのだろうし、感情を肯定するための論理が成立し得るのかもしれない。

もちろんそういう思考は、理解できないが。

※本来であれば、音楽や記憶の辺りをザクっと削るのですが、あえて考えたままにしてみました。なので散逸してる

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