自動的な意識と自覚的な意識

※朝歩きながら考えてた雑ネタ
※当たり前のことしか書いてません

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人間はオートマチックに動くようにできている。

たとえば呼吸をするとき、そのタイミングや深さや長さを意識しなくても自動で行える。
歩くとき、歩幅や踏み込み、体重移動を意識しなくても自動で行えるようにできている。
意識しなくても動くから意識をしない。




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自動的システムと自覚的システム

裸足ランニング―世界初!ベアフット・ランナーの実用書 (ランニングBOOK)
ベアフットランニングというのは、出した足を踵からではなく爪先から落とそうと言う走法。
ヨガのブレスは鼻から息を吸い、数秒止め、吸うときの倍の時間をかけて吐き切る、そして止めまた吸う。

どれもこれも人間に備わったオートマチックな行為をマニュアルにしようと言う試み。
何も意識せず全て自動に任せると大概、大雑把な行動になる。
無意識な行動は幼いころからの教育にも大きく影響されるが、いかに無意識の行為に対し自覚的になれるか?という部分が大きい。
 
 

ファストとスロー

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
 
歩くとき自覚的に腕の振りや歩幅や足の下ろし方や踏み出し方。
あるいは、体重移動や腰のひねりを意識して歩くとどうなるか。

やってみるとこれがとても面白い。
意識すると、途端動きが不自然になる。
あるいは自分が無意識に腕や足を動かしこんな風に歩いていたのかと驚いたりもする。
 
 
ダニエル・カーネマン「ファスト・アンド・スロー」によれば、意識はシステム1と2に別れるという。
常に動いている早いオートマチックな判断(システム1)
意識して思考するマニュアルな判断(システム2)

この切り分けでいうなら、オートマチックな行為はシステム1の管理下、自覚的行為はシステム2に管理が移る。


システム1はあらかじめプログラミングされた動きをローディングするのに向いているが、マニュアル的な動作には向いていないから代わりにシステム2が支配する。
自覚的に行為を行えば(マニュアル)、自動化された無意識よりも動作を支配的に行えるが、俗に「自然に」というのはシステム1が支配的な状態を指すためにぎこちなさが生まれる。

スポーツでは反復練習が重要だが、反復練習とは自覚的な意識(システム2)を繰り返すことで無自覚な意識(システム1)に刷り込もうという試み。
本来、反射的判断を行うシステム1はコントロールが難しいが、反復練習を行うことで、システム1にある程度の支配を行える。
無意識の行動プログラミングと言い換えてもいい。
よくお茶を習っていると所作が美しいなどというけれど、これはシステム2により身体行動をコントロールし、システム1に影響を与えているからかもしれない。

システム1はオートマチックだが、管理を行っていないために冗長であったり無駄であったり、雑なことも多い。
生きものは行動を省エネしたいのが自然で、だからシステム1に任せれば無駄であったり雑だったり、あるいは弛緩しダラ
けたりもする。
俗に言う「ガサツなひと」は、行為の多くがシステム1によって行われていると思われる。

武道は単なる暴力手段ではない。
己の身体性を意識的にコントロールすることにより、無意識のシステム1が産む冗長さや無駄を修正し、身体の効率性や無意識の所作のデバックを行う意味もある。

バイアス、アンカリング

さてインターネットなど情報判断が必要な場面が多々ある空間において、ユーザーが情報を判断する際、システム1の影響は大きい。

スポーツなどにおいてシステム1に対しシステム2で影響を与えることが可能なように、無意識のシステム1は意識しない(識閾下)部分でシステム2に対し影響を与えている。
いわゆるアンカリング、先入観、バイアスとも言う。

システム1の影響は、たとえば

お○んこ

という文字列を見れば、システム1が起動し勝手に○部分に対し何かしらの文字を入れこむのは避けられない。
その後意図的に「おしんこ」と別の文字を入れこんだり、あるいは「○の中に文字を入れるとは書いていない」などと思考による修正も可能だが、システム1による無意識な挿入は自動で行われてしまう。

○は伏字であり、何かしらの文字を入れるようになっている。
そういう先入観がある。
 
 
たとえば「ブログで金儲けしたい」と思っているひとが「ブログで金儲けってどうなんだろう?」と言う疑問を提起した記事を読めば「ブログで金儲けはよくない」と書かれているように読みとりやすい。
システム1によるバイアス、アンカリングに抗するのは難しい。
先入観は、甘いものを食べれなば甘く感じるように自然で明白なこと。
だからこそ無意識に自然発生するバイアスに対し自覚的になれるかどうかが判断にも影響する。

多くの情報を見て、バイアスをコントロールするために意識的に自覚的になる。
「自分がこう判断しているのはバイアスの影響がある」
情報判断において己の判断に対し懐疑的に、バイアスに自覚的であることが重要になるが、これはなかなか難しい。

信者に論理は通じない

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己のバイアスを意識しないひとに対し反対意見を言っても通じないのは、システム1が支配的な相手の意見に対しシステム2の論理的な意見では通じないからに他ならない。
システム1は、感情や感覚に基づくバイアス(あるいはシステム1こそが感情に影響を与えバイアスを形成している)。
「そう思うからそうなのだ」という考えはシステム1のバイアスに大きく囚われているが、意識しないひとからすればその考えは絶対的に思える。 

システム1は無意識であり非言語であり、システム2は言語であり思考。
だからコミュニケーションにおいて言語を用いるシステム2を主体にする会話は、システム1の非論理な感情やバイアスによって混乱をきたす。
政治や思想、宗教などはシステム1の関与によるバイアスが大きいからこそシステム2の言語コミュニケーションで解決しえない。

だから「知らないひとと政治、思想、宗教について話してはいけない」と昔から言うんだろう。
 
と言う雑記。
特に調べていないので間違ってたらすみません。


【追記】
……と思ったらこんなツイが。




まさに今書いたことで。

システム1を排しシステム2主体で行うべき言語コミュニケーションをシステム1を主体に補強としてシステム2を使うパターン。ネットでよく見かける意見のかなりがこれをやってる。
だからこそシステム1に働きかける接待やいいひと戦略なんかは、コミュニケーション手段として有効。

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