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ネットダンジョンと「自分の領分」という護符

小ネタ WEB ブログ

cyberglass.hatenablog.com
概ねいい感じだが、ひとつ思い出したことをざっくり。
承認欲求とネットについて。




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お手軽感

http://www.flickr.com/photos/12836528@N00/14187130718
photo by kevin dooley

恵比寿☆サイトー氏の書くところのインターネットにおける承認欲求の認識は、

多くの人が見逃しがちなのは、承認欲求の肥大化はネット特有の現象ではなく、むしろ現実社会の方が熾烈な承認欲求のゲームになっていることである。

(中略)

それではなぜネットで承認欲求が取り沙汰されるのか。可視化しやすいからだ。PV、ブックマーク、コメント、スター、言及などがテキストによってリアルタイムに可視化され、現実世界では日常の交流や社交の中で隠蔽されている承認欲求がネットでは露骨に見えているだけにすぎない。

本来目に見えない承認欲求感覚が数値化され明確になるため、承認欲求=数字を求めてしまう。
 
TWITTERでは、意味なくフォロ爆でフォロワーを増やし合い、他人のツイートをパクってでもファボを欲する。
ブログでは互助的に「仲のいいブログはすべてブックマークします」と宣言し、お互いにブックマークしあうことで互いの承認欲求を満たし合う関係性(コミュニティ)を優先し、はてなの理想がどうあれはてブのホテントリはPVを求めるためだけに一日に複数書かれる薄っぺらな互助記事がノイズとなり、既にインタレストツールとしての機能としては片肺飛行が現状の死に体。

ただインターネットにおいて承認欲求が取りざたされるのは、それが資格も才能もなく誰にでも使えるお手軽なツールであり、さらに自身の持つ社会的、物理的な身体性を切り離すことが出来るからという面が強い。
どんな凡人であれネット社会では人気モノ。
ネットは(現実社会的)負け組の数少ない承認欲求充足ツール。
 
 

DARKNESS

http://www.flickr.com/photos/71267357@N06/15354060624
photo by Transformer18

ネット社会も同一である。確かに承認欲求がエスカレートして過激な意見が出てきたり、裸の写真を晒したりする人もいる。しかしネット社会全体から見たときにそれはごく一部だ。それらをもってネット社会の承認欲求が闇であることを指摘するのは早急すぎる。

ネットの闇とは何か。

物理的・社会的な狭いリーチとネット世界の遠大なリーチ。
その2つの差を錯誤して認識してしまう。
あるいは使いこなせない精神性……。
そこに闇が存在するのだろう。

ネットがメタボリズムを邁進するなか、メディアは安価な書き手を求めており、凡百の書き手としてブロガーに「ライター」というジョブが与えられ、クラスチェンジしたような錯誤を得ることもある*1
そうやってネットにより承認欲求の充実を得ることで万能感を錯誤したり、ブログを賞賛されまるで自分が素晴らしい才能を持つように思いこんでしまうことがある。

だからこそ現実世界と比較したとき、ネット世界に依存してしまう。
現実では凡百の自分が、ネットでは認められる存在。

しかし依存しすぎて、ネット世界のむき出しの自意識が攻撃されたときに対応しきれずに破たんすることもままある。
 

傷つけないコミュニティ

そこそこのPVをさらし、無根拠にお互いに褒め合い、お互い傷つけることなく承認欲求を満たしあうコミュニティを形成し歪な「正しい」価値観で形成されたモラトリアムに依存する*2

「○○さんのブログすごいですねー、カリスマですよ」
 
コミュニティの壁は高く厚く外からの意見は通らず「批判はよくない」という批判ブーメラン(本来自分の自意識やコミュニティを守るためだけの方便)を絶対の真理と信じたり、あるいは「ネットではなにを書いても自由だ」と主張しつつ他人のことを批判して見せたりする己のダブスタにすら気づかない。
この歪な精神性は、健全には程遠い闇。
 
 
省みる目が曇ってしまえば己の行動はすべて正しい。
己を認めてくれる人は全て正しく、さらに言えば己を批判する相手はすべて間違っているように思える。

他人の自由を認めるふりをしながら、単なる己の自由の担保にしているだけ。
それは謝れば死ぬからに他ならない*3
そういう病はネットで深く根を張っている。
 
 

己を思い知る

http://www.flickr.com/photos/13910409@N05/5183800114
photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋)
 kamkamkamyu.hatenablog.com
かみゅ氏の記事を挙げて「自分の領分をわきまえることは大事」に関しイチジク♥サイトー氏は、こう書いている。

記事で言っていることは分かるが、「自分の領分をわきまえることは大事」について自分は疑問を思ったので、以下のブコメを書いた。

「自分の領分をわきまえること」は日本の美徳だけど、大きな理想に燃える人がいなければフランス革命は成功せずに世界は王政に支配されていた。利休も秀吉を必要としたように理想と現実の中庸が大事だと思う

かなり広がっているので、ここではネットに限定したいが。

「自分の領分」とはいわば社会的・精神的な己の手の届く範囲。
ネット世界で拡大される社会・精神と比較すれば遥かに小さい。

そのギャップのある二つのレイヤーにおいて感覚の違いすぎる、圧倒的に広いところにまで手の届いてしまう仮想世界を果たして使いこなせるのか、使いこなせているのか。
発信は容易くなっても、それをコントロールできているのか。
 

ネットにマニュアルはない。
だから誰も彼も己の経験則でプレイするしかなく、経験則を積む「半年ROMれ」はもはや過去。
そんな素人プレイでも、己の感覚として「自分の領分」という認識をセイフティネットにすることが、ネットという自動生成ダンジョンにおけるある種のワードナの魔除けとして機能することは間違いがない。

無限に思えるネットダンジョンの闇は深く、その闇に踏み込めないレベル(精神性、知性)であれ深層階に行くこともできる。
そしてはてな村やネットの闇に生息する、ネットのディープワンズであるグレーターデーモンや忍者、バンパイアロードに出会い、抗うこともできず即死(dead)してしまう。
灰(ashed)からも復活できず、還らない(lost)パーティーは、枚挙にいとまがない。
(最近は、死んでいることにも気付かない生ける屍も多いが)
 
 

レバレッジによる拡大

p-shirokuma.hatenadiary.com

しつこく繰り返すが、私はブログや動画配信を使ってカネを儲けるなと言いたいのではない。そうではなく、「カネが欲しい」という欲求をどのように取り扱い・どこまで表現するのかに対し、もっと自覚的・戦略的であってもいいんじゃないの? デリカシーへの配慮があってもいいんじゃないの? と問いかけたいのだ。

PVが云々、アフィリエイト収入が云々というモノが危なく思えるのは、そういった感覚が「自分の領分」を越えて実力以上のモノをひたすら求めるだけの空虚なモノにしか思えないからなのだが、さまざまな人物から違和感が噴出していても自覚や疑問は無いらしい。

単に数を求めるのは「ネットで何倍のレバレッジを使えるのか?」というだけ。
本来は、己が書いた記事に対し、それ相応の適正なフィードバックがあればいい。

だがPVという数字を求め、そのノウハウだけを求めれば己の技量とのギャップに当然破たんが訪れる。
SEOなどのブログPV技術は、検索エンジンに対するチート技。
持ち株比率に合わない極大なレバレッジが危険だなんて誰でもわかりそうなものだがレバレッジされたアフィリエイト収入というバブルで踊っていれば、そんなことにも気づかない。
 
金儲けのツールとして使いたいならそこに自意識を出す必要はない。
社会的マネーとネット的エゴを混同するヘタな素人仕事を散見する。
 
 

貪欲という病

承認欲求は、尽きることがない貪という煩悩。

貪(とん)は、仏教が教える煩悩のひとつ。別名を貪欲、我愛といい五欲の対象である万の物を必要以上に求める心である。
このような心は、我(近代哲学でいう自我に近い)を実体的なものとして把握してしまう誤りから起こる。
怒りの心である瞋、真理に対する無知を意味する癡(痴)とあわせて三毒とされ、仏教で最も克服されるべき対象(人間の諸悪・苦しみの根源)とされる。
貪 - Wikipedia

ネットというツールはそれを手軽に与えてくれるからこそ一度ハマれば離れるのが難しくなる。
無辺のネット世界は、独りで飲み込むには分が過ぎた代物。
だからこそ最も重要なリテラシーは、ネットと自身との距離感だということはあまり語られない。
 
ネット世界においては、社会で適用したものを流用するのではない、新たな感覚や新たな認識、倫理が必要だし、それを参照できる仕組みがあれば不作法や勘違いや、それに基づく悲劇も減るのかもしれないが。

承認をめぐる病
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*1:実際はネットメディアの人材不足による学徒動員的な起用でしかないのだが「ライター」という肩書を名誉として掲げ、己が認められたかのように思っているブログがチラホラ。ライターではなく凡百の“ネットライター”だと言う自覚がないのが何とも……

*2:互助記事のブックマーク欄が気持ち悪いのは、そういった承認欲求を満たし合うコミュニティのコミュニケートが文字化・可視化されるからだろうし、そんな不健全な褒め合い文化の歪さが生理的な違和感の元になってる

*3:自尊心を竜骨にしてネット世界を渡っていれば、謝る=自尊心を大きく損なう。だから決して謝れない