ご近所付き合いブログと庭の価値

novtan.hatenablog.com
正しい。
正しいと思うが、その正しさは流通しない。

いまのネットにおいてのパラダイムは個人による情報発信の素晴らしさを謳うことにベクトルが向いていて、だからその凡百の絶対的価値の低さは置いておいて、可能性ばかりが語られる。

 



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そして

極端な見方をすると、コンテンツとしては殴り合いの喧嘩なんて方が面白いわけで、揉め事も起きないで「参考になりました!」なんてコメントが跳梁跋扈しているブログの記事に何かを感じることはやっぱり難しい。

「参考になりました!」という会話が交わされるブログ圏域に関しては、そのブログの第三者的な価値(書き手、読み手的な)はさておき、重要視されるのはその管理人同士の交流自体であって、あくまでもブログは単なる庭でしかない。

どんな花を咲かせていようが、庭を褒め合う御近所づきあい。
食虫植物が生えていようが、マタンゴが生えていようが。

だから通りがかりの人間が庭を覗きこみ「げ、なんだあれ」と思ったとしてもそんな意見はさておき、御近所の「今日もいいお天気ですね」「そうですね、朝晩冷え込みますね」「ウチの花もそろそろ散るかもしれませんわ」「そうですわね」なんて交流・コミュニケーションに比重がある。
庭の市場価値は顧みられない。
 
 

アナタの庭はどんな庭?

Mary, Mary, quite contrary
How does your garden grow?
With silver bells and cockleshells
And pretty maids all in a row.
"Mary, Mary, quite contrary" by Mother Goose : The Poetry Foundation

しかしおかしなもので、そんな個人の庭でコミュニケーションを楽しみつつ、市場価値以下の庭を使い対価を得ようと考える。
だからややこしい。
 
ブログ飯などと言われる対価を得るためのブログ術は、その市場価値が一般市場で計られるのに、そこに御近所の温かくも生ぬるい空気をそのまま適用する。
パラダイムが異なるのに気づかず、矛盾すら認識しない。
(その辺は、誤認識を自覚させないようブログ飯を唱える教祖が悪いと思うが)

そして市場価値の限りなく低い(内輪で交流するからこそ成立していた)価値のブログに向けられる一般的な読み手の素直な評価が否定的なら即座に「批判だ!」「誹謗中傷だ!」と反応してしまう。
赤の他人の生ぬるい交流で価値が保証される記事が大して面白いわけもなく、目新しい知見を見かけることもない。
そしてご近所同士で「気にしなくていいですよ」「批判なんて非表示にすればいいんですよ」などと言ってしまう。

だったら一体誰に読ませたいのか。
褒め合う間柄だけで読ませたいなら、市場で計らなければいいのに。

ブログ飯の功罪

しかしお小遣いは欲しい。
そこでブログ飯という新しい稼ぎ方を耳にすることになる。
 
しかし何かを書くことに技量があるわけではない。
元々日記であり、褒め合うからこそ成立している。
対価を得る価値を確保できていないが、そのまま晒される。
だが価値がないなら評価を受けない。

だからSEOなどの「ブログの価値を問わない検索エンジンに対する抜け穴探しやSNSを利用したバズ方法」の追及に進むことにならざるをえない。
novtan氏の書く正しさは御近所コミュニケーションの人びとが直視しない現実であって、どれだけそれを言われても認めるわけにはいかない。認めればそれは無価値であることとのイコールになる。

たかが一般個人が、専門的知識があるわけでもないことに関し知見を晒し、ブログの一般評価や価値を求めることはとても難しい。
だれかの否定的な意見を批判する前にまず自分のブログの価値があるのか否かをまず考えればいいのだが、残念ながらそういった動きより批判を批判する人間の方を多く見かける。
批判を受ければ、批判をはねのけるくらい面白いものを書くことを目指す方がよほど建設的なのに。
 
まぁ、そんな書き手だからこそ残念ながら面白くない。
こうして「生ぬるいブログは面白くない」の方程式が成立してしまう*1
 

*1:だからと言って荒れ狂う手斧の嵐を生き抜いたからと言って必ずしも面白いわけではないというのも、残念な現実ではある