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同じネタでも空気が違うから笑える

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anond.hatelabo.jp

ライブとかテレビとかでネタの使い回しするじゃん。
ていうかなんか「お約束」みたいな感じでほぼ毎回やるネタとかあるじゃん。
あれ嫌い。あれで「きたきたいつものあのネタ!」みたいな感じで喜んでるファンも嫌い。
音楽のライブなら人気曲が望まれるけど笑いにそういうのは求めてねーんだよ。
毎回新ネタやってくれよ。

さて久々のM-1も近づいてまいりまして、そろそろ脳がお笑いモードなんですがこんな増田がありまして。
なんでも同じネタを観るのが嫌なんだそうだ。
吉本新喜劇や古典落語に馴らされてるので、そんなこと考えたこともなかったが。

 



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ライブ感

ライブ感というのはかなり特殊なもの。
漫才師 笑い飯の「鳥人」という有名なネタがある。

M-1の決勝で見て、さらにその後、ネタ番組で何度も観た。
夏、サマーソニックに行ったときたまたま休憩所の近くで笑い飯が「鳥人」のネタをやってた。
もう何度も観たネタだし、しかもサマーソニックの休憩所で見て面白いわけもないよなーと思いながら見たら、これがすさまじく面白かった。テレビで何度見たときより格段に面白い。
独り自室でテレビでネタを観るのと、周囲に大勢の客がいる中で観るのとは全く「体験」として異なる。
演芸において「ネタ」があくまで構成要素のひとつでしかなく、空気や観客など他の要素も大きく左右してる。
その辺、テレビでは難しいが。
 
ちなみに滅多に見られない“ツチノコ芸人”こと大空テント氏は、あまりテレビに出ない。
まぁ、なかなか微妙だし、観なくても問題ない方ではあるが。

で、テント氏を上岡龍太郎師匠のイベントで観る機会があって、そのときのテント氏はテレビより面白かった。
元々が3/10なので、6/10くらいの増量でしたが。

理屈と感情と空気

テレビ番組を観るときというのは、笑いを意識や理屈で見てしまいがちになる。
ライブに存在する「空気」がお茶の間と断絶してる。

よく舞台では客を温めるというけれど、あれにしろまず観客に笑いやすい空気を作っておいてそこに出演するとそのまま暖かい空気で笑いが起きやすいということがある。
反対に客や空気が「重い」場合なかなかウケづらい。
言わば観客と芸人の間に無言のコンテクストがあり、それを前提として舞台は進行する。
 
しかしテレビで演芸番組を観ようという人間には、空気が暖まるだとか重いだとか、そんなコンテクストを持っていない。
トイレに行き、スマフォでゲームをやり、メールをして、PCでネットサーフしつつお笑い番組を観てあーだこーだ言う。
だから理屈で考えてしまうし、感情からの笑いに繋がりづらい。

よくテレビで見ているこちらと、テレビの向こうでの評価が異なることがあるが、あれこそまさに「空気」と言える。
 
 

笑い屋

有名だが吉本の舞台前には、笑い屋のおばちゃんがいた。
 
おばちゃんが最前列で大笑いすることで、他が笑いやすい空気を作る。
さらに言えば毎度毎度同じギャグを繰り返すがそこで笑いが起きる。
新喜劇のギャグは「いつものここの部分だから笑っていいんだよ」という目印になってる。

チャーリー浜こと浜裕二が舞台に登場。
「ごめんくさい」のギャグを言うとみんながこける。
椅子から転び落ちるときに灰皿などを巻き込みガラガラと大きな音を立てる。
この大きな音を立てる、ということがとても大事。
「大きな音を立てずっこける」からこそ笑いやすいポイントになる。
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人間は、自分だけが異質であることを嫌う。
笑うときに自分の笑い声だけが響くと委縮してしまうひとは多い。
だからこそ大きな音を立て、あるいは笑い屋のおばちゃんが笑うことで「ここで笑う」ポイントを作り、観客を笑いやすくする。
@nifty:デイリーポータルZ: 何を見ても笑える笑い屋さん
 
 

テレビの笑い

先日、TBSだかのネタ番組を観てたら司会がローラとネプチューン。
ネタをやってるとき、笑ってるローラやホリケンの画をカットインさせていた。

画面端に小さい枠でリアクションを映したりするが、あれと同じく「こんなに笑ってるから面白いんですよ」という笑い屋と同じ効果を狙ってる。
(とはいえローラやホリケンの笑い声をオンで被せる編集の下手さには呆れた。カットインは仕方ないにしろオフでやらないと視聴者は冷める)

テレビの場合、舞台と違い空気などのコンテクストがない。
だからこそ編集や演出でそれの代替えを行う。
バラエティのテロップ芸やワイプ、効果音などがそれに相当するが、当然ながら舞台と同じものではない。
 
 

同じもの

ネタを使いまわすのが嫌い、と言われても元々テレビ用に出来ているわけでもない。
何度もテレビやネット動画で見るように出来ているわけでもない。
観客が違う、その前後で空気も違うから演じるたびにネタは異なる。
だがテレビサイズにされ編集されれば、どれも同じに見える。

誰もが同じネタを何度も観てるわけでもなく、初見の視聴者もいる。
繰り返しが嫌ならそれこそ「お前が嫌なら見なきゃいいだけ」でしかない。
 
 
初回の笑いのみ尊重するのは理屈で捉え、初回の刺激でしか面白みを感じられないんだろう。
頭ではなく感情で笑い、さらに技巧を愉しめば、面白さは幾らでもある。

笑いは、笑わされるだけではない。
楽しみや面白さを自分で探ってこそ面白い。
斜めに構え「オレを笑わせてみろ」ではなく「これって面白いなー」と自分から面白がりに行けばさらに楽しい。楽しみに行くからこそ、生の舞台は面白さがより一層上乗せされるんだが。
繰り返しが面白くないなら、どこがおもしろいのかなぜ探さないんだろう?
 
 
舞台は、生のコミュニケーションであり演芸もコミュニケーションなんだが、最近はテレビやネットで演芸はディスコミュニケーションな娯楽と思われているから、こういう増田のような意見も出てくるのだろうな、と思ったりする。