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言い方は悪いが、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)ハードボイルドを備えている短編を書いてみた

小ネタ 創作

昔、父から言われたことを思い出した。
「賢い男は水から卵をゆでる。バカな男はお湯から卵をゆでる。そしてバカはヒビを入れちまう。お前はどっちになるんだ?」
あの頃の私は幼く、何と答えればいいのかわからなかった。

食券機の「並盛」ボタンを押し、電子マネーで触れる。
甲高い電子音を立て吐き出されてきた食券を取り、店内へ滑りこむ。

 



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カウンターのみで鰻の寝床を思わせる縦長の店内。
猫背でスーツ姿の男性客が何人もスツールに座り、ひたすらどんぶりをかきこんでいる。
箸が丼に当たり、まるでカツカツ音を立ててリズムを響かせる。
その姿は、ひたすら餌をあさるブロイラーのようにも見えた。

主曰く、人はパンのみにて生きるに非ず。
されどまた曰く、人民にパンと自由を、労働者諸氏に牛丼と小遣いを。

 
私は空いたスツールを見つけ、腰を下ろした。
目ざとく見つけた店員が駆け寄り、水を突きだす。
「……しゃせ。なみもりいっちょ」
食券に目を走らせ店員はそう言い歩み去ろうとする。

「つゆだくで」

歩み去る店員に投げつけた言葉はそのまま中継され、盛りつけ担当の店員は丼飯の上に肉を汁多めで盛りつけ、食券を握った店員は味噌汁を椀にもりつける。
ゲッツーを思わせる見事な連携でできあがった牛丼並盛つゆだくを持って先ほどの店員がやってきた。
「ごゆっくりどうぞ……しゃっせー」
歩み去りながら、流れるように箸の入った箱を開ける手際には熟練の技が見える。
 
 
私は紅ショウガと七味唐辛子を黒く煮られた肉の上に盛った。
赤い色を見るたび、あの日のことを思い出し古傷が痛むのは避けられない。

紅ショウガのように真っ赤な鮮血で彼女の胸が染まっていく。
私の腕の中で徐々に冷たくなっていく。
降りしきる雪の中、私は彼女に何もできずにいた。
私は若く、そしてとても無力だった。

たとえつらい記憶を呼び起こすとしても、牛丼に紅ショウガと七味は避けられない。
記憶の呪縛を振り払い、私は箸を手に取り丼をかきこむ。

丼とは食べるものではない。かきこむものだ。
己が単なる一匹の獣でしかないと自覚し、理性の底に存在する野生を再確認する作業。
食欲に翻弄される自我を解放し、ひたすらコメ粒と肉片を胃袋へと詰め込んでいく。
無駄な理性は必要ない。
それこそが、牛丼をかきこむと言うことだ。

コメと煮られた牛肉、そしてタマネギを口の中にかきこんでいく。
咀嚼と嚥下をひたすら繰り返し、時折紅ショウガとの鋭くとがった七味が与える変化を楽しむ。
ジャズセッションのように。
絡み合う複雑な即興の演奏に合わせどれだけ臨機応変に対応できるか。
つゆだくの注文通り、丼の下はツユに沈んでいるから、かきこむのに丁度いい。

丼を干して、次に椀を持ち一気に飲み干す。
味噌汁という名の少し塩気の強い液体が口の中に残るタレとコメを押し流していく。

ここまで5分はかけない。
人生は短く、牛丼を食べるために時間は使わない。
単なる食事ではない。
日本という国の伝統的なファーストフード。
だからこそ牛丼はかきこむものなのだから。

「ごちそうさま」
私は言い、スツールから降りた。
来た時と変わらない細長い店を出口へと進む。

私はまた牛丼を食べるだろう。
たとえどれだけつらい記憶がよみがえるとしても。

いつか死ぬまでは、まだ生きるしかないのだから。

anond.hatelabo.jp


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