読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

“死と物語”をめぐる絶望の物語 長谷敏司「あなたのための物語」

あなたのための物語

西暦2083年。人工神経制御言語・ITPの開発者サマンサは、ITPテキストで記述される仮想人格《wanna be》に小説の執筆をさせることによって、使用者が創造性を兼ね備えるという証明を試みていた。そんな矢先、サマンサの余命が半年であることが判明。彼女は残された日々を、ITP商品化の障壁である“感覚の平板化”の解決に捧げようとする。いっぽう《wanna be》は徐々に、彼女のための物語を語りはじめるが……。

 



【スポンサーリンク】



 
 

0

メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。
メメント・モリ - Wikipedia

宗教の重要な機能のひとつに、生や死に意味を持たせることがある。
死は第二の生であり、どのように生きたかが評価され死語の世界でどのように過ごせるかが変わる。
それを判断するのは神であり、神はひとの行いによって死後の行き先を天国や地獄に割り振る。
 
しかし科学は神を殺し、人は獣でしかなく死は無でしかないと暴いた。
 

1

http://www.flickr.com/photos/35432017@N00/3129593278
photo by Luciana Christante

サマンサは、ITPという新しい言語を開発する。
Image Transfer Protocol
たとえば「怒り」という言葉は「怒り」という概念を指すが、その「怒り」は千差万別。
あなたとわたしの「怒り」は違うし、さっきと今の「怒り」は異なる。
脳細胞間で受け渡しされる電気信号の地図を書きだし、受け渡しできる共通言語(プロトコル)にしたものであれば唯一無二の「怒り」を等価に他の誰かに伝えることが可能になる。

ITPによってサマンサは社会的成功を収めるが、その身体に不治の病が襲いかかる。
物語は、サマンサの死から始まる。
 
 

2

http://www.flickr.com/photos/7955505@N05/1330159053
photo by Curious Expeditions

「『死』に近いとは、自分が誰なのかっていう問いを、決定的に突きつけられることよ」

長谷敏司「あなたのための物語」は終始、死にまつわる物語で、物語の物語。
SFというと、空想科学をベースにして、進歩的な世界が描かれるモノも多いが、この物語では時代が変わろうが、技術が発展しようが現代と変わらないひとつの「死」が描かれる。

物語は、不治の病に襲われ、苦しみもだえ、死ぬサマンサの描写から始まり、その後も終始サマンサは物語の中で苦しみもがき、逃れられずそばに迫る死に対し絶望し、とりつかれる。
SFだからといって、希望的な未来があるとは限らず、不死身になる薬は出てこないし、タイムマシンで不治の病が治療可能な未来へ行くこともない。
どれだけ抗っても、絶望しても自分だけもうすぐ死ぬのがわかっている。
痛みに苦悶し、下血し、昏倒し、眠れない生を過ごし、その先に待ち受ける不可避で理不尽な死に向かって突き進むしかない。
 
 

3

“人間”は、情報化された外界を管理する特権的な主体ではない。むしろ情報に影響を受けることが、動物であり肉体であるヒトに“人間性”を与えている。ヒトは学ぶことで“人間”になる動物だからだ。

ITPによって人間の思考は言語化が可能になる。
だからITPで記述した知識を脳に記述することもできる。
 
しかしITP使用には感覚の平板化という不具合があり、検証を行うためにITPで記述した架空の人格を作りだす実験が行われる。
それが“wanna be”
ITPを使えば「なりたいひとになれる」ところから名前がつけられた。
 
そして架空の“wanna be”に物語を作るための知識を与え、物語を作成させる。
架空の人格によって作り出される物語。
 
人間の思考や感情を正確に書きだすことのできる言語。
それによって作り出した人格は仮想空間であれ実在の人間と変わらない。
独自の思考を持ち感情を持つ。
それが虚構であれ、当然ながら倫理の問題が発生する。
虚構の人格を消すことは「殺人」「死」になるのか。

そして人間の思考をそのまま書きだせるのだからまったく同じ思考の人格を仮想上に作りだせる。 
だとすればその架空の人格は“人間”だろうか。

4

http://www.flickr.com/photos/53130433@N08/6181443211
photo by More Good Foundation

<“物語”の定義を、好悪の感情に反応する情報だと捉え直したとき、≪私≫は“人間”が理解できた気がしました。この定義をとると、人間を取り巻く外界情報はほとんどが“物語”に含まれます。ミス・サマンサがそうであるように、“人間”はみずからを満足させる“物語”を要求します。人間は、≪私≫のような決まった役割を与えられていないため、動機を盛りたてるために“物語”を利用するのです。創作にしろ虚構のない事実にしろ好悪の感情に反応する“物語”がなくては、役割のない個体だけの社会で人的資源を効率よく集められないはずです>

作中、“wanna be”は、物語を作り続ける。
物語を書くために生み出された存在。
初めから肉体もなく「ITPで記述された人格でもそれなりの創造性を発揮する」ことが証明されれば消されることが決まっている架空の実験人格。
 
物語は、世界に関する情報を「物語」として捉える人間にとっての物語の物語でありそれは自己言及的な構造でもある。
そして科学を信仰する信徒が冷たい科学の神によって尊厳や意味をはぎ取られ、死は単なる終わりでしかなくそこには華々しい物語や輝ける別天地や輪廻転生がないと暴き立てる。

人生に意味などなく生まれたから生き、そこに勝手な物語と意味を求め、そして避けられない死によって無に還る。
虫や犬の死と人間の死は何ら変わらないし、そこに意味や尊厳を付け足すのは生きている人間にとって意味しかない。
神秘主義や宗教という救いのための物語を否定しすれば、死にも生にも意味や神の意志などない。
死は単なる無。
人間の生とは、死という絶対の無に浮かぶ小舟でしかない。
 
だからこそ人間は「宗教」を信じ人生に「幸せ」という感覚をもたらす物語を求め、さまざまな行為や存在に意味を付けたし満足し社会を構築している。
「意味もない生はない」
そう信じ思うために、人生には物語が必要になる。
 
  

Add

ニヒリズムで逃げ場のない現実をつきつける名作。
単なる娯楽のためのSF小説というより、人間の「生」と「死」を描きだそうとした必読級の作品。
密度が濃いし、重いが、大変満足度が高い。
これが今なら324円なんだから破格値も甚だしい。
 
 
SFを読まないようなひとに是非読んでいただいて、こういうSFの可能性を知って欲しいですね。
多くの文学だとこういうものはお涙ちょうだいの情動ストーリーに走らざるをえないので(感動とかそっち方向)。
ただ終始痛い(痛々しい)ですが。
 
次は「My Humanity」でも読みましょうかね。

My Humanity
My Humanity
posted with amazlet at 15.12.04
早川書房 (2014-10-30)
売り上げランキング: 23