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言語と定量化できない感覚と

チャンネルはいつもアニメ―ゼロ年代アニメ時評

※誰が読むんだこのめんどくさい記事シリーズ
※ファッションの部分はあとで別記事に書きなおすかも

ka-rinchaco01.hatenablog.jp

さて、話しがずれてしまいましたが、本題はアニメの評価を決める際の一般的な指標っていうのが出来ないのかな?っていうお話。

映画は興行収入。ドラマは視聴率という客観に基づく指標というのが一応あります。ただ、近年は視聴率という指標もHDDレコーダーの普及で録画して自分の自由な時間で見るという生活スタイルや、ネットでの見逃し配信という形も増えてきて、どれだけあてになるかは疑問ですが、TV業界ではいまだに視聴率をありがたがっているようです。

客観視というか感覚や価値の定量化の話だと思うが。

批判と言うほどのこともなく、読んで思ったことを少し。
今日は疲れてるなぁ……。

 



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物語

そもそも物語とは何か?といえば“言語や音楽、動画などによって人間の情動に影響を与えるプログラム”だと思えばわかりやすい。

「命ってはかないよね」
言葉にすれば一行で済む。
が、これを登場人物をしたてて世界を作り上げそこでドラマを演じ音楽を付け演出して物語を作り上げる。
観客は、物語に対し疑似体験的な寓話として「命ってはかないよね」を垣間見ることになり「命ってはかないよね」をしみじみ理解することになる。
定量化できない抽象を伝える手段としての構造を「物語」とここでは呼ぶ。

物語と価値と

もともと人間の情動は定量化できない。
なぜかと言えば人間の脳や感性は全ての個体が等質ではないし、同じものを見て誰かは「気持ち悪い」と感じ誰かは「カワイイ」といい誰かは「格好いい」という可能性は充分にある(もちろん感性をアウトプットする感覚言語の選択の問題である可能性は鑑みた上で)。

キティちゃんはカワイイ。
ではそのかわいさは林檎何個分か?という定量化はできない。
仮にキティちゃんがリンゴ3個分カワイイとして(この時点でおかしいが)、では橋本環奈の可愛さはリンゴ何個分か?と他に適用するのも難しい。
ひとつの定規を他に対しても適用し比較するのが定量化だが、感性や感覚は絶対的ではないからこそ定量化できない。
感覚とは、対象の絶対値ではない。
あくまで受け取り手により一程度変動する曖昧なものでしかない。

そもそもわれわれ自身、自分の身体においてそうした情報の流れる過程を意識する装置を備えていないので、自分がどんな思考回路でどうやって考えているのか、ひいては自分が本当はなにを考えているのか、ようするに考えている内容や思考の全体像は、自分ではわからない。そういうものなのだ。
(中略)
文章を書いたり言葉で思考すると言うのは、その本来は意識できない思考の流れを擬似的に再現しようとしているに過ぎないのであって、言葉による思考は本物の思考ではない。われわれの思考は無意識になされるのであり、意識するのは生きている限り寝ても覚めても休むことなく無意識になされている膨大な思考計算の、そのほんの一部の結果に過ぎない。
アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

そもそも言語は、脳内の概念を定量的に置き変えるための擬似的な手段でしかない。
強力ではあるが、絶対的なツールではない。

共通コミュニケーションの手段であり、かつ人間の膨大な思考を擬似的に捕まえるためのツール。
人間の内的世界の抽象を、外的に定量化するための文字や数字に還元することは難しいし、出力した時点でそれは内的な抽象と等価ではない。

人間は0や1を入力すればそのまま0や1で出力する単純な仕組みではない。
感想、批評だと言うが、ひとつの物語・作品に含まれる膨大な情報の中のごく一部だけを、独りの人間が己の感性という装置を通し、さらに言語に変換したものはその人間のものでしかなく、作品とは関係ない。
作品が良いか悪いか?
それはその作品を同じように観るしかない。
個々の感性により判断は異なり、価値もまた然り。
「誰かが○○と感じた作品(物語)だからそういう風に考える可能性が高いだろう」
という目安にはなるが。
 
 
仮に可能であれば、作品を見ている脳の電位を直接計るしかないだろうが、それにしろさまざまなノイズが多く(少しでも他のことを考えればそれがノイズになりえる)実際的ではないだろう。
※まぁ、長谷敏司「あなたのための物語」では、それが可能(脳の電位を思考地図として取り出し共通プロトコルとして使用する技術)な未来を描いているんだけれど、それにしろ人間の思考を定量化しようという試みではない
 
さらにいうなら「価値」にもさまざまあ(長いので割愛)
 
 

商業的成功

映画は興行収入。ドラマは視聴率という客観に基づく指標というのが一応あります
アニメの評価を客観視できるいい指標はないものか?いや、そもそもそんなもの必要か? - アニメについて考えるブログ

視聴率などは、別に作品の内容に関しての指標ではなく単に商業的な成功の指標でしかないし、作品の成功は必ずしも作品の価値と比例しない。
素晴らしい単館映画であれ、ごく普通の大作映画に勝てない。
前提となる市場規模が異なる。
だが商業的には作品内容ではなくあくまでも社会的商業的成功を定量化した上で経済活動を展開していかなければならないからこそ視聴率や興行収入を調べる必要がある。作品の内容には何も関係ない(それをバイアスとして利用されてしまうが)。
 
 

ファッションと言語

ファッション界に理系の進出を!

「この夏は通勤ストールとふわふわハットで彼のハートをズキュン。」意味わからん。
禅問答か前衛芸術か?
今のファッションには理論が足りない。

ま、ついでなのでネタにマジレス。

増田曰くネタとして「ファッションは感覚的過ぎて理系ではない」ということだが、人間の美的感覚というのは定量化できず感覚を計るのに感覚を持って行うからこそ抽象的。

ファッションは、文字言語化できない感覚的な抽象を言語や数字などの言語記号に変換せず、直接的に形として表現し心理的効果として昇華したもの。

ファッションに理論はあるが、それを文字言語にすることは難しい。
ファッションにおける言語は、感覚的な抽象概念。
等質な文字言語に置き換えることは困難。
そして感覚的概念で出来た抽象感覚としての「言語」を組み合わせできあがる「物語」がファッション。

この増田が言っていることは単に表現の問題でしかないし、理系云々関係ない。
どちらかといえば「抽象をいかに言語化するのか」という言語研究の領域だろうよ。
 

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)