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レイシズムと変わらないフランスの年輪 映画「フレンチ・ブラッド」

映画


マルコは正真正銘のスキンヘッド。仲間のブラゲット、ギィ、マルビンと共に、アラブ人を襲い、極右的メッセージを街に貼りまわっている。だが、やがて「憎悪」に支配された自分自身に疲れを感じるように。

これは素晴らしかった。
テロや移民にフランスが揺れる今だからこそ見た方がいい映画。



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マルコ

1985年。
アラブ系の若者を追うマルコたちスキンヘッド。
バンリュー*1に住むような貧困層。
レイシストの彼らはアラブ系、黒人などを見つけては暴力を振るい我が物顔をして歩く。
“我らがフランス”を移民の手から守るために。


そして時代が変わり、マルコは友人である友人ブラゲットのボディーガードになっている。
半身不随になったブラゲットは右翼政党の候補者として政界に進出。
そのパーティの中、マルコはコリンヌという女性に惹かれ恋に落ちる。

数年後、コリンヌと結婚したマルコ。
しかしマルコはレイシズムに関し疑問を抱き始めていた……。

レイシズム

80年代から2000年代まで。
レイシズムを標榜するスキンズである主人公マルコは、とあることを切っ掛けにレイシズムに対し懐疑的になり、徐々にその運動から離れていく。
そして時代が経つうち、徐々にマルコの周囲も変わっていく。
いや、マルコだけが変わり他は変わらない、というのが正しいか。


この映画ではマルコの背中越しのショットが多く登場する。
背中越しの同ポジショットが、マルコの変化と多彩な時代の遷移を繋ぐ構造。
一人の男が貧困の中でレイシズムに染まり、しかし疑問を抱き、恋に落ち、結婚して子供ができ、しかし別れ、孤独になる。
ある友人は捕まり、ある友人は政治の世界でレイシズムを叫び、ある友人は死ぬ。

マルコの背中には十字架の入れ墨があるが、マルコはそれを消さない。
若いころスキンヘッドとしてレイシズムに染まったことの象徴である入れ墨を背負ったままマルコは生き、そしてカメラはそんな背中をひたすら映す。


マルコが変わり、変われば変わるほど周囲が変わっていく。
そして孤独になっていく。

それは皮肉なことにマルコだけが変わるからで、周囲は変わらない。
レイシストらの中で生きてきたマルコが、レイシズムのコミュニティから離れれば孤独になっていくのも必然的。
いくらマルコ個人がレイシズムを捨てようがレイシズムは過激さを増し、アラブ、黒人、移民、同性愛などさまざまな人種や思想に対し排斥の動きを示す。

マルコの友人らが迎える境遇は「もしマルコがレイシストから変わらなければ、こうなっていたかもしれない」未来の可能性を示しているようにも見える。

川の流れのように

マルコは、スキンヘッドで肉切り包丁を持ち人を脅していた。
しかし気づけば年を取り、独り野菜を切っている。
テレビの中では変わらぬ人々が、異なる人々に排斥を叫ぶ。

映画の中にテレビが多く登場する。
テレビで伝えられるニュースはそれぞれの時代と、政治的・思想的な差別の難しさの象徴。
民族主義、そして同性愛に対する差別、テロとの戦い。
右翼政党の友人や妻らが政治・思想の世界で中~上流の生活を送り、レイシストであることをやめたマルコがスーパーで肉体労働をして労働者階級の生活を送るのも皮肉な視点を感じる。


マルコという一人の男の、人生の幾つかの場面を描き、繋ぐことを通じて、フランスの抱える政治・思想の変遷と問題を描いた作品。
人生の断片がまるで切り株のように層をなし積み重なる。
これは掘り出し物。
暴力描写が嫌いなひとには少し勧めづらいが(スキンズ時代は、暴力の嵐なので)。

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