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「はてブを普通に利用しているだけなのに互助会と言われる!」記事が書かれた後、急に消される摩訶不思議現象について

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深くて暗い穴がある。
穴の中には飢え狂った犬がいる。

手を入れると犬に噛みつかれるかもしれない。
しかし犬が気づかなければ噛まれずに済む。
そして古来からその穴に手を入れるときは、手斧を用意しなければならないと言われている。
 
ある時、男が穴に手を入れた。
見ていた男の仲間らは囃し立てて大喜び。

犬は男に気づき、穴に突き入れた腕に噛みついた。
とっさに自分の腕を切り落とし、逃げ出す男。
囃し立てていた仲間もバラバラに逃げまわる。
 
誰もいなくなったあと。
穴から犬が出てきて、男の血の跡を追い始めた。
犬は男の喉笛を噛みちぎるまで追うことをやめない。犬は狂っているのだから。
 
手斧は己の腕を切り落とすためにあるわけでは無い。
穴に自らが入り、恐ろしい犬と対峙するためにある。
 
手斧を磨き、犬を殺すつもりがないのであれば穴に手を入れるべきではない。
 
はてな某所に伝わる民話

なんでも
「普通にはてなブックマーク使ってたら互助会呼ばわりされてDISられてるわー!」
と騒いでいた方がいたらしい。
もし本当だとすれば言いがかりも甚だしい。

ブクマなんて既定の範囲であれば、どう使おうが自由。
ただ見に行ったら記事が消えていたので何を書いていたかわからない。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com
偶然だがウチでもはてブ関連の記事を一昨日あげたばかり。
ただ雑感記事なのでかなりディテールを省いていた。

ウチが意図した風に読めなかった(だからこそ雑感なんだが)という声もあるので、今回は、足りない分を保管しておこうと思う次第。



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面白さとはどういうことか?

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全然面白くない。
というか、そもそも面白さなんてコメントに求めていないんだろう

「コメントがまったく面白くないひと」に関しての補足。

これはコメントを書く際、その意識する対象として、
・コミュニケーションとしてブログの管理人に向けてコメントをつけている
のか
・他のブクマラーも意識してコメントをつけている
で別けることができる。

ブログの管理人に向けてのコミュニケーションというのは「やぁ」「いいお天気ですね」にも近しいコミュニケーション手段としてのコメント。挨拶などの関係性が前提となるコミュニケーション行為。
そして大喜利や旧来的な使い方のブクマラーは他のブクマラーへの視点を意識している。
面白くない「いいですね!」と面白い(?)「おそろしいおそろしい」を比較すると、

コメント 面白さ コミュニケーション 承認欲求
いいですね
おそろしいおそろしい

雑だがこんな風に考えられる。
儀礼的マナーとしてのコメントが面白くないのは当たり前。
面白いことを書くのが主眼ではない。
対し、旧来的な使い方のブクマラーにとってのコメントは、他ブクマラーからのはてなスターを求める承認欲求装置としても機能してる。
TWITTERでRT狙いのユーザーと単に友達とリプするために使ってるユーザーの違いとでもいうか。

朝の挨拶に面白さなんて求めない。
挨拶という言葉ツールに面白さの必要は必ずしもない(無論あっても構わない)。
とまれ「どんなコメントでも面白いと感じるユーザーはいるんだ!」と斜め上の考えをしたい方はご自由にという感じですが、コメントは必ずしも「誰かにとって面白い」必要性はないと考える。
だから「面白くないコメントはダメだ」などとは元記事に一言も書いていない。

もし元記事を「コメントが面白くなければならない、ブックマークを使うなら大喜利は必須だ!」と書いていないことしか読めないのであれば、それは読解におかしなバイアスがかかっている可能性が大いにある。
おそろしいおそろしい。


さてここでいう「面白い」とはなにか?
大喜利を例で出したので「面白おかしい」「笑える」だと捉えられているようだが、厳密には「興味深い」「想定もしていなかった視点がある」「上手いことを言う」なども「面白い」だと言う認識で「面白い」と書いている。

ではその「面白さ」は誰に向けられてベクトルが存在するのか?
「面白い/面白くない」は、コメントが「コミュニケーションが主眼か否か」で別けることができると考える。


互助会相当

「普通にブックマークしていて何が悪いんだ!」と叫ぶ自称“普通”のブックマークユーザーは「いいね!」「シェアします!」「さすがです」などと記事を書いた管理人に向けてコメントをすることが多い。このコメントらは管理人に向けたコミュニケーションとしての機能性が強い。

そして互助会と呼ばれるスパマーは、
「仲良しだからブックマークをつけてPV稼いでアフィでウハウハ」
の略。コメントは単なる稼ぎの手段のひとつに過ぎない。

そしてそのコメントは「いいね!」「シェアします!」「さすがです」と言ったコミュニケーション的コメントになることが多い。
なぜスパマーがそういったコメントをつけやすいかと言えば、儀礼的で差しさわりがなく簡易だからに他ならない*1

ここで
・コミュニケーション的コメントをつけている→互助会だ!
という誤認が発生する。
整理しよう。

・"普通"ユーザー→「さすがです!」→コミュニケーション主眼
・互助会、スパム→「さすがです!」→コミュニケーション偽装

この類似こそ
「オレらは普通にブックマークしてるだけなのに互助会互助会言いやがって!」
という齟齬発生の一端を担っていることは想像だに難くない。

だから儀礼的な挨拶のコメントをつけている“普通”のユーザーは、自分たちの行為に似せあるいは紛れ込みスパムをやっているようなユーザーに対してこそ怒りを向けるべきなんだが、そういう認識を持てない。
まるで自らの行為を責められているように感じてしまう。
その認識切り分けをできていない人らがとても多い印象があるし、時にはなぜか筋違いにスパマーの肩を持つようなユーザーすら存在する。
まったくもって謎の世界。

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下記、前回記事から引用、

定期巡回するブログのみブクマして後は一切触れない。
それが相互ならいわゆる互助会的に機能することもある。

この二つの差が表面上は曖昧であり、中には互助行為と類似的に機能してしまうこともある(意図せず結果として)からこそ"いわゆる互助会的に機能することもある"と書いたのだけれど、ここまで詳細に書かないと「普通のユーザーを互助会とDISっている」と読めてしまうらしい。
ほんと読解力って何だろうね。


面白さがないコメントを取り上げ「面白くない」と書いたら「コメントには面白さが必要だそうだぜ」「コメントに面白みが無い→互助会だ!」などとまったく書いてもいないことを言われても、そんなものおまそうだろうとしか言いようがない。
これが「面白くない」なのか、これに「面白さが必要」なのか、これは「面白くなくていい」なのか。
そのくらい判りそうなものだけれど。
文章読解の授業じゃないんだよ。

雑感

問題なのは「大して熟考もしていないのに記事をあげといていざ読まれたら慌てて消し、でも魚拓取られてて全然隠せてない」という病かもしれない。
とりあえず魚拓をプリントアウトして医者に行くのをオススメしておこう。

つか互助会とかもう飽きたわー。
マジでどうでもいい。
……そこが主眼の記事でもないってのに、ったく。


にしても手斧かと思ったらゴム製のおもちゃの手斧で、目立ちたいのか構ってちゃんなのかもしらないけれど、お前じゃ勃たねぇよとしか言いようが無い。
もはや大川隆法ばりに阿藤快さんを憑依させ「なんだかなぁ」というしか無いけれど、戦闘力が何万マイクロだか知らないけど実際はゼロだってことを認識したほうがいいんじゃなかろうか。
みなさま週末まで頑張って生きのびましょう(fadeout......)

※記事画像:無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや

*1:逆に言えば、ひねりを加えたコメントでブクマスパムをやっていてもそれは気づかれないということでもある