読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意識の高いエシカルな消費とミニマリズム

ファッション

http://www.flickr.com/photos/44634455@N08/8878431093
photo by Frontierofficial

エシカルコンシューマリズム

エシカルコンシューマリズムとは、「環境や社会に配慮した工程・流通で製造された商品を選択し、そうでないものを選択しない」という消費活動である。エシカルコンシューマリズムの内、最も注目されている商品カテゴリには、エシカルファッションが挙げられる
エシカル - Wikipedia

最近「エシカルファッション」という言葉を聞くようになってきた。



【スポンサーリンク】



エシカルコンシューマリズムという思想自体は最近のものではない。
1970年代ごろからそういった考え方は存在していて、たとえばマイ箸やエコバッグもエシカルコンシューマリズムに含まれる(が境界は曖昧)。

このエシカルがファッションとくっついたエシカルファッションは「倫理的消費を伴うファッション」とでも呼べばいいか。
発展途上国で作られた作物や製品を安く買いたたくことなく正当な価格で取引をしよう……いわゆる「フェアトレード」も含むような考え方で、そういった「倫理観」を前提とするファッションなのだそうで。
なかなか疲れそうだが、こういう疲れる考え方がエシカルファッションだそうだ。

ただしエシカルはエコやロハスとは、少々異なる。

THIRDWAVECOFFEE

POPEYE(ポパイ) 2015年 11月号 [雑誌]

ところでこのエシカル。
「サードウェーブコーヒー」にも通じるものを感じる。

ブルーボトルコーヒーに代表されるサードウェーブコーヒーはおしゃれなサブカル人に受け、一杯のコーヒーを求めて行列までできたわけですが。
あのサードウェーブコーヒーに使われている豆はフェアトレード……サスティナビリティ(持続可能性、この場合は豆の生産者が買いたたかれることなく価値を維持し続けられるということを指す)な取引によって仕入れられている。

そしてもう一つ忘れてならないのが「サスティナビリティ」です。生産者である「農園」は当然販売する事によりビジネスが成り立っています。以前は大手に買い叩かれたりして、正当な代価を得られない時代が続いていました。10年位前の話でそんなに昔の話ではありません。つまり良いコーヒー豆を作る生産者(農園農、農家、農協等コーヒー従事者)の生活を支える必要があります。
 
現在中・南米やアフリカで開催されるカップオブエクセレンス(以下COE)というコンテストを始め、各種オークション(パナマのエスメラルダ農園のゲイシャ種等)で世界中のバイヤーが「美味しいコーヒー豆」を求めているのです。このコンテストで良い評価を得れれば、驚くほどの高値で販売する事も可能ですし、当然生産者としてのステイタスも上がります。
 
これにより、生産者の生産意欲も高まり、かつ生産者の生活安定化にも繋がるように決して「買い叩く」ような事のないように努めて行く事が大切だと思います。フェアトレードというムーブメントは正にその代表例です。
サードウェーブ、フェアトレードそして各種認定(JAS/RA/OCIA) - Flatwhite Coffee Factory フラットホワイト・コーヒー・ファクトリー

正当に取引を行い、生産者に利益を還元する。
サードウェーブコーヒーの根底にはまさにこのエシカルな思想がある。
そしてそんなサードウェーブコーヒーに対価を支払うのは、豆の生産者の生活を支える間接的行為でもある。

ところで、これが今頃日本で話題になりつつあるのはどうしてなのか?
すると今話題になっているミニマリストの隆盛に関係があるような気がしてならない。

ミニマリストと半径数メートルの世界

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ミニマリストは、基本的に消費行動を行わない。
最低限のモノで暮らし、最低限のモノ以外持たない。

消費行動を行わないから経済が動かない。
ミニマリストの心は豊かになっても、ほかの誰かは豊かにはならない。まずモノを持たないことで、己の心の豊かさと幸福を考えるのがミニマリズム。

反対にエシカルな考え方は、自分を中心にした周囲どころか、モノの流通やコンテクスト、さらには生産現場まで考え、見ようとする。
オーガニックコットンは多少高くてもその利益が還元されるのであればそちらを選ぶ。
単純にモノの多寡の関係にあるメタボリストのような関係性ではない。
ひとつのモノに対し関わる人間を、果たしてどこまで考える視点を持つのか?という部分で大きくミニマリストと異なる。

ところが面白いことにミニマリストを名乗る人は社会的意識が高いのでエシカルな~と言う。
しかしモノを買うことによるエシカルな行為と買わないというミニマリズムが果たして折衷できるのか。
なかなか面白いところ(まぁ、適当に自分なりのエシカルを成立させるんでしょうが)。
ミニマリストが増えれば増えるほどモノが流通しなくなるんですがね……。


モノの価値に対して単純な価格よりも、そのモノが流通することによって社会的に多少なりと意義があるのか、と。
ですからミニマリストとは違う、とはいえメタボリストとも違うわけです。

しかしエシカルファッションが難しいのは単に新興国で安く作られるファストファッションの不買を行えばエシカルか?というとそれは違う。
そういう行為は単にファストファッションの売り上げ低下を招き、工場での生産量が減り、仕事がなくなるということにしかならない。

エコとエシカル

スペンド・シフト ― <希望>をもたらす消費 ―

ではエシカルとエコの差は何か?。
エコバッグを持つことが「エコ」だとして、「エシカル」なバッグは購入すれば収益をもとにアフリカに学校を作ったり、あるいは給食をあげることができる仕組みがある。

www.piecepeace.com

この能動的に行動することがエコとエシカルの大きな差で……ややこしい。
「買う」という経済活動によって誰かの貧困が救われたり、間接的にどこかのボランティアに協力できるような意識的な消費行為……という感じなんでしょう。
意識が高い、と揶揄しやすそうな行動だけど、実際多少なりと救われるのであれば、それはそれでいいような気もしますが。
さらに動物の革を使ったものは買わないだとか、いろいろな思想ともくっつきあっていて、その辺は結構カオスな感じがですね……。

メンズファッションでは、まだそれほど「エシカル」というワードを聞かない。
多分今年~来年にかけて聞こえてくるかと思うので、もし聞こえてきたときは「あぁ、あれでしょ。ヴィヴィアンウェストウッドがやってるよねー」とか言っとくとそれっぽい。
ということでエシカルエシカル。