ユージュアル・サスペクツは評価され過ぎの映画か?


映画「ユージュアル・サスペクツ」日本版劇場予告
アマゾンプライムで見れる名作映画10選とかいう記事が挙がってて、しかし全部観ている映画ばかりなので(プライムに登録されてるタイトルって観たいやつは大体観ちゃってる)記事の中身自体は興味わかないんだが、コメント欄をつらつら眺めてたら

毎度毎度ユージュアルサスペクツの高評価が理解できない。イメージカットでミスリードしてるだけじゃん。
http://b.hatena.ne.jp/entry/285852559/comment/haniwa75

いやいやいやいや。
そのミスリードが大事なんであって、ていうかそれネタバレだからやめてあげて!(未見の人だっているのよ!

ではユージュアル~をミステリ・映画好き的視点で語りますよ、じゃあ。
当然以下は、ネタバレしかないのでそのつもりで。



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ちなみにこのコメ主のid:haniwa75は埼玉在住、娘さんもいる映画好き男性。
なので作品の固有名詞でもいろいろ話は通じますよね。

もう一度繰り返しますがあらゆるネタバレありで書きますので。

映画の視点

さて、このミスリードを考える上で大切なのは、
「映画内で映像化されるものは果たしてなんなのか?」
という前提。

普段は、神の視点でカメラが配置され、神の視点で記憶が描かれる。
映画において映像を切り取るのはメタ的に映画世界の外にある意図。
カメラマンは、画面に切り取られた映像世界の外に存在する。

これは文字媒体であれば、通常描かれる作品は三人称だと考えればいい(映像視点は、映画セカイの外から映画内を覗いている)。
映画内に視点(カメラマン)が存在するPOV映画は、二人称。

ではユージュアル~において描かれる映像世界は誰のものか?
ヴァーバル・キントの話を聞いているデヴィット・クイヤン捜査官がキントの話を元に脳内で再現した映像なのか。
それともヴァーバル・キントの脳内映像なのか?
(もちろんどちらも超越した神の視点により物語として抽出、構築される)

そこでヒントになるのが、ピート・ポストルウェイト演じる弁護士「コバヤシ」だと思っている。

どうしてコバヤシなのにアジア系の役者を使わないのか。
コバヤシの事務所のガラス壁に書かれている「力」「成功」「財産」(本編1:11:43~)。
あえて弁護士事務所には書かれないであろう、しかも日本人なら書かない漢字が書かれているのは、あれが日本文化に通じていないキントが脳内で再現した“なんちゃって日本人弁護士”だからですよ。
日本人の名前なのに日本人が演じず、なんちゃって日本語が書かれているのは「ライジングサン」の世界。
自分の部下であるピート・ポストルウェイトをコバヤシ弁護士役に当てはめた*1

もちろん視点の主がクイヤンであっても成立する。
しかしこれが仮にクイヤンの脳内世界を映像化したものだとすれば、現実世界においてクイヤンは顔を知らないはずのピート・ポストルウェイトがキントを迎えに来ること自体がおかしい。
だからあの映画で描かれるのは現実世界(今)とキントの脳内映像(過去をベースにした虚構)ということになる。

叙述トリック

さて、これが単に「ヴァーヴァルキントのほら話」で終わらないのは、このイメージカットによるミスリードをどのように使っているのか?にある。

まずヴァーヴァルキントの話はクイヤンに対するウソ話でありながら、同時に観客へのミスリードを含む。
メタ的に言うなら「物語世界に存在するキャラクターが物語世界の外の観客をだます」構造。
本来信じるに足りるはずの映像世界は実は虚構だった、というのはミステリにける叙述トリックのそれ。

地の文にミスリードがあり、それにより読者に誤認させるという仕組み。
「イメージカットによるミスリード」は、ユージュアル~におけるこの叙述トリックを指してるんだが、では映像で叙述トリックを効果的に使った作品って幾つあげられるんでしょうね?

たとえば「羊たちの沈黙」でクラリスが独りバッファロー・ビルのところへ向かうシーン。
ここでは映像による錯誤が使われているけど、ジョナサン・デミが使った錯誤はこのシーンだけなんですよ。
ユージュアル・サスペクツという作品は物語の根幹に映像によるミスリード……つまりミステリの叙述トリックで言う「地の文」にミスリードを仕込んだ。

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叙述トリックを全編で使っている作品というとシャマランの「シックスセンス」をあげる人が多そう。
個人的には「サスペリア・パートII」やヒチコック「サイコ」ですが。

www.youtube.com

さて、映像による叙述トリックって最近では増えてきたけれど、ユージュアル~が作られた時点では数えるほどしかなかった。
そりゃあ「イメージカットでミスリード」を今ならその程度で終わるかも知れないが、これが公開された当時に映像による叙述トリックを見せられたんですから。驚きましたよ。
なにせ映像で叙述トリックをやってみせたんだもの。
「シックスセンス」にしろそうですが、こういう映画はその仕掛けにどれだけハマったかで評価が大きく変わる。
反対にジョン・キューザックの「アイデンティティ」はハマらなかったんで自分の中の評価は低い。
クトゥルフ神話譚な「キャビン」とかイーライ・ロスの「ホステル」は評価高い人もいるけどウチはハマらなかった。

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我孫子武丸「殺戮にいたる病」だって個人的には大好きだけど、アレに驚かない読者だっている。
殊能氏の「ハサミ男」とか。
自分がハマらなかった=作品としてのクオリティが低いはイコールではない。

○○してるだけ

で、もう一度コメントを見ますが、

毎度毎度ユージュアルサスペクツの高評価が理解できない。イメージカットでミスリードしてるだけじゃん。
http://b.hatena.ne.jp/entry/285852559/comment/haniwa75

「ミスリードしてるだけ」って、そんなこと言うならどの映画だって「○○してるだけ」じゃね?

マッドマックスなんて「女が逃げそれを山海塾が追いかけてる」だけの映画。
鮫肌男と桃尻女は「殺し屋と女が山の中を逃げて、殺し屋が追いかけてる」だけ。
インディペンデンスデイなんて「宇宙人が地球に攻めてきて大統領が生き残りを率いて戦う映画」ってだけ。

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「○○してるだけ」が映画の品位を下げる意味は一切ないし、それを言うのは筋違い。
どんな映画だってメインプロットはシンプルなもの。
そのシンプルなメインプロットをどうやって観客に見せるのか?という部分が大事であって、そういう意味でユージュアルは見せ方の構成が上手い。

クイヤンの存在する現実世界とキントの虚構を並列で描くことで、キントの虚構を物語世界内で確立する。
観客的には映画として描かれていればそれは通常「現在と過去」でしかない。
しかしユージュアル~では「現在とウソ」が描かれ、その錯誤を観客に与えた。
そもそも映画において時系列を飛び越え突然描かれる過去は果たして誰かの「記憶」なのかそれとも過去に遡った「神の視点」なのか。
仮に記憶であればその映像による信ぴょう性がどの程度あるのか。
そこを誤認させるトリックを仕掛けた映画ということですよ?

そういう意図だけでもユージュアル~という作品はそりゃあ評価されるんですが「それでもオレは気に食わない」というならそれはそれでどうぞどうぞと。
映画なんて万人が賞賛するとは限らないので。
100人いれば100の感想があっていい。
ただ他の人達が評価しているのは、そういった部分を理解しているかしていないかは別として、その物語世界を受け入れ、その上で評価したからですよ。

自分が魅力を理解できない→評価されるのはおかしい、にはならない。
そういうことです。

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*1:実際に弁護士を演じていたかもしれない。が、そこまでは描かれてない