読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジョジョの奇妙な冒険:第4部は「日常系」ではない

mantan-web.jp

 「ジョジョの第4部は日常系です」。

 と聞いて、おそらくアニメを見ている人は、いや見ていない人でさえ「そんなわけないだろ!」というツッコミの気持ちがめばえたのではないでしょうか。

そうですよね、私もそう思います。「ジョジョの奇妙な冒険」という名前を冠した時点で、その作品はいわゆる“日常系アニメ”にはなり得ません。

 しかしそれを心得たうえで、誤解を恐れずもう一度言います。「ジョジョ第4部は日常系です」。ただしそれはもちろん、“普通の日常系”ではありません。

“日常系”に無理矢理当てはめる必要もなく、日常系というジャンル認識がおまそう。
そもそもの構造が見えてないのかもしれないが。



【スポンサーリンク】




 

日常系というモラトリアム

これまでは壮大なロードムービーをどこか俯瞰(ふかん)で眺めていたのが、第4部で舞台がM県S市杜王町という“日本のどこかにありそうな町”に収束されることで、そこで描かれる主人公・仗助たちの日常や学校生活が、視聴者である私たちの目線の高さにグッと近づくのです。

 「隣近所に殺人鬼が潜んでいるかもしれない」どころか、先ほどまで普通に使っていたラジオやテレビのプラグから、配達された牛乳から、口をつけたウイスキー瓶から、殺人鬼がいつでもこちらの命を狙っている……。そんな“日常生活に潜む超異常性”を持つ事件がこの杜王町では次々に起きていきます。

 その落差の激しいギャップは言うなればまさに奇妙。ジョジョにとって欠かせないその要素を、杜王町の持つ“日常性”が強調しているのです。

つまりこの週にアニメを100本観る(ほぼ50時間?単にヒマなんじゃないかという疑惑が……)小新井涼さんのいう「日常系」というのは日常を感じさせる雰囲気がある→日常系ということで、まさにおまそう。
何本観るかなんて数がなにかの役に立つのか知らないけれど、少なくとも日常系に対する認識をまずやり直すほうがいいかもしれない。

日常系というワードは

一言で説明すると「劇的なストーリー展開を極力排除した、登場人物達が送る日常を淡々と描写するもの」。作品全体の雰囲気・空気感を楽しむのが主な楽しみ方であるため、こう呼ばれる。「日常」と言っても漫画では原作者のセンス・キャラクターの性格や持ち味などを加味して描写されるため「お前のような日常があるか」と言いたくなるようなものが出てくる事もある。しかしそれを何回も繰り返して様式美にするとそれが日常になり、とんでもないラストになっても次回でほぼ無かったことにした日常が繰り返される。必ずしも現実世界と乖離してはいけないということではない。

とにかく徹底して物語性の排除が進められたために、他のジャンルと比べて重厚なストーリーや壮大なバトルシーンも派手なギャグパートも鬱展開も無く、さらにはオチすらもつけずに次の場面へ進む場合も有る。このため、しばしば「中身が無い」と揶揄されたりもするが、それ故に疲れたときに肩の力を抜いてリラックスしながら見るには最適であるとも言える。いわゆる癒し系。
日常系とは (ニチジョウケイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

なのでおまそうなバズワードとして使われましても。
物語に明確な目的があり、そこに至る道程と事件を描いているジョジョが日常系だとはとても思えない。

第四部がいくら現代日本の街を描いているからといってそれだけで日常系なわけがなく。
スタンド能力を生み出す弓と矢を探すため空条承太郎と東方仗助らがスタンド使いと戦射命のやり取りをしてる時点で、もはや日常ではありえない。

日常系とは、ある種のモラトリアム。
だからこそ日常系では死んでも死なない。
そこに現実的な死や暴力を描けば日常系という括りに入らない。

日常的要素があるものを日常系と呼ぶのではない。
いや、もう。

学園モノ

しかしこの第4部では、そんな限りなく非日常的なスタンド能力にまでも、日常性を感じてしまう瞬間があります。その原因となるのが、第4部がもつ、“学園モノ”要素です。

 仗助たちの通う高校の生徒や関係者であるスタンド使いたちのモチベーションは、世界征服でも重犯罪でもなく、割と身近なゆすりやひがみ、恋愛というもの。どこか憎めない小悪党のような彼らから生まれたスタンドも、殺傷性はありこそすれ、戦闘能力というよりは“少し不思議な力”に近く、どこか親近感すら湧いてしまう能力です。

“週にアニメを100本観る”小新井涼さんが、気づいているかいないかは知らないけれど、実はジョジョ四部に学園モノ要素はほぼない。
たしかに東方仗助らは制服を着ているけれど、学校で過ごすシーンや授業シーンはあくまでも敵スタンド使いが学生だった場合に限られる(ラブ・デラックスの時とか?)。

だから四部で言う学園要素というのが学生服という記号としてしか機能していない。
それを「学園モノ要素」と言われましても、宿題忘れて学校の廊下に立たされたり、宿題だの勉強だの期末試験だの運動会だの文化祭だの、学園のトップを争って屋上で殴りあったり、部活動に勤しんだり、そんな舞台設定ありましたっけね……。
空手部の主将とスタンド対決!とかあればね。
「めだかボックス」とジョジョ四部を比較すればよくわかると思うが。

“週にアニメを100本観る”小新井涼さんの定義を使えば
・学校と学生が登場する→学園モノ要素がー
になってしまう。

仮に学園モノを目指したのであれば、スタンド使いを学生に限定すればいい。
テストで満点をとるためにスタンドを駆使したりすればいいんじゃないかしら?(でも戦い以外にスタンドはほぼ使わない。ハーヴェストくらい??)
学園モノ、学校要素に限定するなら学校という閉鎖空間は使いやすい。
が、荒木飛呂彦はあくまで杜王町という「町」にこだわった。
だから学園要素というのは「町」を構成する一部でしかない。

“週にアニメを100本観る”小新井涼さんの記事では
第四部は、読者に身近な日常を感じさせる要素とスタンドという非日常の落差が面白い
と言いたいところを「日常系」と言ってしまったようにも読める。
でもそれは日常系じゃあない。

学園を舞台にした能力ものである「サイケまたしても」もそうだけれど、能力ものバトルは日常を舞台に特殊能力を持って戦うのが定番(菊地秀行「魔人学園」とかな)。
別にジョジョ四部をわざわざ日常系に無理やり当てはめなくても、もっと当てはまるものが山ほどあると思うが……。
根拠薄弱すぎて。

セトウツミ

杜王町に見られる“日常性に潜む非日常性”、そして4部のスタンド使いたちに見られる“非日常的な要素の中の日常的要素”という、互いに相反する特徴。それらを踏まえた上でもう一度冒頭の言葉に立ち戻り、改めて「ジョジョ第4部の日常系とは『非日常的日常系』である!」と、提唱したいと思います。

日常における非日常性という意味で言うなら第一部のヨーロッパを舞台にした世界観も「日常と非日常」
これは、そもそも何を「日常」と定義するかによって全く変わってしまう。

日常系とは何も変わらず同じ場所で同じことを繰り返す平坦なストーリー展開の中に小さな機微を楽しむ。
劇的な物語展開やバトルがなくてもコミュニケーションの面白さを楽しむもの。

最近で言えば映画化する「セトウツミ」なんかは日常系の極北(二人芝居に近しい)とも言える。
場面転換がなく、ニ人の会話で物語が進む。
どこにでもいそうな2人のどこにでも転がってそうな無駄な会話と無駄な時間。

そういう無駄が「日常」
なにせ普段生きている時間の大半は無駄ですから。
無駄な会話、無駄な行為。

だからこそ物語に目的意識のない行為や会話が描かれればそこに「日常」を感じる。
日常を舞台にしている→日常系、というのは誤認識。

ジョジョ四部は日常系というより、一見は現代日本の街を舞台にした変わらない舞台と見せかけつつ、物語展開はこれまでのそれに近しい。
毎回違う場所で事件が起き、毎回新たな敵が登場し襲いかかってくる。
スタンドを使わない話はない、スタンドが出てこない話もない。
何の事件も起きず何の変化もない話もない。

物語構造的な話をするのではあれば「変わらない日常と見せかけつつ実はこれまでのジョジョ同様のロードムービー的要素が強い」のほうがよほどしっくりくるんだが……。


日常系の要素は「同じ場所」「繰り返し」と「平坦さ」
その要素時がジョジョ四部にはほとんどない。
だから日常系とは、とても言えない。
アニメは週に数本しか観てないけれど、そのくらいわかる。

“週にアニメを100本観る”小新井涼さん、こんな記事でお金もらえるのね……。