読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

個人ネットニュースとリソース配分の難しさ

ブログ

カリスマニュースサイト管理人が15年続けたシンプルな情報収集術 (impress QuickBooks)

maname.hatenablog.com
 
まなめはうすが移転&個人ニュース形式は一旦おやすみだそうで。
まずはお疲れさまでした。

まぁ、死ぬわけじゃなし気分次第で復活していただけるかと思いますので余裕があればまたニュース形式で、できればウチも載せていただけるとありがたいものですが(手を擦りつつ)。



【スポンサーリンク】



こうやって1つ1つ個人ニュースサイトが終わって(止まって)行く。
先日も「全然知らなかったんですけど、まなめはうすっていうところで取り上げられて……」などと書いているブログがあったりして、時代の変化を感じたり。なにせ「ごっつえぇ感じ?知らない〜」なんて世代も出てきているわけだし、いずれはいいとも!を知らない世代とかダイヤルアップを知らない世代とか、「MSDOSってなにそれ美味しいの?」とか「なにそれ美味しいのってなにそれ?」「は?台風コロッケ?」って世代が出てきたりするのかもしれない。

リソースの限界

情報を選別するには当然リソースが必要になる。時間的、思考的、収集、インプット、アウトプット。
リソースは決まっている。
1日は24時間、そのうちに使えるのは一部。
プロブロガーのようにネットにスタンスを置いてネットの広告と売り上げだけで稼ぐならネットへのリソース投入は自然と多くなる。
しかし現実世界で日銭を稼いで生きていれば当然そちらにリソースが取られる。職場が変わればリソースも変わる。
資格を取りたい、勉強したい、結婚する、役職が変わる。現実の変化はリソース配分にフィードバックされる。

残念ながらはてなユーザーに嫌われがちなレールに乗ったプロブロガーは、ネットに多くのリソースを投入するから長く続くし、結果としてネットでマネタイズの記事も比例して増える。
逆に現実に食い扶持があるならネットはあくまでも二次的なものにならざるを得ない。ネットギークのような自分で自分に火をつけて注目を浴び稼ぎを得るようなやり口のニュースや自己啓発セミナー的なプロブロガー塾は根強く残り、マネタイズを気にしない趣味レベルの個人ニュースやブログは現実とのリソース配分が狂えば即座に終わらざるを得ない危ういバランスの上に成立している。

マネタイズが強いのは必然

あくまで一個人の読み手としてだが、いわゆる「面白いブログ」と感じるものには趣味的なものが多い気がする。
何かを売るためではないからこそ無駄にマイナーだったり無駄に情報量が多かったり無駄にこだわりがあったり。

検索キーワードを増やすための「○○ランキング100」みたいなぺらぺらの記事にはガッカリ感が強いが、たとえ3つでも4つでも本当に好きな人が本当に好きなことについて書いているものはやはり面白いと感じる。

もちろんマネタイズ全般がダメなわけではない。
商業主義を否定したり嫌儲思想はないし、面白いブログには費やしたリソースの分だけ、読み手からもそれなりのフィードバックがされるべきだと考える。
面白い小説には代価を払うように、面白いブログも書き手に還元されていい。

だが引かれたレールの上を走りたくない→ネットの記事でマネタイズの記事はやはり「買わせたい」が前にあるから読む方も商売くさいものを感じてしまうし、面白くもないのにフィードバックが返る現行の仕組みはやはり歪んでいるように感じる。
目立てばいい、売れればいい、クリックさせればいい。

だが金くさくなければ続かないのもまた現実。
だからこそ利益重視でないブログなどに対しても還元する何か仕組みでもあればいいのだけれどなかなか難しい。

noteがそういったものになるかと思ったら残念なことに即座にマネタイズ勢に飲み込まれたのはご承知の通り。
金の匂いがすれば即座に駆け寄り食い扶持にするのがマネタイズ勢。

メッキとキュレーター

ネット有名人という漠然とした肩書きのB級文化人をキュレーターと持ち上げたキュレーション文化も、そのキュレーターと持ち上げられた人物のセンスがモロに出てしまう事でメッキが剥がれ、個人ニュースサイト管理人のようにテキストサイト全盛期から蓄積された経験値には叶うこともない。
だからこそ希少だった個人ニュース形式が1つ1つと消えて行くのは悲しいものがある。

ネットリテラシーというのは清濁併せ呑んで初めて身につくものであって、ある程度厳選された二次ソース三次ソースばかりを見ていても身につかない。
「○○映画10選」まとめを参考にして面白いコンテンツを効率よく消化はできても、ダメ映画に関する嗅覚は育たないのと同じこと。
消費することと見極めることは異なる。

美食ばかりでは、海原雄山になるのがオチ。C級、D級、カルト映画にリソースを割く意味も存在する。
クラシックばかり聴いて音楽センスを養ってもパンクロックは理解できず、写実主義マンセーではシュールレアリズムやストリートアートの理解が難しい。
しかし全てを消化するには、やはり先立つリソースが必要になる。
時間的経済的リソース。

今や誰もが無駄なことに時間的リソースを使いたくない。
効率的に行き急ぐのが正しい生き方。

最後に

一時期は消えると言われたブログが盛り上がり、しかしその実はテキストではなくマネタイズがメイン。
「面白いから」ではなく「儲かるから」

ブログが面白かったのは街角のストリートミュージシャンやパフォーマーのような趣味ブログが立ち並ぶアーケードであって、今のように看板ばかり派手なマネタイズメインのコンビニばかりが乱立するのも、さてどうなんですかね。

よくわかりませんがウチはウチでマイペースにやって行くだけなので、今後ともよろしくお付き合いのほどを。
こんな場末のブログは、賑やかなアーケードから路地に入ったすえた臭いのする薄暗い老舗の古本屋のようになれば充分かと。
でわでわ。

まなめさんも個人ブログ継続して、たっぷり仲良し夫婦ののろけ話を載せて爆発してくださいまし。
かしこ。