「プロレス」という教養が身を救う

プ女子百景 (ShoPro books)

昨夜の「WWE芸人」は面白かった。
世界最大のプロレス団体WWE
その魅力をあの時間に詰め込むのは当然無理で、かなり派手で、表面的にわかりやすいエンタメ部分がピックアップされていた。
WWEの魅力の重要な部分はストーリーであり、コンテクストなんだがCSでもあるまいに、それをテレビでがっつりやるわけにもいかない。

紹介しているエピソードが2000年前後のものがほとんどで(たしかにあの頃の面白さは異常)最近のエピソードはNTX王者にもなった中邑真輔の紹介やシェインとアンダーテイカーのヘル・イン・ア・セルマッチくらい。
せっかく「アメプロを観てみるか」と思ったひとが番組で知ったレスラーがあまり出ていないことに違和感を感じるかもしれない。

時間のせいもあるだろうがステファニー・マクマホンとHHHの結婚話は、

→ゴミ箱が頭部に直撃しステファニーは病院へ
→レスラー テストの看病により回復。二人は結婚することに
→結婚式の最中、HHHが乱入。昏睡したステファニーと強引に入籍したHHHの映像
WWE芸人ではここが使われた
→激怒した父ビンス・マクマホンは離婚をかけてHHHと戦うことに
→試合当日、父のコーナーに立つステファニーの前で試合が開始
→しかしステファニーは父を裏切り、このあと二人は悪の夫婦として活躍

こういう流れがある。
一番面白いのが土壇場までベビーフェイスで悲劇のヒロインだったステファニーがヒールに転向してHHHになびくところなんだけれど、テレビで流すサイズではなかったから途中のVTRだけ使われたのかもしれない。



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有田と週刊プロレス

ところでアマゾンプライムでくりぃむしちゅー有田がプロレス初心者ピース綾部にプロレスを語るという新番組「有田と週刊プロレスと」が開始された。
有田が週刊プロレスを一冊取り上げその時行われた試合とプロレスから得られる人生訓を語るという内容。
#1と#2は1995年に行われた新日本プロレスUWFインターナショナルの全面対抗戦。

初心者向けのおいしいとこどりな「WWE芸人」とマニア有田が大いに語る「有田と週刊プロレスと」
どちらもそれぞれに面白い。


プロレスを観ていないひとにプロレスを勧めても否定的なひとは「野蛮だ」「ヤラセでしょう?」と答えが返ってくる。
プロレスがそんなに単純なら、これほど熱く語られることもなくこれほど人を惹きつけることもない。


プロレスという教養

教養としてのプロレス (双葉文庫)

プチ鹿島「教養としてのプロレス」の中で「自分がオウム真理教にはまらなかったのはプロレスがあったからだ」と語っている部分がある。

私はプロレスを知ることで「半信半疑」という精神状態が一番よいと学んだ。バランスの大切さを知ったのだ。
そもそもプロレスとはいかがわしいものである。昭和のプロレスファンは「信」「不信」の両極端な立場を常に意識せざるを得ない珍しい人種だった。「プロレスなんて八百長だろ」という世間の視線がかならずついてまわったからだ。
(中略)
白も黒もグレーも、ミソもクソも混沌とする、他に類を見ない騒然としたジャンル、それがプロレスだ。そのことから私は、両極端の二者択一より、「半信半疑」という立場でいいのではないか?面白いのではないか?と気がついたのだ。

「プロレスなんて八百長だろ?何が面白いんだ?」というひとにはプロレスの持つメタな虚実入り交じるリングが見えない。
いくら八百長呼ばわりされようがその肉体はホンモノ、血も汗もまぎれもなくホンモノ。
やらせだ、演出だ、ブックだ、というのは簡単だが、ではそれでプロレスという肉体言語による表現の本質は何もつかめない。

0か100か、YESかNOか。
そういう考え方は明確で分かり易いが余裕がない。
無闇に絶賛するのも完全に否定するのも簡単だが、そこには思考停止しか無い。
断定する、決めつける。
ハッキリした答えは案外と楽で、何かを信じるなら信じるものだけを賛美すればいいし、何かを否定するなら否定する要素ばかりを揃えればいい。
グレーなものを、グレーなまま受け取り、グレーなままで考える。半信半疑なままでいるというのは案外と難しい。

しかしプロレスの玄妙な面白さはそんな曖昧模糊としたところにこそ存在するのではないかと感じている。

プロレス力と半信半疑のリテラシー

一歩引いてモノを見る、一歩引いて考える。
100と言われるモノがあれば90~80だと思っておく。
「絶対間違いない」と言われたら「ほぼ」とか「大概」に言い換えておく。
このグレーで半信半疑なモノの見方がないから、何かを信じてしまうと他の可能性をすべて否定してしまう。
いわゆる確証バイアスがこれに相当する。

自分が信じるものを支持する情報ばかりを信じて否定する情報は信じない。
当時オウムの信者を見たプチ鹿島氏はこう書いている。

オウム真理教の信者たちを見ていて、プロレスを経験した私は「この人たちは自分より死ぬほど頭はいいけど、白か黒かだけで遊び心が感じられないなぁ」と、なんとなく思っていた。
(中略)
無駄があってよい。行間があってよい。半信半疑でいい。

ネットを見ていて「放射脳」と揶揄されるひとらはまったく意見を聞かず己の信じることばかりを唱え、考えが間違っているとデータを示されてもそれを無視してしまう。言わば確証バイアスだが、これもプロレス的なグレーの視点なら「そういうデータもあるのだし自分の信じているものも微妙かもなぁ」と思える。
しかし引きすぎればニヒリズムに通じ、何でもかんでも悲観的に見てしまうことになりそれはそれで不健全。

今や日々、ネットで多くの情報に触れる。
白か黒かでしかモノを考えられないから情報に脊髄反射で反応し、悪そうなものは悪で正しそうなものは正義だと信じてしまう。
しかし、こういうプロレス的な視点があることでメタな視点を持ち「半信半疑」に上手く情報を扱うことが出来る。
いわばリテラシーとは、プロレス力にも通じると思うのだが、どうだろうか。

教養としてのプロレス (双葉文庫)
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