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M-1の結果と漫才のプロと

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昨日放送されたM-1を観て、結果が不満だったそうで。
ダラダラ書く割に「お笑いに詳しくないんですが〜」という前置きで何やらそれらしく語るというのは、保険なのかなんなのかよくわからない。
が、逃げというか単に小狡さしか感じないが。



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漫才とコント

漫才のカタチを評価するのであれば、やる前から厳格にして欲しいと思ってしまう。予選を通過した人たちがコントのようなもので勝ち上がっていたり、敗者復活戦で戦ったコンビも漫才の型にはまらないのはいたのではないか。そうやって、「コント的なのもOK~!」という風潮がある中で、決勝では「漫才としてやっていた銀シャリを高評価」するのはなんか違うと思う。

座付き(最初から舞台にいる)で始まり小道具を使うシチュエーションコメディをコントと呼ぶ。
座付きで始まるため終始フィクションであり、それぞれキャラクターを演じる。
舞台の上にフィクション外は存在しない。

しかし漫才の場合、袖から登場し、舞台の会話でフィクションを展開させる。
開始は座付きでもなく、あくまで袖から出てくることでステージが始まり、シチュエーションを話し演じる。
漫才師はあくまで漫才師として舞台にいながらキャラを演じたり本人に戻ったりしてフィクションとノンフィクションの間を行き来する。

そして小道具も使わないのが漫才の基本。
中には横山たかしひろしのようにハンカチを使ったり、ジャケットの裏側に文字を入れたり衣装を使うコンビもあるが、基本的にそれらはフィクションの中ではなくフィクションの外にあるのが基本。
コントの小道具はフィクション世界のために使うところも異なる。

コントと漫才との差は、舞台上でのフィクションの範囲と構造そのもの。
「コント的な漫才」という思い込みの前提自体がよくわからない*1

・漫才 :袖から入場 フィクションとノンフィクション 小道具は基本不可 
・コント:座付きで開始 フィクションのみ 小道具可
・コント的な漫才:は?

たとえばワンシチュエーション的な漫才ネタがコント的であると感じるのかもしれないが「タクシー運転手になりたいからお前お客さんやってくれや」などというシチュエーションネタはやすきよの時代からやってるれっきとした漫才。
笑い飯は交互にフィクションを演じるがあれを見て「コント的漫才だ」とは思わない。
中川家は駅員や犬を演じるがアレを見て「コント的漫才だ」というのだろうか。
よくわからない。

審査基準

だから、優勝した理由については多くの方が納得できるような形で表明しても良かったのではないかと思う

これが無記名投票ならまだしも誰が誰に投票したかについてはハッキリしている。
投票した理由は「面白かった」「M-1王者にするならこのコンビだ」と各審査員がそれぞれの基準で思った以外の理由が何かあるんだろう?

審査員や審査基準によって結果が変わるなんて当然の話。
どんなルールであれ、どんな基準であれ、何かしらの文句は出る。

仮に記事主の基準でいいならそれは観客の投票制にすればいい。
しかし、観客と審査員による投票審査はM-1ではなくTHE MANZAIでやってる。
そちらの方が審査員制より基準として正しいということだろうか?

それとも完全に観客の投票で結果が決まる爆笑オンエアバトルがお笑いの審査の中で最も公正な審査だというんだろうか。
だとしたら世間のユリオカ超特急の評価は低すぎる。


M-1の優勝はあくまでも「M-1としてのルールの中での優勝」でしかない。
あらゆる賞レースにおいて完全に公正で100人が100人納得できる審査結果なんてありえない。

格闘技では技の有無、立った状態からの蹴りの有無、グローブの有無、など細かくルールが決められていてそのルールの一つによって結果が大きく異なる。
K-1のルールで強くてもプライドルールなら弱いかもしれない。
UFCなら勝てるがRINGSルールなら負けるかもしれない。
「ルールが悪いから勝てなかった」「審査員がおかしいから勝てなかった」というのはプロの言い訳にはならない。

ミキと和牛

今年は敗者復活戦も観ていた。
ミキと和牛が1位か2位で個人的には和牛よりミキだった。
さらにいうなら大自然も点数は低かったし反対にメイプルは高すぎた。
とろサーモンはもう少し高くて良かった。

しかし蓋を開けてみれば和牛が敗者復活、しかもミキとの得票数は数万近い差。
観客の感性と自分の感性は少し違ったがそういうものだろう。プロのエンターテイナーは大多数を笑わせてなんぼ。
観客個人の感性が正しいとは限らない。

どうして和牛に入れたの?
どうしてメイプルに入れたの?
どうして大自然に入れなかったの??

言い出せばキリがない。


M-1の決勝に挑むにあたり出場するコンビはどのネタをどこでやるかも決めた上で舞台に上がってる。
だからたとえ(元記事主のいうような)コント的な漫才と漫才的な漫才で漫才的な漫才の方が評価を受けるなんてことがあったとしても、審査員として中川家礼二と博多大吉とオール巨人師匠がいる時点で審査の方向性はハッキリしてる。
しかもM-1は漫才のコンテストだと銘打ってる。

少なくともあの審査員のメンツでシュールなネタや客を選ぶようなネタは評価されないだろう。
審査員は、関根勤板尾創路大竹まこと清水ミチコじゃない。

それでもコンビはそれぞれ自分らのプライドにかけて面白いと思える自信のあるネタを披露した。

しかも審査員として松本も復帰した舞台で。
だから出演者一同気合の入り方も一層違った。
なのに

そうやって、「コント的なのもOK~!」という風潮がある中で、決勝では「漫才としてやっていた銀シャリを高評価」するのはなんか違うと思う。

「そのネタを決勝で」と決めたのは本人らで、なのにただの自称「お笑いに詳しくない」割にやたらと語りたがるブロガーが審査がおかしいだのハッキリさせて欲しいだの。
いったい自分がどれだけ的外れなことを書いてるのかわかってるんだろうか。


2016 M-1

今年のM-1は非常に面白かった。

いきなりアキナが大受けしてこのまま決勝か?と思ったらカミナリもよかった(しかも待機席でも笑いを取ったし)。
ハライチもそれなりにリベンジを果たせた。
いつもは数組見かける緊張してスベるコンビもなく、決勝にしろスーパーマラドーナが勝っても和牛が勝ってもおかしくなかった。
ただスーパーマラドーナのネタは構造的にテンダラーの必殺仕事人のネタに似ていて。
だったらテンダラーの方がよくできてんだよなぁ……。

個人的には、銀シャリより和牛が勝つと思った。
もちろん銀シャリでも文句はないが、なぜあのネタを2本目に持ってきたというのだけ疑問。

あと一つだけ気にかかる銀シャリに漂うシソンヌ感。
なんだかんだ1年後も、くりぃむナンチャラでとろサーモン久保田と並んで見かけるだけってパターンは無しにして欲しい。
銀シャリおめでとう。

※"「お笑いに詳しくない」と言いながら詳しくないM-1の結果に不満があると語りたがるひとが理解できない"改題

*1:だからショートコントというのはブリッジ部分がフィクション外のために構造だけなら漫才に近い。ただブリッジ部分はあくまでブリッジでしか無い(ブリッジを膨らませない)からコントの範疇にある